第8話

 陽が落ちると、皆、仕事を終えて作りかけの家の中や、枝でできた家の中で眠った。従者と人足はむしろを敷いて木の下で寝た。

 

 皆が寝静まった頃、涼悠りょうゆうは汗をかいて、服が張り付き不快感で目を覚ました。隣では涼しい顔をして白蓮はくれんが寝ている。起こさないようにそっと牛車ぎっしゃを降りて、川の上流へと向かった。誰もいない川で服を脱いで、洗って木に掛けた。それから身体の汗を川の水で洗い流し、髪を洗った。月の光が照らし、美しい裸体が白く浮かび上がる。

 涼悠が牛車を降りた事に気が付いた白蓮は、そっとあとをつけて来ていた。彼がまた危険な目に遭わないように見守るつもりだったが、彼の美しさについ見惚れてしまった。男の沐浴を盗み見しているなど、知られるわけにはいかないと思い、涼悠に声をかけた。

「涼悠」

 涼悠はその声に振り返った。

「白蓮。お前も身体を洗いに来たのか?」

 と言う、涼悠のその姿が更に美しく、目を少し逸らして白蓮が言った。

「いや、そうではない。お前がいなかったので探しに来たのだ」

「心配してくれたんだな。もう帰るよ」

 白蓮が目をそらした先には、涼悠の濡れた服が木に掛けてあった。

「服も洗ったのだな?」

「汗でべたついていたからな」

「では、乾かそう」

 白蓮が扇子を一振りすると、木に掛った服がふわりと空気を孕んで膨らみ、元に戻るとすっかり乾いた。

「おおっ。凄いな」

 涼悠が感心していると、白蓮は、

「お前の身体も乾かしてあげるよ。さあこちらにおいで」

 と言った。涼悠は裸を見られることを恥ずかしがっていると知られたくなはかったので、身体を隠さず白蓮のそばまで行った。白蓮は扇子を一振りして、涼悠の身体も乾かした。

「さあ、服を着なさい」

 涼悠が服を着ると、

「もう一人では行かないで。出かける時は私に声をかけなさい。姉君からお前のことを任されている。何かあっては困る。さあ帰ろう」

 白蓮がそう言って、涼悠の手を取り歩いた。

「足元に気を付けて」

 月明かりがあっても、木々の陰でほとんど足元は見えなかったが、涼悠には特に問題はなかった。けれど、白蓮に裸を見られたことに動揺し、注意力が削がれて木の根に足を取られ、転びそうになった。白蓮は涼悠の身体を支えて、

「危ない」

 と一言言った。それから、涼悠の背中に手を添えて、膝裏を腕で掬い上げて抱きかかえた。涼悠は白蓮の腕に抱かれると、またあの芳しい花のような香りを嗅ぎたくて、その胸に顔をうずめた。そんな涼悠に白蓮は優しい眼差しを向けながら言った。

「これならもう転ばないだろう」

 涼悠を抱きかかえたまま牛車まで行くと、彼をそっと下した。


「さあ、もう寝なさい」

 白蓮は優しく言って、自分も涼悠の隣に横になった。

「おやすみ、白蓮」

 涼悠は隣にいる白蓮の方に身体を向けて眠った。涼悠の静かな寝息が聞こえて、白蓮はその寝顔に目を向けた。まぶたを縁取る艶やかな長いまつげ婀娜あだやかで、桜桃おうとうのようにふっくらとして潤いのある唇に心を奪われ、引き寄せられるように顔を近づけた。涼悠の微かな息が顔にかかると、それを愛おしそうに吸い、彼に気付かれないようにそっと離れた。


 翌日も家づくりは続き、何人かは畑を作り始めた。

「おおっ。畑を作ってるじゃないか。何を植えるんだ?」

 涼悠りょうゆうが畑仕事をしている男に聞くと、

「ここには大根を植えますが、まだ土が出来ていません。石を取り除いて、土を掘り起こして肥料を混ぜて土を作るんです」

 と答えたが、涼悠にはよく分からなかった。

「そうか、頑張れよ」

 手伝えそうにないので、今度は針仕事をしている女たちのところへ行って、

「服は出来たか?」

 と声をかけた。

沙宅さたく様」

 女たちは手を止めて、涼悠の周りに集まって来た。

「出来上がった服をご覧になります? 綺麗な生地を頂いたので、とても良いものが出来ました」

 涼悠は女たちに手を引かれ、出来上がった服が置いてある場所まで連れて行かれた。

 大工仕事をしている男たちの様子を見ていた白蓮はくれんだが、涼悠が離れて行ったのを気に掛けて目で追った。それは少し淋し気だった。

 涼悠と女たちの楽し気な声が響いてくると、白蓮はもうそれに耐えられず、涼悠のそばまで行って、

「楽しそうだな、涼悠」

 と彼に声をかけた。

「白蓮! 見てよ。彼女たち、すごいんだよ。こんな素晴らしい服をたくさん作ったんだ」

 と、その感動を伝えた。

「そうか。それは良かった」

 白蓮の表情が冴えないのを見て、

「白蓮?」

 涼悠は心配そうに言った。

「そろそろ食事の準備をするから、一緒においで」

 白蓮はそう言って、涼悠の手を引いて女たちから離れた。

「白蓮、何か怒ってるの?」

「怒ってはいない」

「それじゃ、どうしてそんな顔をしているの?」

 白蓮は立ち止まって、振り返り、

「私はどんな顔をしていた?」

 と聞くと、

「こんな顔」

 と言って、涼悠はしかめっ面をして見せた。

「私はそんな顔をしていたのか?」

「そうだよ。こんな顔をしてた。女たちが怖がるぞ」

「すまない……」

 白蓮は落ち込んだように俯いた。

「それで、何があったんだ?」

 涼悠が俯いた白蓮の顔を下から覗き込むと、

「お前が私から離れてしまって……」

 言葉に詰まり、それ以上は言わなかった。

「なんだ、淋しかったんだな。お前は淋しがり屋さんなのか?」

 涼悠は嬉しくて白蓮の背中に手を回し抱き締めた。

「大丈夫だよ。俺はお前のそばにいるって約束したじゃないか」

 人目もは憚らない涼悠の行動は、白蓮にはとても恥ずかしくて、どうしたらよいのか分からなくなった。

「皆が見ている」

 ぽつりと言うと、

「見られても構わない。俺と白蓮が仲良しなことはみんなが知っているよ」

 涼悠は白蓮を見つめて、にっこりと微笑んだ。

「白蓮、俺はお前に一途だから心配しないで」

 涼悠が白蓮を安心させようと言った言葉は、まるで愛の告白のようで、白蓮の色白な頬と耳は赤く染まった。離れたところにいる女たちは、胸がときめいて羨ましそうに見つめていた。


 二人の仲がいい事は周知のことだが、当人同士ではまだ節度を保ち、友人の関係のつもりでいる。涼悠を想う気持ちは恋ではなく、友情なのだと己に言い聞かせて自制していた。それでも、胸がちくりとする瞬間が何とも切なかった。


 その日も暑くて寝苦しい夜だった。涼悠が起き上がると白蓮も起きた。

「暑いのか?」

「うん。汗を流しに行くから一緒に来てくれる?」

「ああ」

 二人で川の上流へ行き、涼悠は白蓮の見ている前で服を脱いだ。

「服を貸しなさい。私が洗おう」

「それじゃ悪いよ」

 涼悠が言うと、

「構わない。お前は汗を流しなさい」

 と白蓮が言った。涼悠は服を白蓮に渡し、川の水を身体に浴びて汗を流した。この日の月は明るく、涼悠の濡れた身体をキラキラと輝かせていた。白蓮は服を洗いながらその美しい裸体に目を向けた。視線はすぐに涼悠に気付かれて、白蓮は目をそらした。

「別に見ても構わない。白蓮に見られるのは初めてじゃないからな」

 涼悠にそう言われて、つい視線を戻した。あまりの美しさに目が離せないでいると、

「見ても構わないとは言ったが、そんなにじっと見られたら、いくら俺でも少し恥ずかしいよ」

 と言って涼悠は笑った。白蓮ははっとして、顔を赤らめて、

「すまない……」

 と謝って、涼悠に背を向けた。それから、洗った服を木に掛けて、扇子で扇いで乾かした。

「謝らなくていい。俺が見ていいと言ったんだから。白蓮、俺の身体も乾かしてよ」

 涼悠は白蓮の近くまで来て、彼の肩を優しく掴んでこちらへ向かせた。

「ほら、早く乾かしてくれよ」

 と涼悠は笑顔で言った。白蓮は扇子を一振りして、涼悠の身体を乾かして、

「服は乾いたから、早く着なさい」

 と言った。

「白蓮は身体を洗わなくていいのか?」

 と涼悠が聞くと、

「この服が私の身体を常に清浄しているので、川で身体を洗う必要はない」

 と答えた。

「え? その服、どうなってるの?」

「霊力が込められている」

「なるほどな。さすが天上人。持っている物は普通じゃないんだな」


 二人は牛車に戻り、しとねを敷いた。

「白蓮がいつもいい匂いの理由が分かったよ。その服が身体を綺麗にしているんだな」

 涼悠はそう言って、隣に横になった白蓮の胸元に顔をうずめて匂いを嗅いだ。

「白蓮は名前の通り、白い蓮の花で、俺は甘い匂いに誘われた蝶だな。俺は白蓮の匂いが好きなんだ。一晩中嗅いでいたい」

 なおも嗅ぎ続けて、白蓮の首筋の肌に鼻を寄せている涼悠に、

「それなら、お前はここで寝なさい」

 そう言って、白蓮は涼悠の身体を抱き上げ、自分の身体の上にのせて胸に抱いた。

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