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室内の掃除や雑巾がけをしている内に、木谷は近所から中古のバッテリーを譲り受け軽トラックの修理をした。
ご近所からたくさんの野菜や牛乳、新鮮な玉子をいただき、子供服のお下がりや不要になった木綿のオシメもたくさん手に入れてくれた。これも全て木谷の人徳だろう。
「トーマス、エンジンが掛かるか見てて下さい。ちちんぷいぷいちちんぷいぷい」
「おじちゃん、ちちんぷいぷい!」
木谷がキーを回すとブルブルブルとエンジンが苦しそうな音を鳴らし、ブルンと見事にかかった。
「やったあ! おじちゃん、凄い! 凄い! 魔法使いみたいだね」
木谷の周りを興奮しながら走り回るトーマスを、レイモンド《修》とメイサは見つめながら笑みを浮かべた。
「レイモンド……。私はまだ信じられないわ。ここが異空間の世界だなんて。あなた正気? 私達は生きてるの? それとも死んでるの?」
「この世界ではちゃんと生きてますよ。でも私と木谷さんは現世ではまた昏睡状態かもしれません。私がこの世界にいた姿を妻のミリは乙女ゲームで見ていました。トム王太子殿下とメイサ妃殿下の中睦まじい姿も見ていました。それがこの数年で壊れてしまったのなら、私はその理由が知りたい。それによっては、メイサ妃殿下とトーマス王子の身の振り方も決めないといけません。いつまでも隠れていることは不可能かもしれない。私はこの世界ではレイモンドなのですから」
「レイモンド……。言ってることが支離滅裂でよくわからないけど、子供を寝かせつけたあと、あれから何があったのか全て話すわ」
「ここは私がいる現世の人間が創り出した異世界です。何が起きても不思議はありません。この異世界は現世とも時系列が似ているのです。この異世界を創った原作者が私の知っている女性だとしたら私とミリの私生活を調べ上げそれを原作にしているはず。この異世界の中に自分に似せたキャラクターも創っているに違いない。その女性に逢えたなら現世に戻れるかもしれない」
「この異世界の原作者? 何の話かさっぱりわからないけど、ひとつだけ先に教えてあげるわ。私とレイモンドは本当に結婚したのよ。お妃と王子の称号は国王陛下とトム王太子殿下のはからいで剥奪されなかったけれど、私はもうメイサ・ブラックオパールなのよ。私や子供達をおいて現世に戻りたいなんてよくもヌケヌケと言えたものね」
「レイモンドとメイサ妃は本当に結婚してユートピアを授かったのですか!?」
(やはり現世とこの乙女ゲームは時系列が似ている。俺がレイモンドの体を借りていた時にトーマスを授かったのか? だとしてもトム王太子殿下は王位継承者のトーマス王子を諦めてはいないはずだ。三田正史が昂幸を諦めてはいないように。)
「まさかトーマスがトム王太子殿下に報奨金をかけられているとは想定外だったけど。まるで指名手配犯扱いね。罪人みたいで酷い話だわ」
メイサは皮肉めいて言い放つ。
やっと手に入れた平穏な日々に、不吉な予感しかしない。
「メイサ妃、とにかく落ち着きましょう。トーマス王子が不安になりますから。私が夕食の準備をします。『腹が減っては戦はできぬ』って言いますからね」
「やだ。戦いなんてしないわ。トーマスは私の子よ。パープル王国の王室には渡さない」
「私達が正式に結婚しているなら当然です」
メイサはソファーの上で気持ち良さそうに眠っているユートピアの頭を撫でた。
「ユートピア。これも現世とやらの原作者に言わされてるセリフだとしたら怖いわね。その人は魔法使いなのかしら。レイモンド、料理なら私がするわ」
メイサはレイモンド《修》の話に納得していないが、キッチンに立ち、近所から頂いた野菜でスープを作り始めた。
家事とは無縁だった公爵令嬢、隣国の妃殿下だったメイサの背中を見つめながら、レイモンドは不思議な感覚に陥っていた。五年前、メイサを浚って逃げることができなかったレイモンドの悔しくて歯痒い気持ちを思いだしていたからだ。
自分はこの世界では修ではなくレイモンドであるべきだ。そうでなければ現世にいる美梨や子供達に申し訳が立たないし、目の前にいるメイサや子供達にも申し訳が立たない。
修はこの世界にいる間は、レイモンド・ブラックオパールになりきり三人を守ると決心した。
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