第53話

宮殿の門前に立ち、門を叩こうとしたが、それはゆっくりと開き、

沙宅涼悠さたくりょうゆう、入りなさい」

 玄道げんどうがそう言って、二人を招き入れた。

『問題が起きているようだな』

 玄道は念を使って、涼悠に話しかけた。

『ああ、厄介な相手だ』

 涼悠が答えると、

『何者だ?』

 玄道が聞き、

『黒衣の法師。それ以外は分からない』

 と涼悠が答えた。三人が歩いていると、奈良麻呂ならまろが速足で庁舎へ向かっているところだった。

「奈良麻呂! 忙しそうだな」

 涼悠が声をかけると、奈良麻呂は立ち止まり、三人に向かって会釈して、

「只今、執務中にて、私語は禁じられております」

 と答えた。

「そうか、頑張れよ。ところで、大納言はどこにいる?」

 涼悠が聞くと、

「父も執務中です。何か急用でしょうか?」

 と奈良麻呂が聞いた。

「ここにいるのなら安全だが、帰りは俺たちが護衛に付くから、声をかけてくれ。終わるまでは、遊んで待っているよ」

 涼悠のその言葉に、奈良麻呂は眉を寄せて、

「分かりました。父に危険が迫っているのですね」

 と涼悠の言葉に含まれた意味を察した。

「うん」

 大納言を失脚させようと企んでいる者は、この朝廷内にいる事は間違いない。涼悠はこの会話をわざと聞かせていた。大納言には涼悠と白蓮はくれんが付いていることを暗に知らせておくことで、危険を回避できるかもしれないと考えての事だ。


「それなら、東院で待っているといい。茶と菓子を用意させよう」

 玄道が言って、厨へ向かった。

「あいつ、本当にいい奴だな」

 涼悠はそう言って、白蓮を連れて東院で待っていると、侍従が茶の支度をしにやって来た。彼らは黙々と仕事をこなし、卓の上にはお茶と菓子が置かれた。

「沙宅様、白蓮様。お支度が出来ました」

 そう言って、侍従たちは脇へ控えた。

「ありがとう。白蓮、ほら、飲めよ」

 涼悠はそう言って椅子に座り、茶を椀に注いで、白蓮の前に置いた。

「うん」

 白蓮は湯気の立つ椀を持ち、ゆっくりと口へ運んだ。それを満足げに見てから、涼悠は甘い菓子を手に取り、口に入れてもぐもぐと食べ始めた。

「なんだ? これ、凄く美味いじゃないか。宮勤めの連中はこんな美味い菓子を食べているのか?」

 涼悠はそれが、すごく気に入ったようで、二つ目を口に入れていた。そんな彼を白蓮は微笑みを湛えながら見つめた。

「なあ、白蓮。せっかくだから散歩しよう」

 お茶と甘い菓子で満足した涼悠は、じっとしているのがつまらなくなった。

「分かった」

 白蓮はそう言って立ち上がり、涼悠の手を取り、

「池がある」

 と橋の架かる池を指差した。

「うん。行ってみよう」

 この池にも蓮の葉が浮かんでいたが、すでに花は落ち、花托かたくが大きくなり、実を付けていた。

「そうか。もうこんな時期だったんだな」

 涼悠はそう言って、白蓮と共に、池に架かる橋の上で足を止めた。

「うん」

 白蓮は涼悠を見つめて頷いた。その時、蓮の花托に一羽の青い鳥が飛んできて止まった。

翠鳥そにどりた。鮮やかな青色が綺麗だな」

 涼悠は嬉しそうに言って、その青い鳥を見つめた。

「うん」

 白蓮は頷いて、視界の端の青い鳥には視線を向けずに、涼悠の横顔だけを、微笑みを湛えて見つめ続けている。

「白蓮、俺の事ばかり見ているじゃないか」

 視線に気付いていた涼悠は、笑いながら言った。

「本当に、お前って俺の事が大好きだな」

 涼悠のその言葉に、

「うん。大好きだ」

 白蓮がはずかしげもなく言って、涼悠の身体を抱き寄せた。そんな仲睦まじい姿を見て、声をかけて良いものかと、遠慮がちに二人に近付いた奈良麻呂に、涼悠が気付いて、

「奈良麻呂、仕事は終わったのか?」

 と声をかけた。

「はい。父も私も業務が終わったので、これから帰ります」

 奈良麻呂が言った。

「そうか。それじゃ、俺たちは大納言の護衛に付くか」

 涼悠が言うと、白蓮が無言で頷いた。


 大納言は牛車に乗り込み、奈良麻呂と涼悠、白蓮は徒歩で大納言の屋敷まで行った。屋敷に着くと、

「ご苦労」

 大納言はそう言って、牛車を降りて二人を招き入れた。部屋へ入ると、奈良麻呂は脇に控え、大納言は高座に座り、

「私の身に何が起ころうとしているのだ?」

 と涼悠に聞いた。

「まだ、何が起こるかは分からない。虫の知らせがあって来たまでだ。あれから変わったことはないか?」

 涼悠が逆に質問した。

「特に何もないが、先日の件を調べている。誰が私を陥れようとしているのか。しかし、まだ分からない。見つけ出したら懲らしめてやろう」

 と大納言は悔しそうに拳を握って言った。

「まあ、落ち着いて。先日の件、一言主の祟りでも、命を奪うほどの事ではなかった。もしかしたら、殺す気はないのかもしれないな。大納言、白孔雀を持って来た奴を見ているんだったな?」

「ああ、見ている。旅の行商人の男だ」

「なら、俺にもその記憶を見せてくれ。俺がそいつを探し出してやる」

 涼悠が言うと、

「記憶を見せるとはどういうことだ? 絵を描けとでも言うのか?」

 と大納言は、涼悠の言った意味が分からず聞いた。

「いや、そうじゃない。本当に記憶を見るんだ。俺にはその能力がある。大納言、あんたの手を俺の手の上に置いて、その時のことを思い出してくれ」

 大納言が言われた通りにすると、しばらく静寂が続いたあと、涼悠が、さっと手を引いて後退りした。それに驚いた白蓮が、

「どうした?」

 と聞いて、涼悠の身体をそっと支えた。

「やられた。大納言の記憶に術を仕込まれていた。俺が記憶を読んだ時に発動するように仕掛けられていたんだ」

 涼悠が言うと、

「何が起こった?」

 白蓮が聞いた。

「目が見えない」


 二人の会話を聞いて、大納言が怯えて言った。

「何という事だ! それで、私はどうなるのだ?」

 それに対して、

「心配はない。これは俺に仕掛けた術で、大納言には無害だ。どうやら、相手は正体を知られたくないようだ」

 涼悠が無害と言ったことに、大納言は安堵したが、白蓮は心配でたまらないといった顔で、

「涼悠」

 と名前を呼んだ。

「大丈夫だ。目が見えなくても、俺には霊魂が見える。お前の顔もよく見えているぞ」

 そう言って、涼悠は白蓮の頬に触れて微笑んで見せた。

「早く見つけて、術を解かせよう」

 白蓮は少し怒っているようで、語気が強めだった。

「そうだな」

「手がかりは掴めたのか?」

 白蓮が聞いて、

「分かったことが一つだけある。黒衣の法師は女だ」

 と涼悠が答えた。

「女だと⁈ 私が見たのは男だった。姿も声も」

 大納言が言うと、

「幻術を掛けられていたんだろう」

 と涼悠が答えた。

「なんて小賢しい奴だ。早く見つけ出して連れて来い。私が成敗してやる」

 大納言は、相手が女だと分かったからなのか、強気になって息巻いた。それを見て涼悠は、笑みを浮かべて、

「大納言。ここへ連れて来てもいいが、俺たちの手に負えない相手だったら、あんたを守れないぞ」

 と少々、脅しをかけるように言った。

「お前たちに敵わない相手なんているものか! 神ですら、お前たちに平伏すだろう」

 大納言は大げさに言ったが、

「それはない。俺たちは神格を得たが、天界の神々の力には遠く及ばない」

 と涼悠は大真面目な顔で答えた。

「冗談はさておき、俺たちは、黒衣の法師を探しに行くから、ここで失礼するよ」

 そう言って、出かけようとすると、

「行ってしまうのか? 私の護衛はどうするのだ?」

 と大納言が不安そうに言った。

「そうだな。呪符を置いていこう」

 涼悠はそう言って、袂に手を入れて、呪符が一枚も残っていないことに気が付いた。

「あっ。そういえば、賀茂家の者に全部あげたんだった。ちょっと待ってろ」

 涼悠は袂から人型の紙を取り出して息を吹きかけた。すると、それは淡く光り、もう一人の涼悠が現れた。

「なんと! 沙宅涼悠が二人になった!」

 大納言が驚いているのをよそに、

「家まで行って、紙と筆、朱墨を持ってきてくれ」

 と涼悠がもう一人の涼悠に言った。

「大納言は変わったことはないと言ったが、奈良麻呂、お前は何か気付いたことはないか?」

 涼悠が聞くと、

「鳥の死骸を何度か見ました。きっと、鳥の流行り病かと思ったので、家人には触れずに処分するように言いました」

 奈良麻呂が答えた。

「鳥の死骸。流行り病か……。この屋敷には邪が入らぬように、呪符で結界を作っているだろう? それで呪術を使うことが出来ない。だから、鳥に病を運ばせたとも考えられる。ただ、黒衣の法師の仕業には思えないな」

 そうだとすれば、黒衣の法師以外の人間も、大納言に危害を加えようとしていることになる。

「まあ、どちらにせよ、俺たちがついているんだ。後は任せろ」

 涼悠がそう言った時、もう一人の涼悠が空を飛んで庭へと舞い降りて、

「持って来た」

 そう言って、涼悠に頼まれた物を渡した。

「うん」

 涼悠がそれを受け取ると、役目を終えたもう一人の涼悠は白い煙となって消えた。

「呪符を書くから待ってろ」

 みんなにそう言って、涼悠は十枚の呪符を書いた。

「ほら、これを持っておけば安心だろう。それじゃ、俺たちは行くぞ」

 視力を奪われた涼悠は、いつもと変わらぬ独特な字を正確に書いていた。

「うむ。任せたぞ」

 呪符を受け取って、満足げに大納言が言った。

「沙宅様、白蓮様。どうかお気をつけて」

 奈良麻呂は視力を失った涼悠を気遣うように言った。

「うん」

 涼悠は白蓮と、大納言の屋敷を出る前に、

「そうだ、奈良麻呂。牛車を貸してくれ。長旅になるだろうから」

 と言って、牛車と従者を用意させた。

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