第49話

 それは二人が神であった頃の話。白蓮は布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ。涼悠は日河比売ひかわひめと言った。布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみの父神は八島士奴美神やしまじぬみのかみ、母神は木花知流比売このはなちるひめで、その二人の性質を持ち合わせている。

 天界に住む二人の間には深淵之水夜礼花神ふかふちのみずやれはなのかみという子があり、そのまた子へと受け継がれていて、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ日河比売ひかわひめいにしえより存在する神であった。


 布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみは国土創世に関わった神だが、それはもう遠い昔の話。日河比売ひかわひめを娶ると、ただただ妻を愛し、共に過ごす事だけを喜びとしていた。二人は音楽を好み、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみは笛を吹き、日河比売ひかわひめは琴を弾いた。その風雅な音は、聞く者の耳に心地よく、心を癒した。の神々は二人の奏でる調べに耳を傾け、酔いしれた。


 天界では誰もが、心穏やかで平安な時を過ごしていた。神々のする事と言えば、優雅に花を愛でる、美味びみな食事を楽しむ。歌い、踊る。娯楽というもののすべてを楽しんで過ごしていた。それでも、神々の時間は途方もなく長い。いつ生まれたのか。生まれてからどれほど経ったのか。それすらも分からないほどに。それ故に、時には娯楽さえも退屈に思えてくるのだった。


 そんなある日、日河比売ひかわひめの魅力に、ついに我慢が出来ずに手を出した神がいた。その名は火須勢理命ほすせりのみこと。それに怒った布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ天之御中主神あめのみなかぬしのかみに頼み、火須勢理命ほすせりのみことを下界へ落してもらった。しかし、下界へ落されてもなお、火須勢理命ほすせりのみことはその荒々しい性質の如く怒れる龍神となって、多くの命を奪った。それを知った日河比売ひかわひめは下界へ降り、火須勢理命ほすせりのみことを諫めたが、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが現れた事で、更に怒りを強め、すべてを焼きつくしたのだった。この時、一言主ひとことぬしが現れ、荒れ狂う龍神を押さえ、こう言い放った。

「愚か者。お前が焼き払ったのは我の民ぞ」

 焼き払われた民は、一言主を信仰する者たちだった。それに一言主は怒り、姿を現したのだった。これが彼の言う、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみ日河比売ひかわひめへの貸しという事だったのだ。


 この話は、以前、涼悠に話して聞かせていたが、一言主の事は白蓮にとって、重要ではなかったため、省いていたのだった。しかし、一言主に「貸しは、返してもらった」と言われ、それを涼悠に話して聞かせることにしたのだった。



「そうか。そんなことがあったんだな? なんで、一言主の事を話してくれなかったんだ?」

 涼悠が聞くと、

「その必要はないと思ったから」

 と白蓮が答えた。

「薄情な奴だなぁ。今度、一言主に会ったら、お前もお礼を言えよ」

 涼悠が言うと、

「分かった」

 と白蓮は素直に答えた。

「ところで、あとどれくらいで渋川に着くんだ?」

 話もいったん終わり、だいぶ進んだのではないかと思った涼悠が聞いた。

「あと二刻ほどだ」

 と白蓮が答えると、

「まだそんなにあるのか~」

 涼悠はそう言って、寝転がった。そんな彼を見て、白蓮は微笑み、そっと髪を撫でた。

「なあ、白蓮。俺たちはどうやって出会って夫婦めおとになったんだ?」

 涼悠はただ、純粋に知りたかった。初めて会った時、二人はどんなことを想っただろう? 夫婦になるまで、どのようにして仲を深めていったのか? それを、白蓮がどのように語ってくれるだろう。そんなことを考えながら、彼が話し始めるのを待った。

「私とお前が出会ったのは天の川の畔」

 そう言って、白蓮は語り出した。



 ある日、日河比売ひかわひめが星の流れる川で髪を洗っていた。そこを偶然通りかかった布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみはその美しい女神が視界に入ると、もう他には何も目に入らないほどに魅入られてしまった。引き寄せられるかのように彼女に近づいた時、日河比売ひかわひめは足を滑らせ、川に落ちそうになった。布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみはすぐさま駆け寄り、彼女をしっかりと抱きとめたが、自分は川の水でずぶ濡れになった。しかし、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみは気にも留めず、ただただ、美しい女神だけを見つめていた。

「ありがとう」

 日河比売ひかわひめが微笑みを向けて礼を言うと、

「うん」

 布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみはただそう頷いた。

「私の為に、あなたは濡れてしまったわね」

 日河比売ひかわひめはそう言って、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみに向かって、ふっと息を吹きかけた。それはとても爽やかな小さな風となり、布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみの髪と服を濡らしていた水を吹き飛ばし、キラキラと輝きながら飛んでいくと、すっかり乾いた。それから、日河比売ひかわひめが自分の髪をサラリと手で払うと、濡れた髪からもキラキラと水が飛んでいった。日河比売ひかわひめの乾いた髪は、少し癖があり、ふわふわとしていて、それが彼女を更に華やかに見せた。

「美しい……」

 普段、寡黙な布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみは、心情を吐露することはほとんどないが、この時は無意識に言葉が漏れた。

「私のことを言っているの? そうだとしたら嬉しい」

 日河比売ひかわひめはそう言って、微笑んだ。

「私はあなたに心を奪われてしまいました。どうか、私の妻になって欲しい」

 布波能母遅久奴須奴神ふはのもぢくぬすぬのかみが想いを伝えると、

「では、そうしましょう。今から私はあなたの妻です」

 と日河比売ひかわひめが答えた。こうして二人は夫婦となった。



 白蓮がそこまで話すと、

「白蓮、お前、大胆だな。出会ってすぐに求婚するなんて」

 と涼悠が笑って言った。

「うん」

 白蓮は寝転がっている涼悠に微笑み、彼の髪にそっと触れた。日河比売ひかわひめと同様に少し癖のある、ふわふわとして柔らかいその髪に触れるのが好きだった。

「お前、俺に出会った時から好きだったんだな」

 涼悠はにやりと笑って、揶揄う様に言った。

「うん」

 白蓮は素直に認めて頷いた。

「俺も出会ったばかりのお前の求婚を受けたんだから、お前のことが好きだったんだろうな」

 涼悠のこの言葉に、

「うん」

 白蓮は嬉しそうに頷いた。

「なあ、白蓮。俺たちは前世で夫婦だったんだから、今も夫婦ってことでいいんだよな?」

 涼悠が聞くと、

「うん」

 白蓮は頷いて答えた。

「俺は男だけど妻? 妻だけど男?」

 涼悠は夫婦という概念に囚われ過ぎて、頭の中を思考がグルグルと回った。

「考える必要はない」

 白蓮はそう言って優しく微笑み、涼悠の頬に触れた。涼悠はそれがくすぐったくて嬉しくて、身体に痺れが走り、熱を帯びた眼差しを白蓮に向けた。そんな彼の表情が堪らなくて、白蓮の身体が疼き、欲情が抑えられずに、涼悠の身体に自分の身体を重ね、その頬に口づけをした。

「お前は可愛い」

 白蓮の甘い言葉に、涼悠はまた身体に痺れを感じた。二人は唇を重ね、お互いの口腔に舌を差し入れ絡め合う。徐々に服は脱ぎ棄てられ、肌を合わせ愛おしくてたまらないとばかりに、お互いの身体を愛撫する。気が済むまで情交を楽しむと、何事もなかったかのように、

「なあ、白蓮。そろそろ着く頃じゃないか?」

 と涼悠が聞いた。

「そうだな」

 白蓮も冷静に答えた。二人はまだ服も身に着けていない。そんな時に、外の従者が、

「渋川へ着きました」

 と報告した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る