月光の白涼
白兎
第1話
そこへ空からまばゆい光がゆらりと地上へと降り立つ。すると、そこから光の波紋が広がり、一帯を埋め尽くしていた死霊がすべて消し飛んでいった。それはあまりにも絶大な力で、人の所業とは思えないほどだった。死霊が消えた
「さすが! 聞きしに勝るとはこの事だ。まさか本当にいたんだな。
白い人影に向かってそう言いながら、暗い
「貴公こそ噂に違わず。
白蓮が言葉を返す。名を呼ばれた涼悠は、都ではその名を知らぬ者はいない悪霊退治の術者だった。大路の
「俺の名声が、まさか天界にも届いていたとはな。これは自慢できる」
と得意満面の涼悠の言葉に、
「私が貴公を知っているだけで、天界の神々は知らないだろう」
さらに、白蓮は真面目に返した。それを聞いて涼悠は、
「俺の冗談を真に受けて、真面目に返すなんて面白いな」
と笑いながら白蓮に歩み寄った。
「……」
白蓮はこの馴れ馴れしさと、無礼な態度に言葉もなく、ただ呆れている様子だった。
「なあ、これから酒に付き合ってくれないか?」
そんな白蓮の反応には、お構いなしに誘うと、
「酒は飲まない」
と軽く断った。
「なら、飯を食いに行こう」
断られたとも思っていない涼悠は、白蓮により近づき、肩に手を回そうとした。ここまで無遠慮な態度に、白蓮は身を躱して、
「私は行かない」
とはっきり断った。隙のない白蓮に躱されたあと、涼悠はするりと身を翻し、反対の肩に手を置いた。その瞬間、白蓮からは微かに甘い花のような香りがして、涼悠の鼻をくすぐった。白蓮は涼悠の身のこなしに驚き、その手を掴み、
「無礼だ」
と一言言った。
「どうしてさ。友達を飯に誘って、何が悪いんだ?」
「友達ではない」
白蓮は眉を寄せて、不快感を示している。二人は明らかに初対面で、言葉を交わすのも初めてだ。それなのに、涼悠が友達と言ったことが、まったく理解できなかった。
「ほら、行くぞ。すぐそこだ」
涼悠にはまったく悪意はないと知ると、白蓮は仕方なくついて行った。誰もいない広い大路を二人並んでしばらく歩いて小路へ入ると、両側の塀が月明かりを遮り、影を作っていた。その暗い小路をしばらく歩いて、ある屋敷の前で足を止めた。都には近隣から単身で来ている者も多かったため、料理を出すこの酒屋は、常に客でいっぱいだが、今日は死霊に怯えて店を閉めていた。その閉ざされた門を叩いて、
「女将! 飯を食いに来たぞ」
と声をかけた。
「店は閉まっている。無理を言ってはいけない」
白蓮はそう言って止めたが、
「おい! 早く店を開けろって! 死霊は俺がすべて退治したからもう怖がる必要はないんだって」
と、なおも呼びかけた。涼悠はどさくさに紛れて、一人で死霊を退治したような口ぶりで言った。そんな彼の言葉を聞くと、やっと店の者が門を開けた。
「沙宅様、こんな夜分にお越しになるとは……」
使用人は迷惑そうな顔で言ったが、その後ろから人好きのする顔の中年女性が喜び勇んで出て来て、
「これは沙宅様。悪霊はもう退治してくださったのですね?」
そう言って、安全であるかを確かめた。
「もちろんだ。しかし、あれは悪霊などではない。死者の霊で、悪意はない」
「そうでしたか」
女将は涼悠の言っている意味はよく分からなかったが、都に溢れていた死者の霊が退治されたことに安堵した。
「腹が減った。適当に持ってきてくれ」
涼悠が言うと、女将は涼悠の隣にいる白い人を見た。その美しい容姿に目を奪われ、しばらく動きを止め見つめていた。女将はその人が誰かは一目で分かったが、彼をその目で見るのは初めてだった。話しに聞いた通りの世にも美しい天上人が、まさか自分の店に来てくれるとは、夢でも見ているかのようで、心がどこかへ飛んでしまって、ぼんやりとした。
「おい、何をしている。早く何か持って来いってば」
涼悠の言葉に、はっとして我に返った女将は、
「今お持ち致します」
と言って、奥へと入っていった。
「貴公、その態度を改めなさい。客であっても、それはあまりにも横柄です」
白蓮は
「なんでだ? 別に構わないだろう」
まったく意に介さぬ様子を見て諦めた。
「なあ、天界って、どんな感じなんだ?」
卓に肘をついて涼悠が聞くと、
「神々が居られる」
と白蓮が答えた。
「それは知ってる。楽しい事とかあるのか? 美味しい料理とか、歌や踊りとか」
涼悠は目を輝かせて白蓮を見つめて、彼の答えを期待して前のめりになって聞く。
「祝いの時には宴もある。その時には料理も特別で、歌や踊りもある。それを楽しいというのかは分からない」
「それは楽しい事だろう。お前は楽しくないというのか?」
涼悠にお前と呼ばれた白蓮は、また眉を寄せた。涼悠はそんな白蓮の表情を見ても、まったく動じることもなく、
「お前って、面白いな」
と嬉しそうに笑みを浮かべて言った。涼悠は白蓮がどんな顔をしても、何を言っても、そのすべてが自分に向けられているだけで嬉しかった。
「お待たせ致しました。今はこれしかありませんが、宜しいでしょうか?」
突然の来客で、慌てて用意した料理は、さほど悪くはなかった。それを見ると、
「おお、旨そうだ」
涼悠は嬉しそうに箸を取って食べ始め、
「酒も持ってきてくれ」
と女将に言った。
「お前も遠慮なく食えよ。金は俺が払うから」
涼悠がそう言うと、
「いえ、私が払います」
白蓮が言う。
「遠慮するな。どうせつけだ。それより、今夜の宿は取ったのか?」
「まだです」
白蓮が答えると、
「おい! 女将。宿を一部屋頼む」
と、女将に声をかけた。すると女将は、酒を持ちながら奥から出て来て、卓に置くと、
「今、お部屋をご用意致します」
そう言って、外へ出ていった。
しばらくして、
「お部屋の用意が出来ました。ご案内致します」
と二人を部屋へ案内した。その部屋は離れの個室で、こじんまりとしていたが、二人で泊まるには十分の広さがあった。
「こちらです。お食事はお部屋へお持ち致します。どうぞごゆっくり」
履物を脱いで部屋へ入ると、屏風の向こう側に
「女将の奴、変な気を遣って」
その時、こちらへ向かう足音が聞こえた。それに気付くと、
「ほら、座れよ」
白蓮を促し、座らせて、
「髪に枯れ葉が」
そう言って、わざと近付き、白蓮の間近に顔を寄せ、髪に手を伸ばしたところで、
「失礼します」
と言って、女中が御簾を巻き上げ、部屋の二人の姿を目にした。二人は親密な関係のように見えて、女中は顔を赤らめ、慌てて、
「失礼しました!」
と俯いた。
「料理はそこへ置いてくれ」
涼悠がそう言うと、部屋の入口付近に料理の乗った膳を置いて、御簾を下ろすと、逃げるように去っていった。それを見て涼悠は、
「見たかあの顔!」
と腹を抱えて、大笑いした。
「人を揶揄ってはいけない」
と白蓮は
「何でだ? 面白いだろう?」
とまったく反省の色も見せない。本人に悪意がなく、ただ楽しんでいるのだと知ると、彼を諭すのは難しいと悟った。それでも、
「私は面白いとは思いません」
きっぱりそう言って、厳しい表情で彼を咎めた。
「じゃあ、お前は何を面白いと思うんだ?」
「……」
何を聞きたいのか、意図が分からず、白蓮は返事をしかねた。
「つまんない奴だなぁ」
涼悠は、自分の遊びに付き合ってもくれない白蓮を残念そうに見つめた。その時、何かに気付いて、さっと立ち上がった。
「お迎えが来たようだ。俺は帰るぞ」
「泊まらないのか?」
褥が敷いてある方をちらりと見て白蓮が言うと、
「俺には帰る家がある。だが、お前が淋しいなら、一緒に寝てやってもいいけど?」
涼悠が、にやりと笑って言うと、
「帰りなさい」
白蓮は冷たい表情で言葉を返した。彼がまた人を揶揄って遊んでいる様子に呆れているようだった。そんな表情にすら、涼悠は楽しくてたまらないと笑って、
「じゃあ、また明日!」
嬉しそうに言って、部屋をあとにした。
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