第5話

 大きな牛車ぎっしゃには牛が一頭と二人の従者がついていて、十俵の米が乗った荷車と、鍋や茶碗、野菜の乗った荷車、そろぞれに馬が一頭と従者が二人ずつついていた。

「それでは、行ってまいります」

 白蓮はくれんが言って、沙宅さたく家の者たちに見送られながら屋敷をあとにした。


「なあ、白蓮。お前の話しを聞かせてくれよ。天上人てんじょうびとってのは神様なのか?」

 涼悠が牛車の中で胡坐をかいてくつろいだ格好で聞くと、

「私は神ではなく、神に仕えている。そして、お前と同じ人だ」

 と答えた。

「え? 人なのか? でも、お前は歳を取らないのだろう?」

「仙術を身に付ければ、歳を取らないと聞いた」

「そうなのか? 俺んとこの叔父さんは仙術を身に着けているが歳を取っている。じいちゃんたちも、仙術を学んだ。みんな歳を取ったぞ」

「では、天界へ行ったからかもしれない。私が天界へ昇ったのは十五の時。今のお前と同じ年頃だ」

「そうか。天界へ行くと歳を取らなくなるんだな。それで、お前、今幾つなの?」

「生まれてから、ちょうど五十年になる」

「叔父さんより年上だな」

 そう言いながら、涼悠は隣に座っている白蓮に顔を寄せてその顔をじっと見つめた。

「なんだ?」

「不思議だな。まったく皺がない。本当に十五歳の白蓮のままなんだな」

 涼悠がそう言ったとき、牛車の車輪が石を踏んで、ガタンと弾んだ。その拍子に、涼悠の身体が白蓮へ倒れ込み、涼悠の顔は白蓮の胸に、そして白蓮は涼悠を気遣い、その身を抱くように包んだ。その時、白蓮からは花のような微かに甘い香りがした。

 この美しく神秘的な白蓮は本当は人ではなく、花の精霊ではないかと涼悠は思った。白蓮に包まれながら彼を見上げると、彼も涼悠を見つめていた。その優しい眼差しに目が離せず、しばらく二人は見つめ合っていたが、涼悠ははっと我に返り、

「ごめん。大丈夫か?」

 と彼に声をかけて、身体を起こした。

「問題ない」

 と白蓮は答えて、いつもの平静な表情に戻った。先ほどの白蓮の眼差しは消えてしまったけれど、涼悠を見つめる眼差しにはなぜか懐かしさを感じていた。彼は一体何者なのだろう? 涼悠の特殊な能力で、人に触れればその人の過去を見ることが出来るが、白蓮は全く見えなかった。それほど白蓮の霊力は強いという証拠だ。そこで涼悠は、白蓮にその過去を語ってもらうことにした。

「もっと、お前の話しを聞かせてよ。お前が生まれてから、天界へ行くまでどんなふうに過ごしていたんだ?」

 涼悠が聞くと、白蓮は語り始めた。



 ここよりの方角にある国で白蓮が生まれたのは、ちょうど今頃の季節の明け方だった。広い敷地に屋敷と蓮池があり、白い蓮の花がポンと音を立てて咲いたという。それが名前の由来だった。白蓮は五歳で学を志し、十歳には仙人の元で修行を始め、十五歳にして天命を知り、天界へと昇ったと、簡潔に話した。


 白蓮の語りは実に簡潔過ぎて、ほとんど一言で終わってしまった。これでは彼の過去は全く分からない。しかし、これ以上の語りは期待できそうになかった。それでも白蓮はこの下界の人々とは違うのだということは分かった。人の世に生まれたことが何かの手違いか、目的をもって生まれたのか、いずれにしても、彼は神となるために今があるのだろうと涼悠は思った。


「白蓮はやっぱり普通の人ではないよ。俺たちとは違う。だから天界へ行ったんだな」

 さらに強い憧れを抱いた涼悠は、目を輝かせて白蓮を見つめた。

「お前って、凄いな」

 そう言う涼悠のあどけない表情を見て、白蓮は心が安らかになるのを感じ、しばらく二人は見つめ合っていた。涼悠は黒目勝ちで、黙っていれば少女のようにも見える可愛らしさ。白蓮は、そう思う己に恥じて、目をそらした。

「どうしたの?」

「なんでもない」

 白蓮がその後、何も話さなくなったので、涼悠はつまらなくて寝転んだ。牛車はガタゴトと細かく揺れ、それが眠気を誘い、そのうち寝てしまった。


 涼悠が目を覚ました時には、まだ牛車がガタゴトと揺れていた。隣には白蓮が胡坐をかいて座っている。

「まだ着かないのか?」

 涼悠が聞くと、

「まだ半分だ」

 と白蓮が答えた。まだ陽は高く、屋形の中は蒸し暑かった。

「暑いなぁ」

 涼悠は堪らず、帯を緩め、胸元を開けた。

「これで汗を拭きなさい」

 白蓮が白い絹の手拭きを出して渡した。

「ありがとう」

 涼悠は手拭きを受け取ると、顔と胸元の汗を拭きとった。それから背中も拭こうとしたが、上手く拭けずに苦労していると、

「私が拭こう」

 そう言って白蓮が手拭きを涼悠から受け取ると、

「背中をこちらへ向けて」

 と言った。涼悠が背中を向けると、白蓮は膝立ちして、襟元から手を入れて背中の汗を拭いた。

「白蓮、ありがとう。それは俺が預かっておくよ。洗って返す」

「構わない」

 そう言って、白蓮は涼悠の汗を拭きとった手拭きを自分のたもとへ仕舞った。

「いや、いや。それじゃ、お前の服が汚れる」

 涼悠はそう言って、手拭きを取り返そうと、白蓮の袂に手を伸ばした。

「お前の汗は汚いものではない」

 白蓮は涼悠の伸ばした手をそっと押し返した。

「お前がそう言うのならいい。それより、本当に暑いな。外の奴らに少し休ませようか」

「そうだな」

 牛車には従者が二人ついて歩いていた。その前を馬が引いている荷車が二つ。それぞれに二人ずつ従者がついていた。

 涼悠が御簾を開け、外を見ると、ただひたすら道が続いているだけで、休める場所もなさそうだった。

「おい、お前ら、疲れただろう。ここらで、いったん止めて、少し体を休めろ。ほら、あの木の下あたりでさ」

 涼悠が従者たちにそう声をかけた。

「はい。ありがとうございます。では、そうさせていただきます」

 一行はそこで、しばし牛車を停めて休んだ。

「しかし、本当に暑いな」

 外を歩く者たちに比べて、楽をしているはずの涼悠がこれほど暑がっているのだから、従者たちがどれほど暑い思いをしていたことだろう。

 白蓮は牛車から降りると、木陰で休んでいる従者たちへ近づき、

「暑かったでしょう? 私たちのためにご苦労様でした」

 と、労いの言葉をかけると、彼らは一様に驚いた。従者たちの身分は低く、天上人を見る事もおこがましいとさえ思っていた。

「いえ、お気遣い頂くには及びません」

 と恐縮し、地べたに頭がつくほどひれ伏した。

「おい、白蓮。彼らを困らせるなよ。静かに休ませてやれ。見てみろ、額に土がつくまでこうべを垂れている」

 涼悠も牛車から降りて来て、白蓮を連れてまた牛車へと戻った。

「白蓮、お前、涼しそうな顔をしているな。汗もかいていないじゃないか。お前だけずるいぞ。何か涼しくなるものでも持っているのか?」

 涼悠が聞くと、

「扇子なら持っている。扇いでやろう」

 帯に差していた扇子を取って広げると、薄浅葱色の布地に白い蓮の花が描かれていて、いかにも白蓮の持ち物に相応しいものだった。

「おおっ、いい物持っているじゃないか。扇いでくれよ」

 涼悠はそう言って、白蓮の近くに顔を寄せた。すると、白蓮は扇子をゆっくりと動かして扇いだ。その風は柔らかく、そして涼やかに、汗の乾かぬ涼悠の顔の熱を冷ました。

「ああ、なんて気持ちがいいんだろう」

 涼悠は顔だけでなく、身体も暑くて堪らなかったので、また帯を緩め、胸元を開けて、

「ここも扇いでくれ」

 とあられもない格好で、白蓮にねだった。

「分かった」

 そんな涼悠の姿にも、顔色を変えずに、涼悠が満足するまで扇ぎ続けた。


 涼悠の汗もひき、十分に休んだ従者たちに声をかけ、一行はまた目的の地へ向けて歩みを進めた。

 牛車に揺られながら、涼悠は白蓮を見つめて、

「お前は暑くはないのか? 天上人は暑さを感じないのか?」

 と不思議そうに尋ねた。

「心を落ち着かせ、無になることで暑さも寒さも凌げるのです」

 と白蓮が答えると、

「それは俺には出来ないことだな。俺はお前と違って雑念だらけだからな」

 と涼悠は笑った。


 白蓮の優しい眼差しが向けられていることに涼悠は気付いてはいなかった。


 しばらくすると、また、涼悠は単調な揺れにまどろみ始めて、ゆらゆらと揺れた。倒れそうになったのを、白蓮がそっと支えると、涼悠の頭は白蓮の腿の上に。そしてそのまま、眠りについた。

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