第17話

二人が市に買い物に行ったという話は、人々の間で噂になった。


「おい、りょう! お前、やってくれたな」

 その日の昼頃、颯太そうたは昼寝をしている涼悠りょうゆうを叩き起こした。

「なんだよ。せっかく気持ちよく寝ていたのに」

 眠そうに眼をこすりながら涼悠は身体を起こした。颯太は涼悠の部屋へ入り、御簾を下ろした。

「お前、目立ったことをしたな。この後、何が起こるか想像もつかない」

「なんだ? 急に。そんな怖い顔をするな。友達と市へ買い物に行っただけだぞ。そんな大げさに言うなよ」

「誰が友達だって? あいつがそう言ったのか? 違うだろう。お前が勝手にそう言っているだけで」

「俺は何も悪い事はしていない。だから、悪いことなんて起きるはずもない。お前、気にしすぎだぞ」

 涼悠が何と言おうと、颯太は玄道げんどうがよからぬことをするのではないかという懸念は拭い去れなかった。

「まあ、落ち着け。お前や他の者たちには迷惑をかけないから安心しろ」

「安心など出来るか!」

「颯太、座れ」

 涼悠に言われて、仕方なく座った。そしていつも掛けてあった『月下げっか白蓮はくれん』が巻かれて隅に置かれているのが目に入ったが、それについて、颯太は何も言わなかった。

「なんだ? 俺を座らせて、説法でも説く気か?」

「冗談だろう? 俺が説法なんて。冗談はさておき、お前は俺のことをよく知っているだろう? あいつからは悪意は感じられない。今までもそうだし、今日だってそんな気は感じなかった。たとえ玄道が高位の修行者であっても、その法力で俺の力を妨げられない。悪意のない者が人の命を奪うことなどない。俺にはそれが断言できるんだ。もし何か起こったとするならば、あいつが悪意を持ってやった事ではなく、誰かの陰謀にあいつが利用されていると考える方が正しい」

 涼悠がそう言うと、

「ああ、そうだな。お前は正しい。お前のその力があいつは悪人ではないと言っている。だから、あいつは悪人ではない。だから何だ? 悪人ではなく、悪意もない者のせいで人が死んでも、お前はそれは仕方がないとでも言うのか? 大切な人の命が奪われても、お前は恨まないとでも言うのか? 悪意がなければ罪にならないというのか?」

 颯太は怒りを抑えながらも、拳を強く握りしめ涼悠を責めるように言い放った。


 そんな颯太を見て、涼悠は視線を落とし、

「悪かった。俺の軽はずみな行動で誰かが傷つくかもしれないということを考えるべきだった。もう玄道には近づかない。だから、もう怒るな。怒りや憎しみは身を亡ぼす。皆を不幸にする。だから、怒らないで」

 颯太はその言葉を聞いて、はっとした。それは、美優がいつも言っている言葉だった。

「俺も悪かった。声を荒らげてしまった。もう、怒ってはいない。ただ、お前のことが心配なんだ」

 そう言って、涼悠の肩に手を置いた。それは優しく温かいものだった。そう思ったとき、涼悠は「兄ちゃん」と呼んで甘えてみたかったが、きっと颯太に怒られるだろうと、

「分かってる」

 とだけ言った。


 

 その頃、朝廷では重役を担っていた者たちが、流行り病で次々と倒れ、看病の甲斐もなく命が尽きていった。そのため、代わりの者を立てなければならず、朝廷は混乱していた。


 都に住む人々は、死んでいった者たちが今まで何をしてきたか、これは祟りだとか、密やかに話した。

 実際にこの流行り病で死んだのは、己の野心のために人の命を奪った者たちだった。粛清という正当な理由をつければ、人の命を奪ってもそれが正義だと。そんなことが横行している朝廷には、殺された者たちの怨念が渦巻いている。


 沙宅家の者たちは朝廷に呼ばれた。理由はもちろん悪霊退治だ。まず現れたのは、謀反を企んでいると疑いをかけられ自害に追い込まれた皇族だった。先代の御門みかどの崩御により、皇位継承への脅威となる存在を排除する形で、御門も関与していた。自害に追い込まれたのはその男だけではなく、妃とその子らすべてで、男の強い怨念を鎮めることは容易ではなかった。颯太とその父の和幸、二番目の叔父、三番目の叔父が怨霊を包囲し陣の中へ封じたが、それを振り切る勢いで暴れた。

「なあ、あんた。もうそんなに怒るなよ。怒りや憎しみはお前をただ苦しめるだけだ。お前のその強い怨念で、お前の妻や子を縛るなよ。見てみろ、お前の家族の悲しい顔を」

 涼悠はそう言って、男の家族の死霊を指差した。彼らは涼悠の穏やかな霊気に包まれていた。それを目にした怨霊は目から涙を流し、徐々に穏やかな表情になっていく。

「俺がお前たちの魂を天へ送ってやるよ。もう、苦しまなくていいんだ」

 その優しい言葉に、男は薄く微笑むと、涼悠を受け入れ、家族と共にその魂は浄化された。白く淡い光となり、天へ向かってゆらゆらと昇っていく。


 玄道げんどうは常に御門の傍にいるが、御門への恨みを持つ者が多く、それらを祓い鎮めることで手いっぱいだった。人の恨み、憎しみが邪気を呼び、邪悪な者たちまで引き寄せられていた。先日流行り病で死んだ重役たちは邪に呪い殺されたため、強い悪霊と化していた。次から次へと現れる悪霊に玄道が一人で立ち向かっていた。そこへ、涼悠が来て、

「玄道、大人気だな。みんなお前に向かってくるじゃないか。誰か俺にも構ってくれてもいいだろう?」

 と、のん気なことを言って彼らに近付くと、二体の悪霊がこちらを向いた。

「おや? お前たち、この間死んだばかりの有名な兄弟じゃないか。仲良くお出ましとはな。他の二人もいるのか?」

 その悪霊は朝廷で重役を務める有名な四人兄弟で、その一族は皇族との強い結びつきがあり、政権に強い支配力を持っていた。しかし、この四人兄弟の死によって、形勢は崩れかけていた。先ほど涼悠が天へ帰した男の怨念により、呪い殺された四兄弟は理性を無くし、こともあろうか御門を襲ったのだった。彼らの死もまた、皇族の皇位継承の犠牲であったとも言える。そのため、恨みは御門に向けられたのだろう。

「おい、そんなに怖い顔をするな。お前たちはもう死んでいるんだ。恨みを持ってこんなところへ来るべきじゃないだろう? ところで、どっちが兄貴だ? 兄弟四人じゃ、区別がつかないな。まあ、みんなそろって浄化してやる。俺に任せろ」

涼悠は悪霊にのん気に話しかけているが、玄道は残りの二人の兄弟と、悪霊の邪気につられてきた名もない死霊たちを相手にしていて、余裕はなさそうだった。

「お前ら、ちょっと待ってろ」

 涼悠はそう言うと、死霊たちに向かって、

「お前ら、ここは遊び場じゃないんだ。とっとと帰れよ」

 そう言って、手を大きく振って死霊を薙ぎ祓って、玄道の近くまで行った。

「玄道、俺に協力してくれないか?」

 すべての死霊を祓った涼悠を一瞥し、

「分かった。何をすればいい?」

 と素直に従った。なぜなら、玄道はただ御門を守ることさえできればそれで良かったのだから。

「先ずはこいつら四人を縛れ」

 玄道は涼悠に言われた通り、四人を部屋の真ん中へ集め術で縛った。悪霊たちは恨みがましく玄道を睨みつけ、グルグルと獣のように喉を鳴らしている。

「さてと、お前たち。生前は雅な上流貴族だったのに、今の自分の姿を鏡で見てみろ、ひどい姿だ。俺はお前たちを知っている。もっとも気高く上品だったのに、今は獣のようじゃないか。心はどこへ置いてきたんだ? 冷静になれよ。お前たちはもう死んでいるんだ、生前の罪は死によって償われた。もう、誰もお前たちを苦しめたりはしない。俺がさせない。安心しろ」

 涼悠の言葉と共に、柔らかで温かい霊気が悪霊たちに向けられ、それは優しく彼らを包んだ。四兄弟の表情がゆっくりと和らぎ、次第に穏やかになった。そして、ハラハラと涙を流した。涼悠の癒しの力を目の当たりにした玄道と御門は、ただ言葉もなくその光景を見守っていた。

「お前たちを天へ帰してやる」

 涼悠が言うと、彼らはゆっくり頷いた。それを確認すると玄道に言った。

「玄道、術を解いてやってくれ」

「分かった」

 玄道が術を解くと、四兄弟たちは薄く微笑みを浮かべ、涼悠に会釈して天へ昇って行った。

「終わったな。玄道、腹は減っていないか? 飯でも食いに行こう」

 涼悠がのん気に言うと、

「断る。私は御門の御傍に」

 と玄道が言った。それを聞いて涼悠は玄道の後ろに隠れるように身を縮こませている御門がいることに気が付いた。

「御門。ご無事で何よりです」

 御門がいた事に気付かなかったなどと、悟られないように大げさに敬意と安堵を表して見せた。

「沙宅涼悠、見事であった。だが、玄道への誘いは、この場に相応しくない。時と場を弁えよ」

「失礼しました」

 涼悠は深くこうべを垂れた。

「もうよい。事は済んだ。下がりなさい」

 御門の言葉を聞いて立ち上がり、もう一度礼をして部屋をあとにした。

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