その日、レイモンドは初めてメイサの手料理を食べた。決して美味しいとは言えなかったが、家事を一切したことがないメイサが作ったと思うと、胃袋に沁みわたり心が温かくなるスープだった。


 野菜スープと隣家から分けて貰った僅かなパンと、キダニの作った美味しい林檎が今夜のディナーだ。


 そこには仔羊のステーキもチキンの丸焼きもなかったけれど、穏やかな晩餐だった。


 メイサは子供達を二階の寝室で休ませ、キダニを含め三人で今後の話をした。


「レイモンドさん、明日は市場に行ってみませんか?」


「市場ですか?」


「ここから車で十五分ほどの場所に市場があるそうです。新鮮な野菜の種や鶏や仔豚も売ってるみたいですよ。もちろん、新鮮な野菜や肉もあるそうです。お金なら私が多少持っていますから。鶏を飼えば卵も産んでくれるし、いざとなれば食用にもなります。畑を耕せば自給自足も可能かと。ホワイト王国には林檎農園もあるそうです。どうやら私はその農園で働いていたことになってるかもしれません。もしよかったら、私と農園に寄ってみませんか? これからのことを考えたら働いてお金を稼ぐことも必要かと」


「そうですね。この世界にまた何年いるのかわからないし、お金は稼がないといけませんね」


 メイサがハーブティーを口にしながら、レイモンドを見た。


「生活に困らないほどのお金なら私が持っています。トム王太子殿下と離縁した時に、慰謝料と養育費をたくさん頂きました。ただ、それに手をつけたくなくてサファイア公爵家のローザに預けています。ローザが管理してくれていますから、必要ならば連絡して持ってこさせましょうか?」


「ローザさんに? でもそんなことをしたらトーマス王子の居場所がトム王太子殿下に知れませんか?」


「ローザは私の教育係兼ボディガードでした。そんなことはしません。五年前の事故でレイモンドもキダニさんも遺体は発見されませんでした。私はあなた達は現世の日本とやらに戻ったものと思っていました。でも三年後に二人は町外れの病院で偶然発見されたのです。二人とも昏睡状態で名前も居住地もわからない身元不明の患者として扱われていましたが、ローザが極秘裏に捜し出してくれました。そうしたら、ゾンビみたいに二人はいきなり息を吹き返したそうです」


 メイサはゾンビのように身振り手振りで顔を歪めて演技した。レイモンドとキダニは思わず仰天する。それほどまでにリアルだったからだ。


 (三年後と言えば、俺が美梨と再会した時だ。この世界のレイモンドはその時に息を吹き返した。)


「私も当初は信じられませんでした。トム王太子殿下と離縁したあとサファイア公爵家で暮らしていましたが、レイモンドが生きていたことを知り、再会した私達は夜逃げ同然にレッドローズ王国の王都を出て小さな田舎町で町民として密かに暮らし第二子であるユートピアを授かりました。キダニさんはホワイト王国の農村にある林檎農園で住み込みで働いていて、今日はその帰りだったのです。でも事故のあと気付いたら私は町民の服ではなく赤いドレスに赤いハイヒールを着用していました。レイモンドも執事の制服になっていました。キダニさんはいつからマジシャンになったのですか?」


「いやいや、私ではありません。私はマジシャンではありませんから」


 キダニは「あははっ」と笑いながら丸めたナプキンから、林檎を取り出し、ちゃっかりマジックをしている。


 (俺達はこの異世界に戻る前から、メイサの記憶では存在したことになっているんだ。まるでそれは現世で起きた出来事と驚くほど似通っていた。俺はこの世界にいる間は現世では眠り続け、現世にいる間はこの世界では暫く眠っている設定になっている。全ては原作者の意のままにレイモンドは操られているにすぎない。二年前にすでにレイモンドとキダニはこのゲームに蘇っていた。まるで俺達がここに転移することを待ち構えるように。)


「キダニさん、申し訳ありませんが市場のあと行きたいところがあります」


「行きたいところですか? 一体どちらへ?」

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