26

 ――何故トーマスがこのような行動に出たのか……。


 それにはトーマスなりの自分勝手な都合によるものだった。


 トーマスは午前中王宮を外出する際に、玄関前に黒塗りのベンツが停まっていた。


 (王妃の車? いや、違うな。)


 車の前を素通りしようとした時、運転手が車から降り後部座席のドアを開けた。車の後部座席から降りて来たのは、制服を身に纏った美しい令嬢だった。


 紫色のセーラー服。胸元には紫陽花の紋章。濃い紫のリボン。それは名門私立パトリシアハイスクールの制服だった。


 トーマスは彼女の華やかさに、思わず見とれた。肩までのストレートのシルバーの髪が、風に掬われサラサラと揺れている。そのたびに美しい薔薇の香りがした。


「その制服は王立ハイスクールのもの。あなたがトーマス王太子殿下ですか?」


「はい。そうですけど」


「そうですか。お見合い写真と変わらないのですぐにわかりました」


「お見合い写真?」


「はい。もしかしてトーマス王太子殿下はわたくしのお見合い写真はまだ見られていないのかしら?」


「一体、何のことかわかりませんが」


「これは大変ご無礼致しました。私はあなたの婚約者になる。ピンクダイヤモンド公爵家の一人娘。ダリア・ピンクダイヤモンドです。お逢いできて光栄です」


 ダリアは片膝を曲げ、自分の右手をトーマスに差し出した。トーマスは見ず知らずのダリアに、マナーとしてその右手をとり白くて美しい手の甲にキスを落とした。


「私はトーマス王太子です。ようこそ、王宮へ。でも私はお見合い写真のことも、ダリア様との婚約も知りません。申し訳ございませんが、その件に関しての謁見なら日を改めて下さいませんか?」


 ダリアはツンと唇を尖らせ不満げな眼差しをトーマスに向けた。


「国王陛下や王妃から何も聞いていないのね。ピンクダイヤモンド公爵家も王室からすれば数ある公爵家のひとつにすぎないということかしら。まあいいわ。トーマス王太子殿下は成績優秀で美男子、私の好みだわ。将来あなたと結婚してさしあげるわ」


「待って下さい。私はまだ学生ですから、そのようなことは……」


「もう十六歳になられたのでしょう。王太子殿下なら婚約者がいて当たり前よ。私は気にいったわ、合格よ」


「合格? 無礼な。待てよ」


「あら無礼なのはトーマス王太子殿下ですわ。私がわざわざ王宮まで訪ねて来たのに、玄関先で追い返すのですから。トニー、屋敷に戻ります」


「はい。お嬢様」


 運転手は慌てて後部座席のドアを開く。

 ダリアは王宮に入らず身を翻し、ベンツに乗り込んだ。


「国王陛下と王妃にご挨拶に伺うつもりでしたが、まだご本人が聞かされていないのなら、また出直します。トーマス王太子殿下、ごきげんよう」


 ダリアはトーマスに視線を向けることなく、車は再び発進した。


 トーマスは自分に見合い話があり、内々に婚約者が決められていることに驚きを隠せない。


 (私はまだジュニアハイスクールを卒業したばかり。九月からシニアハイスクールだ。それなのにもう結婚相手だなんて。お父様もどうかしている。)


 実父はパープル王国の国王陛下で、トーマスは王位継承第一位だが、まだ正式にクリスタルに戻ったわけではない。まだ平民である義父の姓のままだ。


 国王陛下とはトーマスが成人するまで、待ってくれる約束だった。


 (まるで狐に摘ままれたようだ。いや、ダリアは女狐か? 気位が高く、王族よりも偉いと思っているようだ。)


 トーマスはダリアのことも、国王陛下にはっきり断りたいと思ったが、国王陛下とピンクダイヤモンド公爵が決められたことなら、そう容易いことではないくらい、トーマスにも理解出来た。


 なんとか見合い話を断れないものかと、考えていた時、帰宅後にもう一人の女子、ルリアン・トルマリンと出会った。


 ルリアンはトーマスのことを何もしらない他国から来た使用人の娘で、王族に敬語も使えない小生意気な女子だった。


 この王宮にきて、生母や義父、弟から引き離されて七年。トーマスにへつらう者はいても逆らう使用人は誰一人いない。トーマスに注意を促すものは執事のスポロンくらいだ。そのスポロンですら、年をとったせいかトーマスの悪戯に口裏を合わせてくれるようになった。


 高飛車なダリアと逢った直後に、トーマスはルリアンに出逢い、一目でルリアンに惹かれたと同時に、お見合いを断る口実にルリアンを偽りの交際相手にすることを思いついた。

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