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「電話は警備員に盗聴される可能性もある。直接行くぞ」


 トーマス王太子殿下は応接室のドアの鍵をかけた。そして広い応接室の本棚から一冊の本を抜き出すと、そこには0から9までの数字が並んでいた。トーマス王太子殿下が4桁の暗証番号を入力すると、本棚は左にスライドした。そこには重厚な扉があり中に入ると、再び暗証番号を入力して扉をロックした。


 隠し部屋とは思えない広い室内には常備食も水もストックされていて、高級なベッドにバストイレ、生活に必要なものは全て揃っていて、ないのは窓だけだった。隠し部屋のバストイレに入ると、トイレのレバーの横に赤いボタンがあり、それを押すとトイレの壁がスライドし、その先には階段があった。


「……まるで要塞ね」


「歩いて地下まで降りる。その先には使用人宿舎の地下駐車場に続く通路がある。地下駐車場に着いたら、私はそこに待機しているから、ルリアンはエレベーターに乗りトルマリンを呼んできて欲しい。各階の用具庫に入ると奥に赤いボタンがあり、地下に続くエレベーターが開く仕様になっている」


「嘘、用具庫にそんな仕掛けが……。使用人宿舎には外階段しかないと思っていました。地下駐車場に着いたら私は義父を呼びに行きます。トーマス王太子殿下は地下駐車場で待っていて下さい」


 薄暗い地下通路。使用人宿舎までは数十メートルはある。トーマス王太子殿下はルリアンの手を握り小走りに突き進んだ。ルリアンは繋がれたあたたかい掌にドキドキがおさまらなかった。


 それは隠し部屋や秘密通路を使って王宮を抜け出すスリルからなのか、トーマス王太子殿下と手を繋いでいるからなのか、ルリアン自身もよくわからなかった。


 使用人宿舎の地下駐車場についたルリアンは、エレベーターに乗り込み三階のボタンを押す。ドアが開くとそこは用具庫だった。バケツとモップで顔を隠しルリアンは自室に戻る。ドアを開けるとそこには義父と……スポロンが立っていた。


 トルマリンはルリアンの異様な変装に驚いている。


「……ス、スポロンさん」


「やはり隠し部屋から抜け出しましたか。先日マリリン王妃がトーマス王太子殿下と二人きりでお話をされ、それ以来トーマス王太子殿下が鬱ぎがちでたいそう心配しておりました。あなたたち三人だけでは、マリリン王妃にしれればクビ確定ですよ。行き先はメイサ妃の御邸宅でしょう。私もお伴致します。さあ、急いで参りましょう」


「スポロンさんは全て承知の上で……」


「私はトーマス王太子殿下の執事ですから。私の主君はもちろん国王陛下ですが、トーマス王太子殿下の味方です。さあ行きましょう」


「はい。スポロンさんはこれを被って」


 ルリアンは持っていたバケツをスポロンに渡す。


「私がこれを被るのですか?」


「私達使用人が用具庫に入るのは不思議ではないけど、スポロンさんが入るのは無理があるでしょう。義父さんは雑巾で顔を隠して」


「私に雑巾で顔を隠せと?」


「ゴチャゴチャ言ってる暇はないの。二人とも早くして」


 ルリアンはスポロンの頭にバケツを被せ、タルマルの顔に雑巾を被せた。


「うっ、く、臭っ……」


 ルリアンはタルマルの手を掴みスポロンと共に身を屈め、用具庫にこそっと入る。狭い用具庫に大人の男が二人も入ると身動きすらできない。ルリアンは直ぐさま赤いボタンを押してエレベーターの扉を開けて乗り込んだ。


 王室警察に見つかった時のために戦えるようにモップ持参だ。


 トーマス王太子殿下の待つ地下駐車場。エレベーターのドアが開くとそこにはトーマス王太子殿下が立っていて、奇妙な格好の三人に眉を潜めた。


「雑巾臭っ……。何の真似だ。ルリアン、バケツの男は誰だ!」


 スポロンは頭に被っていたバケツをゆっくりと外す。


「スポロン!? 一体何の真似だ! ルリアン、まさか裏切ったのか」


「トーマス王太子殿下、落ち着いて下さい。そうではありません。スポロンさんは私達の味方です。御生母様の御邸宅に案内して下さるそうです」


「スポロン、私の味方についたふりをして、国王陛下に言いつけるのであろう」


「私は信用がないみたいですね。トーマス王太子殿下の味方でございます。マリリン王妃に何を言われたか存じませぬが、マリリン王妃のお言葉よりもご自分の目と耳でメイサ妃やご家族とお話をされてはいかがですか。そうすれば靄も晴れ、自分の行く末も決められるはず」


「……スポロン」


「私の主君は国王陛下ですが、マリリン王妃だけはどうしても信じられないのです。メイサ妃の御家族に御邸宅を用意したのはこの私です。メイサ妃からは何度も何度もトーマス王太子殿下に面会させて欲しいと懇願されましたが、国王陛下とマリリン王妃のご指示で全てお断りしたのも私です。そのことでトーマス王太子殿下が心を痛めておられたのなら全てこの私の責任。どうか同行させて下さい」


 スポロンはトーマス王太子殿下に深々と頭を下げた。

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