第47話

 二人は大納言の屋敷の門前に移動して、門を叩き、

沙宅涼悠さたくりょうゆうだ。門を開けてくれ」

 と声をかけた。すると、即座に門が開かれ、

「お待ちして居りました」

 家人がそう言って、大納言の部屋まで案内した。

「沙宅様、白蓮様がお戻りになられました」

 家人が声をかけると、

「待っていたぞ。入れ」

 と橘諸兄たちばなのもろえが言った。二人が部屋へ入ると、衝立はまだあって、向こう側に橘諸兄は座っていた。傍らには奈良麻呂ならまろもいた。

一言主ひとことぬしに祟るのを止めてもらったが、顔の爛れは治ったか?」

 涼悠が聞くと、

「このとおりだ」

 と橘諸兄は顔を覆った布を上げて見せた。

「治っていないじゃないか! 一言主は、嘘は言っていなかったのに」

 涼悠は驚いて言ったが、

「確かに良くなっている。熱くもないし、痛みもない」

 と橘諸兄は答えた。

「火傷に効く薬を塗ったらどうだろうか?」

 奈良麻呂が初めて喋った。

「効き目はない、これは祟り。私が治そう」

 白蓮がそう言って、橘諸兄に近づいて、顔に手を翳した。すると、白蓮の手から白い靄が出て来て、橘諸兄の顔全体を包んだ。無言のまま一炷香いっちゅうこうほど経ち、白蓮が翳した手を納めると、白い靄が消えて、橘諸兄の顔が見えてきた。そこにはあの恐ろしい爛れは跡形もなく消えていた。

「お前って、凄いな」

 涼悠には何がどうなったのか分からないが、その出来事に感心しきりに言った。

「どうなったのだ? 私の顔は、どうなったのだ?」

 橘諸兄は不安げに、おろおろとして、涼悠と白蓮、奈良麻呂の顔色を窺っている。

「父上、ご安心ください。すっかり元通りになりました」

 奈良麻呂はそう言って、鏡を父親に持たせた。橘諸兄は一心不乱に鏡を握り締め、自分の顔を隅々まで確認した。

「おお、さすが天上人。白蓮殿には神通力がおありのようだ」

 神通力がどんなものなのかも分からないだろうに、さも知っているかのような口ぶりで褒め称えた。

「二人とも、良い働きであった。あとで礼をする。今日はもう帰ってよいぞ」

 助けてもらったにもかかわらず、横柄で傲慢な態度だが、橘諸兄は大納言という官職を賜り、涼悠よりも官位は上だ。この態度も当然だった。

「そうか。それじゃ、俺たちは帰るよ。奈良麻呂、今度、家に遊びに来い。それじゃ、またな」

 涼悠は、橘諸兄の態度など気にもしていない様子。

「沙宅様、白蓮様、父を助けて下さって、ありがとうございました」

 奈良麻呂はそう言って、二人に深く頭を下げた。

「奈良麻呂、頭を上げろ。俺たちは友達じゃないか。そんな他人行儀はよせよ。お前の父ちゃんが治って、俺も嬉しいんだ」

 涼悠はそう言って、屈託のない笑顔を向けた。いつも能面のように感情を見せない奈良麻呂だったが、この時はつられたように、表情が和らぎ微笑みを浮かべた。

「お前、そんないい顔が出来るんだな。仏頂面しか見たことなかったけど、その顔が見られて良かった」

 涼悠が言うと、奈良麻呂は照れくさそうにはにかんだ。まだ彼も少年だという事を、涼悠は今更ながら思った。


 涼悠と白蓮は二人並んで歩き、沙宅家へ戻った。

「腹が減った。そろそろ飯の時間だろう?」

 涼悠がそう言いながら庭を歩いていると、厨からいい匂いがしてきた。

「ちょっと見ていこう」

 涼悠は白蓮に声をかけて、厨を覗きに行った。

「涼悠様、お帰りなさいませ。お食事の準備が出来ましたらお持ち致しますので、もう少しお待ちください」

 と調理していた家人の女が言った。

「分かった」

 涼悠はそう言ったものの、待ちきれなくて、その場に留まっていると、

「仕方ないですねぇ。これを差し上げますから、お部屋でお待ちください」

 そう言って、家人の女は菓子を紙に包んで渡した。

「うん。ありがとう!」

 涼悠はとびっきりの笑顔を彼女に向けて礼を言って、嬉しそうに菓子を摘まみながら部屋へ戻った。そんな涼悠を温かな眼差しで見守る白蓮もまた、嬉しそうに微笑んだ。誰もかれもが涼悠を甘やかすのは、彼がそういう性質だからだろう。あの笑顔を見せられたら、つい甘やかしてしまうのだった。

 菓子を食べ終わる頃に、食事の準備が出来て運ばれて来た。

「そうだ、阿麻呂の所に預けてきた遺体。里に返してやらなければいけないな」

 涼悠が急に思い出して言った。その遺体は、国司くにのつかさの手先で、涼悠たちを襲おうとして失敗し、毒を飲んで自害した者たちだ。

「うん」

 白蓮が頷いた。

「明日行こう」

 涼悠が言うと、

「分かった」

 白蓮は答えた。そんな会話をしながら食事を終えて、膳を二人で片付けに行った。

「涼悠様、白蓮様、片づけは私が致しますから、お待ちになって下さればよかったのですよ」

 膳を受け取った家人が、申し訳なさそうに言った。

「いや、構わない。美味しかったよ」

 と涼悠は笑顔で言った。家人の女は嬉しそうに笑顔を返した。

「そう言って頂けると、私も嬉しいです」


 二人は部屋へ戻ると、身体を寄せ合い、口づけを交わし、そのまま床にそっと身体を横たえて、互いの身体に触れて愛撫していく。そのうち二人からは甘い吐息が漏れ、服を脱ぎ棄て肌を合わせる。夜が更けても暑さの残る中、二人の汗が滲み出て、それはねっとりと肌に張り付き、欲情を掻き立てた。二人同時に果てると、満足して眠りについた。

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