第52話

「なあ、白蓮はくれん加流姫かるひめ波流姫はるひめの師匠って誰なんだ? お前は知っているのか?」

 涼悠りょうゆうが聞くと、

「おそらく、葛城山の仙人だろう」

 と白蓮が答えた。

「葛城山って、一言主ひとことぬしの? 仙人なんているのか?」

「一言主が仙人の姿をして、人に仙術を教えている」

「はぁ? なんであいつ、そんなことをしているんだ?」

「人が好きなのだろう」

「あんなに、つっけんどんなのにか?」

「弱い者には優しい」

「そういうことか。俺は強いからな」

 そのことに、涼悠は妙に納得したようだ。

「あいつ、案外いい奴だからな」

 涼悠はそう言って微笑んだ。

「そうだな」

 白蓮は、涼悠をそっと抱き寄せて髪を撫でた。白蓮の仄かに香る甘い匂いに包まれると、涼悠は心地よくて、彼の胸に顔をうずめて、その匂いを嗅いだ。

「なあ、お前のこの花のような甘い香りは、母ちゃんの性質を受け継いでいるからなのか?」

 涼悠はふと思い出したかのように顔を上げて言った。白蓮の語りの中で、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみの母神が木花知流比売このはなちるひめと言っていた。母神の性質は桜の花が散るということ。花の香りは白蓮の性質だったのだ。

「うん」

 白蓮は微笑みを浮かべて頷いた。

「そうか。やっぱり白蓮は花の精霊みたいなものだな」

 涼悠が言うと、

「うん」

 白蓮は頷いた。精霊だろうと、人だろうと、神だろうと、自分の存在がなんであるかなど重要ではなかった。ただ、こうして、涼悠と一緒にいられるだけで幸せなのだから。

「俺とお前の間には子がいたんだな。今度、会いに行こう」

 涼悠が言うと、

「うん」

 白蓮が頷いて答えた。


 二人は鼻の先が触れそうなほど近くで話していたが、白蓮は話が途切れると、涼悠の鼻、頬、唇と順番に口づけをした。それから、首筋、胸元へと続き、そのまま涼悠をそっと寝かせて、愛撫を続けた。涼悠はその優しく触れる唇に、心地よさと、こそばゆさを感じて身動ぎした。それに刺激された白蓮は涼悠の服を脱がして、愛おしそうにその身体に唇で触れていった。涼悠も心が昂り、白蓮の服を脱がして、彼の首筋、胸に口づけをして、白蓮と唇を重ね、舌を絡ませて熱い口づけを交わした。お互いの肌が汗でねっとりと張り付くと、更に情熱的に激しく絡み合い、十分に満たされると、白蓮は素早く服を着た。涼悠も彼の動向に気付き、服を着ながら外の様子に注意をはらった。

「沙宅様!」

 従者が突然、声を張り上げた。涼悠は、白蓮と目を合わせて頷き、屋形から出て、

「大丈夫だ。みんな、そこから出るなよ」

 涼悠は従者たちを結界で包んだ。

「さて、何者かな? いや、人じゃないな」

 そこに現れたのは、邪悪な気を纏った傀儡だった。これほどの気を込めて傀儡を操る者は、相当な霊力の持ち主だろう。

「俺に何か用か?」

 涼悠が話しかけたが、傀儡は言葉を発せず、そのまま涼悠に襲いかかった。その瞬間、白蓮が涼悠の前に出て、袖を振って傀儡を払いのけた。それは一瞬でバラバラになったが、それらはまた引き寄せられ、元に戻り、再び襲いかかって来た。それを白蓮が霊気で包んで燃やした。そして、そこに残ったのは、長さが一尺ほどの、黒い芋虫のような気味の悪いもので、もぞもぞと動いていた。

蟲毒こどく

 白蓮が呟いた。

「そのようだな。可哀想に。こいつもひどい目に遭ったな」

 涼悠が、そのおぞましい姿の虫に近付こうとすると、白蓮が手で制した。

「危険だ」

 しかし、涼悠は、

「心配するな。俺は大丈夫だ」

 白蓮の手をそっと返し、虫の傍へ行き、

「苦しいか? その苦しみを取り除いてやろう」

 と言って、虫の身体に触れて、張りつけられていた呪符を剥がし、その苦しみを取り除いた。

「ほら、楽になっただろう? それで、お前はどうしたい? 魂を天へ送るか、このまま生きるか」

 涼悠が聞くと、

「私はまだ死にたくない」

 と虫は答えた。

「分かった。それなら生きるといい。お前をこんな目に遭わせた奴は誰なんだ?」

 その質問には答えられないのか、とても苦しそうにギリギリと音を鳴らして震えた。

「いいよ。答えられないんだな?」

 涼悠が言うと、虫は落ち着きを取り戻した。答えられないように呪いをかけられているのだろう。

「もう行っていいよ」

 その言葉を聞いて、虫はもぞもぞと動いて去っていった。


「さあ、帰ろうか?」

 涼悠は何事もなかったように言って、屋形へ戻った。従者はまだ恐ろしい体験から心が戻らず、動けなかった。

「ほら、お前ら。早く帰らないと日が暮れちゃうぞ。夜になったら、もっと恐ろしいものが出るんだぞ」

 涼悠が言うと、従者たちは、はっと我に返って、帰りを急いだ。

「涼悠」

 白蓮が声をかけた。

「なんだ?」

「解せぬ」

「そうだな」

 蟲毒を使い、傀儡を操り、涼悠を襲った者は誰か? 目的は何か?

「おそらく、俺を都へ帰したくないんだろうな。俺の居ぬ間に、何か企んでいるのかもしれないな」

 涼悠が言うと、

「うん」

 白蓮が頷いた。

「それじゃぁ、俺たち二人だけで先に帰った方が良さそうだな」

 そう言って涼悠は、従者に声をかけた。

「おい、止めてくれ」

 牛車が止まると、涼悠と白蓮は屋形から出て、牛車を降りた。

「どうされましたか?」

 従者が聞くと、

「俺たちは都へ急いで帰らなければならない。その前に、阿麻呂に会っていくが、縮地の術で行く。だから、お前たちだけで賀茂家へ帰ってくれ」

 と涼悠が答えた。

「私たちだけで帰るなんて不安です。また化け物が出たらどうしましょう?」

 と従者は怯えながら言った。

「これを持っておけ。魔除けの呪符だ」

 涼悠はそう言って、持っていた数十枚の呪符をすべて従者に渡した。

「これだけあれば安心だ。それと、こいつを置いて行く」

 そう言って出したのは、紙で出来た人型の形代。それに息を吹きかけると、それは淡く光り、それが収まると、涼悠がもう一人現れた。

「どうだ? 安心したか?」

 想像を超える出来事が目の前で起きて、思考が止まってしまったかのように、従者たちは口をあんぐり開けたまま、涼悠たちを見つめた。

「ほら、お前は屋形へ入っていろ」

 涼悠がもう一人の涼悠に向かって言うと、

「うん」

 返事をして、屋形へと入っていった。

「それじゃ、俺たちは行くぞ」

 涼悠が言うと、白蓮の縮地の術で、瞬時に阿麻呂の待つ賀茂家へ移動した。


「阿麻呂」

 涼悠が呼ぶと、すぐに阿麻呂が出て来て、

「お帰りなさい。あれ? 牛車はどうしたのですか?」

 二人だけで帰って来た事を不思議そうに言った。

「置いて来た。急用があって、すぐに都へ帰らなきゃならないんだ。お前には世話になったから、一言言ってから帰ろうと思って。ありがとう阿麻呂。それじゃ、またな」

 涼悠が笑顔で言うと、

「はい。また来てください」

 と阿麻呂が笑顔を返した。


 挨拶が終わると、白蓮の術で沙宅家へ移動した。

「白蓮、術を使いすぎて霊力を消耗しただろう。お前は家で休んでいろ」

 涼悠が白蓮を気遣っていうと、

「問題ない」

 と白蓮が答えた。涼悠を一人では行かせたくないのだろう。

「黒衣の法師が関わっている。大納言が危ない」

 涼悠はそう言って、白蓮と二人で大納言の屋敷へ向かった。

「沙宅涼悠だ」

 涼悠が門前でそう言うと、門が開かれ、

「沙宅様、白蓮様。お越し頂いて恐縮ですが、主はまだお勤めからお戻りになられておりません」

 と家人が言った。

「そうか。それなら迎えに行こう」

 そう言って、涼悠は大納言のいる宮殿へ向かった。

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