第11話

「涼にぃ、颯にぃ、お帰りなさい!」

 海斗、悠斗の双子と、拓真が二人を出迎えて、

「早くご飯を食べよう」

 嬉しそうに二人の手を引いて走った。

「そんなに急がなくても、食べ物は逃げては行かないぞ」

 涼悠りょうゆうは急かす従弟たちにそう言って笑った。それを見て、双子も拓真もほっとしたのだった。


 宴会でもないのに、今日はみんなで集まってなぜか賑やかだった。

「今日は何の日だ? 誰かの誕生日だったか?」

 涼悠は訳が分からずそう言うと、

「涼にぃ、知らないの? 颯にぃが美優姉みゆねえさまに結婚を申し込んだの」

 拓真がにっこり笑って言った。

「え? いつ? おい、颯太!」

 涼悠は驚いて、隣に立っている颯太そうたに聞いた。

「お前には先に言うつもりでいたんだ。けれど、お前が部屋から出てこないし、俺にも事情があるんだ。あとでゆっくり話す」

 そう言って、上座に設けられた席に座った。隣には美優も座っていた。自分だけ知らなかったのは少し不満だったが、姉の結婚は喜ばしかった。かねてより、姉の幸せを望んでいた涼悠は、美優がどんな男と夫婦めおとになるかを気にしていた。大切な姉を幸せにしてくれる人でなければ、認める気はなかったが、相手が颯太なら安心できた。二人は幼い時から仲も良く、颯太が美優を慕っていることも知っていた。美優の気持ちまでは分からなかったが、今、並んだ二人を見ると、美優はこれを望んでいたのだと分かった。


 宴会も終わり、

「それで、俺に何を話して聞かせてくれんだ?」

 涼悠は颯太に聞いた。

「俺が子供の頃、美優姉さまに約束をしたんだ」

 そう言って、颯太は昔、約束した頃の話を語り出した。



 それは、颯太が十歳になった頃だった。美優は色白で長いまつげ縁取ふちどる目は黒目が大きく、幼さの残る顔立ちだが、年下の颯太には大人びて見えて、とても魅力的で恋に落ちるのは必然的だった。美優もまた、年下の颯太が美優を気遣い、常にそばにいて守ってくれている安心感を抱いていた。それはもう既に恋と言えるものだった。そんな二人の淡い想いを、お互いに確認し合うように、時々、冗談のように将来の話しをしていた。

「俺が大人になったら、お嫁に来てくれる?」

 颯太が美優に聞くと、

「もちろんよ。けれど、大人っていつなの?」

 美優は質問した。

「十五歳だ。俺が十二歳になったら修行に行って、十五歳になったら戻ってくる。そしたら、俺はもう大人だ。その時に、また言うよ」

「分かったわ。それまで待っているから。私はもうすぐ十二歳だから、修行に行くわ。しばらく会えなくなるのは淋しいけれど、颯ちゃんのお嫁さんになれるのを楽しみにしている」

 そんな約束をしていた。けれど、修行を終えて、都へ戻っても、颯太は美優にもう一度、結婚の申し込みをするのを躊躇していた。自分が思ったより大人になりきれてはいない。それなのに、美優は気品のある大人の女性になっていた。気後れして、約束を果たせないまま、もうすぐ十五歳が終わってしまうというところまで来てしまっていた。今、言いださなければ、あの時の約束が嘘になってしまう。決意を固めて、美優に再度、結婚の申し込みをしたのだった。


「子供の頃の約束を忘れていなかったのね」

 と言われて、

「忘れるはずがありません。俺はずっと美優姉さまの夫となるために頑張って来たんだ。どんなに苦しい修行も耐えて、美優姉さまを一生お守りするつもりいるのです。この都を守るのも、すべて美優姉さまの為なのです。貴女が幸せに暮らせるように、俺はどんな努力もします。これからもずっと貴女のそばにいます。そして、貴女の笑顔を見ていたいのです。だから、もう一度言います。俺と結婚してください」

 と自分の情熱を語り、跪いて胸に手を当てて言った。

「もちろんよ。私も一生、貴方のそばにいるわ。だから宜しくね」

 美優の言葉に颯太は顔を上げて、

「ありがとうございます」

 と喜びを伝えた。

「颯ちゃん、立って。もう敬語はよしましょう。夫婦なのですから」

 美優が微笑んで言うと、颯太は立ち上がり、

「父上に報告しに行きましょう」

 美優の手を取り、父の元へ行った。



 颯太の語りを聞いたあと、涼悠は何とも言えない思いだった。二人のそんな話を聞くと、むず痒いやら、恥ずかしいやら、今、自分はどんな顔になっているのか想像したくもなかった。説明を求めた涼悠だが、こんなにも近い身内の恋愛話を聞く羽目になってしまったことを、少し後悔した。

「まあ、なんにせよ。お前が姉ちゃんとの約束を守ってくれて良かった。姉ちゃんが幸せなら俺も嬉しいからな」

 涼悠はそう言ったあと、思い出したかのように、

「姉ちゃんの夫っていうことは、颯太、お前は兄ちゃんだな。これからは兄ちゃんと呼ぼう」

 と言った。

「俺は美優姉さまと結婚する前から、お前の兄だろう。呼び方は変えるな! 絶対に兄ちゃん何て呼ぶなよ」

「なんでだよぅ、兄ちゃん」

 涼悠は面白くなって、わざとそう呼んだ。

「だから、やめろって言っただろ!」

「怒るなよ、兄ちゃん」

「やめろ」

 颯太がそっぽを向くと、涼悠は颯太の顔を覗き込み、

「兄ちゃん」

 と呼んで揶揄った。颯太は少し笑って、

「まったくお前は。人を揶揄うのも大概にしろよな」

 と言って、涼悠の肩に手を回した。


 その夜、大正門に施されていた封印が解かれて、門は開け放たれた。それに気付いた沙宅さたく家の者たちは、すぐさま門へ向かった。

 禍々しい邪気を纏う悪霊が一体姿を現した。

「己はどこの者だ? 都人みやこびとではないのに、ここへ何をしに来たのだ?」

 和幸かずゆきが尋ねたが、聞く耳を持たず、地を揺るがす咆哮と共に真っ直ぐ走り出した。その狙いはただ一つ、涼悠めがけて襲いかかった。

「なんだ? お前、俺に何か恨みでもあるのか?」

 まったく恐れる様子もなく、悪霊を呪術の縄でさらりと捉えた。

「俺にはまったく覚えがないが、お前に迷惑をかけたんだったら謝るぞ。さあ、言ってごらんよ。俺がお前に何をした?」

 悪霊は唸り声を上げながらもがいているが、涼悠の質問には答えなかった。

「まあ、いい。お前を連れて帰って、ゆっくり聞いてやるよ。ほら、行くぞ」

 まるで、友人を家に誘うかのように、悪霊を連れて帰った。


 他の者たちは、大正門を閉めて、再び封印を施した。

「まったく、あいつは。勝手にあんなの連れて帰るとは。困ったものだ」

 和幸は呆れて言った。

「涼には考えがある。あれに聞きたいことがあるんだろう」

 颯太には、涼悠が考えていることが分かっていた。このところ、何やら不穏な動きを感じていた。魔除けを削り取られた事、封印が解かれ大正門が二度も開け放たれた事。そこに、誰かの陰謀があると確信していた。涼悠はそれを探ろうとしている。


 涼悠は封魔堂に悪霊を連れて入り、真ん中の陣で縛った。

「さあ、聞かせてくれ、お前は一体どこの誰なんだ?」

 涼悠が質問したが、悪霊は苦しそうにもがき、唸るだけだった。

「なんだ? お前、獣じゃないんだから、人の言葉は話せるだろう?」

 それでも、何も答えなかった。

「お前を縛っているあるじは誰だ? 誰がお前を連れて来たんだ?」

 その質問には、ひどく怯えたように耳をふさいだ。

「そうか、主が怖いんだな? まったく、お前も災難だったな。俺にはその術は解けない。お前はどうしたい? 俺に恨みがあるわけでもないのに、俺を殺したいか?」

 悪霊はもがくのをやめて落ち着いた。

「可哀想にな」

 涼悠が情けをかける言葉を言うと、悪霊は涙を流した。

「悔しいよな、利用されて。お前に術をかけた主はどこにいる? 言葉を話せないように封じられているみたいだな。話せないなら、方向を示せ、主はどこにいる?」

 涼悠の問いかけに、悪霊はある方向を示した。

「宮殿? いや違うな。玄道げんどうか」

 その名を聞くと、悪霊は身震いした。

「そう怖がるな。この世に悪の栄えたためし無し。俺に任せろ。お前の呪縛も解いてやるよ」

 涼悠はいとも簡単なことのように約束したが、厄介な相手であることは否めなかった。現状では、御門みかどの絶大な信頼を受けている玄道の悪行を訴えたとしても、信じてもらえない上に、謀反の疑いをかけられるだろう。まずは、確固たる証拠を集め、慎重に事を進めるしかない。

「ところで、お前はどこから来たんだ?」

 涼悠が聞くと、その方向を示した。

「いつか、家族の元へ帰してやるからな」

 涼悠は翡翠ひすいの玉を手に持ち、

「お前の魂をここへ封印する。我の命に従うならば、その身を委ねよ」

 と言うと、悪霊は黒い煙となり、玉の中へと吸い込まれるように入った。涼悠はそれを小さな巾着袋に入れて、袂へ仕舞った。


 涼悠が封魔堂から出ると、皆が待っていた。

「どうだった? 何か分かったのか?」

 颯太が聞いたが、

「何も分からなかったよ。口を封じられていた。一体誰の仕業なんだろうな?」

 と答えた。



 涼悠は両親が命を落とした日から、決めていることが一つだけあった。これ以上、誰も死なせはしないと。当時、まだ五歳だった涼悠は、両親の命を奪った者がいることに気付いた。それは彼の持つ潜在的な能力によるものだった。姉の美優にそれを話し、怒りを抑えられずに復讐を口にすると、恨みや憎しみは己を滅ぼすものであり、皆を不幸にするだけだと諭された。それでも、涼悠はその感情を抑えることなど出来なかった。そんな時、叔父の和幸が蔵の中で欲しいものがあれば持って行けと言ってくれた。そこで見つけた『月下の白蓮』の掛け軸。その絵が涼悠の心を癒し、怒りを鎮めてくれた。悪霊退治の家に生まれ、その宿命は厳しいものだが、これを全うすることが、己の使命であると五歳にして知った。呪術を学び、元々持っている霊力は並外れて強く、十二歳で修行に行くと、それは更に顕著に表れるようになった。

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