月光の白涼

白兎

第1話

 も深く闇に沈んだ都は邪気で埋め尽くされていた。人々は門戸を閉ざし、死霊が波のように押し寄せる不気味な気配に息を潜めている。


 そこへ空からまばゆい光がゆらりと地上へと降り立つ。すると、そこから光の波紋が広がり、一帯を埋め尽くしていた死霊がすべて消し飛んでいった。それはあまりにも絶大な力で、人の所業とは思えないほどだった。死霊が消えた大路おおじの真ん中に、白い人影が淡い光を放ち立っている。

「さすが! 聞きしに勝るとはこの事だ。まさか本当にいたんだな。天上人てんじょうびと月下げっか白蓮はくれん

 白い人影に向かってそう言いながら、暗い小路こうじから一人の少年が、腰に手を当ててのん気に歩いてきた。少年は少し癖のある長い黒髪を下ろしていて、顔周りの髪は無造作に後ろで纏めている。その声に白い人影が振り向くと、長い黒髪がふわりと軽やかに動く。背が高く清らかで美しい立ち姿のその人は、真っ白な服を纏い、真っすぐとこちらを向いた顔は、この世のものとは思えぬほど美しい。月光を背に浴びているはずなのに、彼の顔には影はなく、その身から発せられる霊気が淡く光り、その姿は良く見える。色白の肌に、涼やかな瞳は深い青色に輝き、綺麗な形の唇は桜の花びらのよう。しかしその顔には笑みはなく、憂いを含んでいるように見える。この白蓮が下界へ降りて来るのを見るのは珍しく、こうして出会えたことは正に幸運と言える。都に姿を見せるのは十五年ぶりだが、彼を一度でも目にしたことがある者ならば、どれほどの時を経ても、この姿を忘れることはないだろう。


「貴公こそ噂に違わず。沙宅さたく涼悠りょうゆう殿、そちらも死霊をすでに退治したのだろう」

 白蓮が言葉を返す。名を呼ばれた涼悠は、都ではその名を知らぬ者はいない悪霊退治の術者だった。大路の真中まんなかに立つと、涼悠の姿が月明かりに照らされた。暗めの青いほうを纏い、その下には鮮やかな青い服を着ていた。背の高さはあまり高くなく華奢な身体つきで、誰もが愛さずにはいられないほど、愛くるしい顔立ちをしていた。まぶたを縁取る長いまつげに、黒く大きな瞳はキラキラと月明かりに輝き、にっこりと微笑むその唇は、赤く熟れた桜桃おうとうのようにつややかで、黙っていれば少女のよう。

「俺の名声が、まさか天界にも届いていたとはな。これは自慢できる」

 と得意満面の涼悠の言葉に、

「私が貴公を知っているだけで、天界の神々は知らないだろう」

 さらに、白蓮は真面目に返した。それを聞いて涼悠は、

「俺の冗談を真に受けて、真面目に返すなんて面白いな」

 と笑いながら白蓮に歩み寄った。

「……」

 白蓮はこの馴れ馴れしさと、無礼な態度に言葉もなく、ただ呆れている様子だった。

「なあ、これから酒に付き合ってくれないか?」

 そんな白蓮の反応には、お構いなしに誘うと、

「酒は飲まない」

 と軽く断った。

「なら、飯を食いに行こう」

 断られたとも思っていない涼悠は、白蓮により近づき、肩に手を回そうとした。ここまで無遠慮な態度に、白蓮は身を躱して、

「私は行かない」

 とはっきり断った。隙のない白蓮に躱されたあと、涼悠はするりと身を翻し、反対の肩に手を置いた。その瞬間、白蓮からは微かに甘い花のような香りがして、涼悠の鼻をくすぐった。白蓮は涼悠の身のこなしに驚き、その手を掴み、

「無礼だ」

 と一言言った。

「どうしてさ。友達を飯に誘って、何が悪いんだ?」

「友達ではない」

 白蓮は眉を寄せて、不快感を示している。二人は明らかに初対面で、言葉を交わすのも初めてだ。それなのに、涼悠が友達と言ったことが、まったく理解できなかった。


「ほら、行くぞ。すぐそこだ」

 涼悠にはまったく悪意はないと知ると、白蓮は仕方なくついて行った。誰もいない広い大路を二人並んでしばらく歩いて小路へ入ると、両側の塀が月明かりを遮り、影を作っていた。その暗い小路をしばらく歩いて、ある屋敷の前で足を止めた。都には近隣から単身で来ている者も多かったため、料理を出すこの酒屋は、常に客でいっぱいだが、今日は死霊に怯えて店を閉めていた。その閉ざされた門を叩いて、

「女将! 飯を食いに来たぞ」

 と声をかけた。

「店は閉まっている。無理を言ってはいけない」

 白蓮はそう言って止めたが、

「おい! 早く店を開けろって! 死霊は俺がすべて退治したからもう怖がる必要はないんだって」

 と、なおも呼びかけた。涼悠はどさくさに紛れて、一人で死霊を退治したような口ぶりで言った。そんな彼の言葉を聞くと、やっと店の者が門を開けた。

「沙宅様、こんな夜分にお越しになるとは……」

 使用人は迷惑そうな顔で言ったが、その後ろから人好きのする顔の中年女性が喜び勇んで出て来て、

「これは沙宅様。悪霊はもう退治してくださったのですね?」

 そう言って、安全であるかを確かめた。

「もちろんだ。しかし、あれは悪霊などではない。死者の霊で、悪意はない」

「そうでしたか」

 女将は涼悠の言っている意味はよく分からなかったが、都に溢れていた死者の霊が退治されたことに安堵した。


「腹が減った。適当に持ってきてくれ」

 涼悠が言うと、女将は涼悠の隣にいる白い人を見た。その美しい容姿に目を奪われ、しばらく動きを止め見つめていた。女将はその人が誰かは一目で分かったが、彼をその目で見るのは初めてだった。話しに聞いた通りの世にも美しい天上人が、まさか自分の店に来てくれるとは、夢でも見ているかのようで、心がどこかへ飛んでしまって、ぼんやりとした。

「おい、何をしている。早く何か持って来いってば」

 涼悠の言葉に、はっとして我に返った女将は、

「今お持ち致します」

 と言って、奥へと入っていった。

「貴公、その態度を改めなさい。客であっても、それはあまりにも横柄です」

 白蓮はたしなめたが、

「なんでだ? 別に構わないだろう」

 まったく意に介さぬ様子を見て諦めた。

「なあ、天界って、どんな感じなんだ?」

 卓に肘をついて涼悠が聞くと、

「神々が居られる」

 と白蓮が答えた。

「それは知ってる。楽しい事とかあるのか? 美味しい料理とか、歌や踊りとか」

 涼悠は目を輝かせて白蓮を見つめて、彼の答えを期待して前のめりになって聞く。

「祝いの時には宴もある。その時には料理も特別で、歌や踊りもある。それを楽しいというのかは分からない」

「それは楽しい事だろう。お前は楽しくないというのか?」

 涼悠にお前と呼ばれた白蓮は、また眉を寄せた。涼悠はそんな白蓮の表情を見ても、まったく動じることもなく、

「お前って、面白いな」

 と嬉しそうに笑みを浮かべて言った。涼悠は白蓮がどんな顔をしても、何を言っても、そのすべてが自分に向けられているだけで嬉しかった。


「お待たせ致しました。今はこれしかありませんが、宜しいでしょうか?」

 突然の来客で、慌てて用意した料理は、さほど悪くはなかった。それを見ると、

「おお、旨そうだ」

 涼悠は嬉しそうに箸を取って食べ始め、

「酒も持ってきてくれ」

 と女将に言った。

「お前も遠慮なく食えよ。金は俺が払うから」

 涼悠がそう言うと、

「いえ、私が払います」

 白蓮が言う。

「遠慮するな。どうせつけだ。それより、今夜の宿は取ったのか?」

「まだです」

 白蓮が答えると、

「おい! 女将。宿を一部屋頼む」

 と、女将に声をかけた。すると女将は、酒を持ちながら奥から出て来て、卓に置くと、

「今、お部屋をご用意致します」

 そう言って、外へ出ていった。


 しばらくして、

「お部屋の用意が出来ました。ご案内致します」

 と二人を部屋へ案内した。その部屋は離れの個室で、こじんまりとしていたが、二人で泊まるには十分の広さがあった。

「こちらです。お食事はお部屋へお持ち致します。どうぞごゆっくり」

 履物を脱いで部屋へ入ると、屏風の向こう側にしとねが敷かれ枕が二つあった。それを見た涼悠は可笑しくて吹き出した。

「女将の奴、変な気を遣って」

 その時、こちらへ向かう足音が聞こえた。それに気付くと、

「ほら、座れよ」

 白蓮を促し、座らせて、

「髪に枯れ葉が」

 そう言って、わざと近付き、白蓮の間近に顔を寄せ、髪に手を伸ばしたところで、

「失礼します」

 と言って、女中が御簾を巻き上げ、部屋の二人の姿を目にした。二人は親密な関係のように見えて、女中は顔を赤らめ、慌てて、

「失礼しました!」

 と俯いた。

「料理はそこへ置いてくれ」

 涼悠がそう言うと、部屋の入口付近に料理の乗った膳を置いて、御簾を下ろすと、逃げるように去っていった。それを見て涼悠は、

「見たかあの顔!」

 と腹を抱えて、大笑いした。

「人を揶揄ってはいけない」

 と白蓮はたしなめたが、

「何でだ? 面白いだろう?」

 とまったく反省の色も見せない。本人に悪意がなく、ただ楽しんでいるのだと知ると、彼を諭すのは難しいと悟った。それでも、

「私は面白いとは思いません」

 きっぱりそう言って、厳しい表情で彼を咎めた。

「じゃあ、お前は何を面白いと思うんだ?」

「……」

 何を聞きたいのか、意図が分からず、白蓮は返事をしかねた。

「つまんない奴だなぁ」

 涼悠は、自分の遊びに付き合ってもくれない白蓮を残念そうに見つめた。その時、何かに気付いて、さっと立ち上がった。

「お迎えが来たようだ。俺は帰るぞ」

「泊まらないのか?」

 褥が敷いてある方をちらりと見て白蓮が言うと、

「俺には帰る家がある。だが、お前が淋しいなら、一緒に寝てやってもいいけど?」

 涼悠が、にやりと笑って言うと、

「帰りなさい」

 白蓮は冷たい表情で言葉を返した。彼がまた人を揶揄って遊んでいる様子に呆れているようだった。そんな表情にすら、涼悠は楽しくてたまらないと笑って、

「じゃあ、また明日!」

 嬉しそうに言って、部屋をあとにした。

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