第20話

 翌朝、二人は辰巳の方角にある尼寺を訪ねることにした。日の出と共に出発して、陽が真上に来る前に、その寺についたが、

「ここは尼寺、其方たちをここに入れるわけにはいかぬ」

 門は開けられることもなく、そう言われた。

「それなら、このままでいい。ここに恵禅尼えぜんにはいるか?」

 涼悠りょうゆうが聞くと、

「ここにはいない」

 と尼僧が答えた。

「では、今はどちらに居られますか?」

 颯太そうたが聞くと、

「知らぬ」

 と突き放すように言われた。

「都が襲われているんだ。御門みかど御命おいのちが危ない」

 涼悠がなおも食い下がると。

「ここより少し下がったところの庵で待て」

 尼僧が言った。

「わかった」


 涼悠と颯太は、言われた通り、その庵で待つこと四半時しはんとき、二人の尼僧が庵へやって来た。一人は先ほどの尼僧で、歳は四十を超えているくらいで、もう一人は若い尼僧だった。

「改めまして、ご挨拶を。わたくしは善光尼ぜんこうにと申します。この者は妙恵尼みょうけいにと申します。先ほどの無礼な態度をお許しください。尼寺の尼僧を守るために男を入れるわけにはいかぬのです。御門の御命が危ういとなれば、見過ごせませんが、本当にわたくしたちは恵禅尼がどこにいるのかが分かりません。玄道げんどうがここへ連れて来られたのは三十五年前で、玄道が十歳になると、恵禅尼は玄道を連れてここを出て行きました。更なる修行のため金剛山へ行き、そこで玄道が十五歳になるまで修行を続けていました。その後、玄道が入廷し、恵禅尼は消息不明に」

「そうか。それなら知っていることを教えてもらおう。恵禅尼とはどんな奴なんだ?」

 涼悠の質問に、善光尼が語り始めた。



 恵禅尼が生まれたのは、百五十年以上も前で、善光尼の知るところではないが、一族皆殺しに遭ったことは事実だという。生き残った恵禅尼は尼寺へ預けられ、生き残りであることは伏されていた。尼僧として生きることは、怒りや憎しみを捨て、規律を守らなければならない。恵禅尼はそれを守り、尼僧として立派に務めを果たしていた。しかし、都ではその後も争いは絶えず、その犠牲となる者の話しが漏れ聞こえてくる。それに心を痛めて、死者の魂を鎮めているうちに、その身に人々の怨念が溜まり、十年前に事件が起きたのです。



 そこまで黙って聞いていた涼悠と颯太だったが、十年前の事件と聞き、二人は目を合わせると、互いに思っていることが同じだと理解した。


 善光尼は、そんな二人を見て、話しを続けた。


 都を襲った怨念の強い悪霊は、恵禅尼が鎮めた者たちだが、怨念に飲み込まれた恵禅尼には、それらを再び鎮めるだけの理性はなく、過去に一族皆殺しに遭った怒りと憎しみが蘇り、恵禅尼本人が凶暴な邪神となって、他の悪霊を操り御門みかどを襲った。玄道は師として、母として慕っていた恵禅尼が、変わり果てた姿となり襲い来るのを必死の思いで食い止め、何とか都から追い出した。沙宅さたく正則まさのりは、残りの悪霊を己に引きつけ、都から外へと誘いだした。それを妻の沙宅さたく美沙みさが追いかけるようにして共に出ていった。二人は悪霊を鎮めたが、そこに恵禅尼が現れ、二人の命を奪った。


 沙宅家の者たちの師である秋麗しゅうれいがすぐに駆け付けたが、すでに二人は命を落とした後だった。邪神となった恵禅尼を捉え、金剛山へ連れて帰り、その魂を霊山の頂に鎮めた。


「けれど、まさか再び恵禅尼が現れたというのなら、その封印が解かれたのでしょう。秋麗様は動かれてはいないのですか?」

「師匠? 近くにはいないよ。師匠が来たらすぐに分かる。玄道は恵禅尼に気をつけろと言ったが、恵禅尼はまだ姿を現してはいない。師匠が、今動くかは分からないが会いに行って相談しよう」


 涼悠が言うと、

「そうですね。それが良いと思います」

 善光尼が答えた。



 涼悠と颯太は、誰も事の真相を語ろうとしなかった話を、まさかここで聞くことになるとは思わなかった。なぜ、この事が誰からも語られなかったのか。涼悠が思うに、命を奪った者が特定されれば、その者に対しての恨みや憎しみを持つからだろう。しかし、真実を知った涼悠は、恵禅尼にそのような想いは抱かなかった。隣にいる颯太を見たが、平静を保っている。そこには怒りや憎しみは感じなかった。涼悠が心配するには及ばなかったことに安堵した。


 善光尼の話で、恵禅尼のことが少しだけ分かった。しかし、どこに身を潜めているのか分からない。


 二人は善光尼たちに礼を言って、その足で秋麗のいる金剛山へ向かった。

「少し急ごう」

 颯太がそう言って、飛翔すると、涼悠も同じように飛んだ。それを、道行く人が見上げて、感嘆の声を上げた。

「仙人だ」


 高度な仙術を身に着けている者は、空を飛ぶことも、瞬時に移動することも可能だが、霊力を消耗するため、頻繁に使うことはない。

「師匠はどのように考えておられるのだろうか?」

 颯太が言うと、涼悠が答えた。

「そんなの俺には分からない。だから会いに行くんだ」

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