第4話

 白蓮はくれんを家に連れ帰ると、涼悠りょうゆうのお気に入りの蓮池へ連れて行った。

「ねえ、見てよ」

 そこには清らかでいて美しく、そして厳かに白い蓮の花が咲いていた。

「綺麗だろう? 俺はこの花が好きなんだ。お前の名前と同じ白蓮だ」

 涼悠は嬉しそうに言った。

「私も好きです」

 白蓮がそう言うと、

「お前もそう言うだろうと思ったよ」

 涼悠はより一層、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。その眩しいほどの笑顔は、白蓮を魅了して目が離せず、しばらく見つめていた。その顔は薄く微笑んでいて、それを見た涼悠は嬉しそうに、

「お前も笑うんだな」

 と言って白蓮の手を取り走ると、縁側から履物を脱ぎ棄てて上がった。

「今度は俺の部屋だ。ほら、靴を脱いで上がって」

 言われた通り、白蓮も履物を脱いで揃えると、涼悠がまた彼の手を取り、縁側を走り、自分の部屋へと連れて行った。

「ここだ」

 御簾を上げると、あの掛け軸が真正面に見える。白蓮を部屋へ入れると、御簾を下ろした。

「ほら、座ってよ」

 白蓮を掛け軸の前に座らせて、

「見て、この絵。誰だか分かるか?」

 涼悠が聞くと、

「私だ」

 と白蓮が答えた。

「そうだよ、お前だ。俺が一番大切にしている物だよ。十年前にこの絵を貰ってから、ずっとここに掛けてあるんだ。毎日見ている。俺はこの絵が好きなんだ。お前はこの絵と同じだ。こんなによく描けているんだから、これを描いた奴はお前のことをよく見ている。残念だが、描いたのが誰なのかは分からない」

 涼悠が一番大切にしている、毎日見ている、この絵が好きと言うのを話しているのは、それに恋焦がれていると言っているように聞こえる。それはつまり、白蓮に恋をしているという意味に捉えられる。涼悠の熱烈な想いを聞いていた白蓮は、嬉しい気持ちと、少し恥ずかしくて顔が熱くなった。


 涼悠が言うようにその掛け軸には署名がなかった。いつ描かれたものかも記されてはいない。涼悠がこの絵を貰ったのは十年前で、両親を亡くし、ふさぎ込んでいる時だった。沙宅さたく家の蔵には数多くの美術品があり、それらは悪霊退治の際、金品の代わりに納められたものだった。叔父がある日、涼悠を蔵に連れて行き、この中で欲しいものがあれば持っていきなさいと言った。その時に見つけたのが、この『月下げっか白蓮はくれん』だった。そんな話を、白蓮に話して聞かせた。


「そうだったのか。貴公のご両親はもうすでに居られないとは……」

 白蓮は、まだ幼さの残る涼悠を憐愍れんびんの表情で見つめた。それに気付いて、

「おい、おい。そんな目で見るなよ。俺はもう大丈夫だ。この絵が俺に癒しをくれたんだ。そして今は、お前がここにいる。俺はお前に会えてすごく嬉しかったんだ。夕べは無礼を働いて悪かったよ」

 同情は要らないと暗に示し、ついでに謝罪した。

「私も今、無礼を働いた。貴公を哀れむような事は言うべきではなかった」

 白蓮は哀れむ事は無礼であったと謝罪した。

「なら、お互い様だな。仲よくしよう」

 涼悠は白蓮の手を取り、両手で握った。

「これからは、俺のことを名前で呼んでよ。友達なんだからさ」

 白蓮は、にっこりと笑う涼悠を見つめ、どうしたらよいかと戸惑った。

「白蓮? どうしたんだ? ほら、俺の名を呼んでみてくれよ」

 急にそう言われて、少しの恥ずかしさを覚え、白蓮は小さく、

「涼悠」

 と呼ぶと、色白の白蓮の頬と耳がほんのりと赤らむ。

「なあに? 白蓮」

 涼悠は手を握ったまま、顔を近づけて言う。返事に困った白蓮は、

「ただ、名を呼んだだけだ」

 と、ぽつりと言った。

「うん。嬉しいよ」

 涼悠がそう言ったとき、御簾が急に巻き上げられ、

「涼! 客人を自分の部屋へ連れ込んだのか! まったく隙もないな。白蓮殿、うちの愚弟が失礼しました。どうぞこちらにいらしてください」

 颯太そうたが涼悠を怒鳴りつけ、白蓮を連れて行った。

「何だよぅ。俺の白蓮を連れて行くな!」

「失礼だぞ!」

 涼悠の言葉に、呆れながら、

「本当に申し訳ない。涼悠はまだ子供なんです」

 と白蓮に言い訳をした。颯太は涼悠を怒鳴りつけはするが、それも兄としての愛情だった。自分が責めることで、他の者から責められないようにと。

「気にしていません」

 白蓮も涼悠に慣れてきたようだ。


 広間には、白蓮を歓迎するため、親戚が集まっていた。沙宅家の敷地は広く、本家も分家もそれぞれの屋敷を持ち、ここで共に暮らしていた。

「白蓮殿、この度は当家へお越し頂き、幸甚の至り。我々一堂からの歓待を御受けください」

 当主である和幸かずゆきが言うと、

「私のために、このような盛大なおもてなし、痛み入ります」

 と白蓮も謝辞を述べた。その後は皆で、楽しく会食し、白蓮の周りには大人たちが集まり、彼の話しを聞きたがった。

「おい! 俺の白蓮を囲むなよ」

 涼悠がそう言って、割って入ろうとしたが、

「大人の話しをしているんだ。お前はあっちに行ってろ!」

 と追い払われた。

「何だよ。おじさんたちも白蓮と仲良くなりたいんだろう。俺も白蓮と話がしたいのに、ずるいぞ!」

 涼悠は悔しそうにそう言った。

「仕方ないだろう。白蓮は天上人なんだ。下界に降りてくることなんてめったにない。誰だって、白蓮と話したいんだよ」

 颯太はそう言って、涼悠をなだめた。

「そうよ、涼ちゃん。おじさんたちは今日しか会えないかもしれないのよ。でも、あなたは白蓮様と一緒に行くのでしょう? だから、今日は我慢しなさい」

 焼きもちを焼く涼悠に、暖かい眼差しを向けて美優みゆも言った。


「涼にぃ! 外で遊ぼう」

 そう言って駆け寄って来たのは従弟の悠斗ゆうと

「颯にぃも、行こうよ」

 と言ったのは海斗かいと。二人は双子で、二番目の叔父の子。涼悠と颯太は双子に手を引かれ外に連れ出された。

「俺も行く!」

 と飛び出してきたのは、三番目の叔父の子の拓真たくま。双子より年下だ。

「よ~し。鬼ごっこするぞ。俺が鬼だからな。みんな逃げろ!」

 涼悠が言うと、双子と拓真はわ~っと声を上げて走り出したが、颯太は呆れたように腕組みして立っている。

「颯太、逃げないのか? すぐに捕まえるぞ」

 そう言って、颯太の腕を掴もうと手を伸ばしたが、ひょいと躱され、

「お前なんかに捕まるかよ!」

 と跳躍し、屋根の上に上った。

「言ったな! お前なんてすぐに捕まえてやる」

 涼悠も飛び上がって、屋根に上った。

「お~い。涼にぃ、颯にぃ、屋根に上るのは禁止だぞ! 降りて来てよ」

 悠斗が言った。双子と拓真は屋根に飛び乗ることは出来なかった。双子はまだ修行に行っておらず、仙術を身につけてはいない。彼らより年下の拓真も同様だった。

「そうだったな。颯太も降りろよ」

 そう言って、涼悠は屋根から降りると、油断していた一番年下の拓真をあっさり捕まえて小脇に抱えた。

「拓真、捕まえたぞ」

 涼悠が言うと、

「大人げないぞ!」

 颯太が非難した。

「だって、こいつが一番捕まえやすいんだ。当然だろう。拓真はここで待ってろ。すぐに双子も捕まえてやる」

 そう言って、地面に円を書いてその中に拓真を下ろすと、海斗を追いかけて行った。海斗は声を上げて走り出して蓮池を周り、岩や低木をぴょんぴょん飛び越えていく。小柄で身軽なだけに、すばしっこいが、涼悠が追い付けないはずもなく、

「ほら、捕まえるぞ」

 と捕まえるふりをして楽しんでいたが、やっぱり捕まえないと面白くないので、

「海斗、捕まえた!」

 と簡単に捕まえて、海斗を右腕に抱えた。それから悠斗を追いかけて、あっさり捕まえた。

「悠斗、捕まえた!」

 悠斗を左腕に抱えて、

「両手が塞がったな。颯太は足で捕まえてやる」

 涼悠は二人を抱えたまま、颯太を追いかけた。

「馬鹿だな涼、俺を足で捕まえられるわけがないだろう」

 颯太はそう言って、笑いながら逃げ回った。

「涼にぃ、足じゃ無理だよ。俺たちを降ろしてよ」

 海斗が言って、

「そうだぞ、いくら涼にぃでも、足じゃ無理だ」

 と悠斗も言った。涼悠は無理だと言われると、意地になる性格なので、何としても足で颯太を捕まえようと、執拗に追いかけた。

「はははっ。涼にぃ、頑張れ、頑張れ!」

 拓真は楽しそうに涼悠を応援した。子供たちのはしゃぐ声は賑やかに響いていた。


「涼悠」

 そこへ白蓮が来て、涼悠の名を呼んだ。それは静かで落ち着いた声だが、涼悠の耳にはしっかりと聞こえた。足を止めて振り返り、

「白蓮!」

 嬉しそうにその名を呼んだ。白蓮は蓮池の向こう側にいて、そこまでの距離は六丈ろくじょうほどあるが、涼悠は双子を抱えたまま、それを軽々飛び越えた。

牛車ぎっしゃが用意できたようです」

 白蓮が言うと、

「それじゃ、そろそろ出発だな」

 そう言って、双子を降ろした。

「涼にぃ、いつ帰って来るの? 俺たち、三月後みつきごには修行に行くんだぞ。それまでには帰って来るんだよな?」

 海斗が心配そうに言った。

「ああ、もちろんだ」

 涼悠は海斗と悠斗の頭に手を置いて、

「なあ、白蓮」

 と言うと白蓮が答えた。

「はい、一月ひとつきほどで帰るつもりです」


「白蓮殿」

 拓真を小脇に抱え、颯太も蓮池を飛び越えて来た。

「発たれるのですね? お見送りを」

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