第6話 仙術

 「破片集めたけど、これでいいの?」

 菊花の両手の中には、破片が入れられた木箱がある。それを、そっと卓の上に置く。もう一度落として、さらに粉々に砕ける自体は避けたいので、彼女にしては珍しく慎重である。

 やっと、自分が何をしでかしたのかわかってきているのだ。これでも成長している。

 「ああ、いいぞ。ちょっと下がってろ、こっち来い」

 「はいはーい」

 適当に返事をしつつ、菊花は青年の後ろに回り、深衣を引っ張るように掴んだ。

 「菊花、伸びるからやめろ」

 「伸びてりゃいいでしょ、

 「いきなりどうしたんだよ……。仙力使うんだからはーなーせ」

 「黄仙は動きづらくても仙術上手く使えるからいーでしょ!いいから私の言うとおりにしなさい!」

 菊花に声を荒げられると、彼女に対して罪悪感という名の甘さを持つ青年は簡単に折れてしまう。希死念慮以外は。

 と言うわけで、この世界、仙人たちの楽園、仙境において、幼子に服の袖を持たれながら花瓶を青年姿の仙人が誕生した。

 そう、青年が今から行おうとしている技は時探り。時空を歪め、理を新たにする、戦術の中でも最難易度の技。

 花瓶のときを割れる前に戻す術。

 決して世の中には使えない、使ってはいけないもの。

 息をひとつ短く吸い、青年は感傷を切り捨てた。仙術は繊細だ。雑念はいらない。

 「……はあ、始めるぞ」

 「ん」

 返事未満の音が帰ってきたのを聞き、青年は手を広げ、花瓶の破片を緩やかに覆った。

 降れ、と少し命じただけで、体は呆気ないほど動作を受け入れる。普段は全身に満遍なく貯めている力ー仙力をてのひらに集まるように指示すれば、すぐに答えてくれるように、青年の体は造られてきた。

 ふっと、周りの温度がわからなくなる。窓を叩く風が途切れ、静寂が刹那を支配し、次に光が卓を彩った。

 それは夏の日輪太陽の如く輝く向日葵だった。豪華を作る黄金の油のように、わずかな時を刻み輝くあかりだった。明黄ミンホワン色、石黄シーホワン色、槐黄ホワイホワン色、夜明けのように少しずつをあわくなってゆく黄色の群れ。

 (ああ、綺麗だ)

 菊花は我知らず深衣を強く掴んだ。一点もの高価な絹の着物に皺が寄った。

 黄と金の光の群れは、海藍ハイラン色の花瓶の表面と、雪灰シュエホイ色の断片に纏う。紐状となった光の束が、空間を漂う。やがて、花瓶は音もなく、浮かび上がった。

 『時の門番 空のしるべ 巻き戻りて在りし日の姿を見せろ』

 菊花には意味のわからぬ語類を呟いた青年の、声とともに破片は光と一体になり、やがて消えた。

 残ったのは、朝方菊花が割った花瓶の、鮮やかな海の色だった。


 「これで、いいな?」

 ひとつ息をしてから青年は菊花を見やった。

 部屋の空気は張り詰めていた糸がぷっつりと切れたかのように、ぼんやりと弛緩した雰囲気に変化していた。

 日がまた少し傾き、滑らかな陶器を照らす陽は、格子窓から入る章丹チァンタン色。卓に線で区切られた模様が入る。煙栗色イェンリースの影を見て、菊花は自分がぼうけていたことに気がついた。

 「……あ、うん。今回も、綺麗だった」

 慢性な動きで顔を上げた少女の顔に、また、影が運びる。思い出したくない過去の箱は簡単にひっくり返り、封じ込めた感情も、その時肌に感じた空気も、受けた心の痛みも、感覚は、残酷なまでに蘇らせてしまう。

 「どうしたんだ?」

 青年はかがみ込んで菊花と目線を合わせた。午後の光は青年の美しさを際立たせた。金を宿した髪は輝き、泥臭さと一筋の流れ星を入れ込んだ瞳は曇ることなく陽を讃えている。

 「別にー。黄仙に教えてあげるほどのことでもないし?」

 青年という神さまから目を逸らし、菊花は明るく振る舞った。平凡な黒髪はくすんでいて、光を受けても輝かない。

 「上から目線だな……。些細なことでも、俺は聞くぞ?」

 「私が教えたくないのよ!それくらい察しなさいよ、鈍感!」

 花瓶よりも淡い、ちっとも濃くない海とかけ離れた色のスカートが、菊花の足が動くとともに、ふわり、と揺れた。薄っぺらい布が、細くて白くない貧相な足にまとわりつく。

 「言いたくないことぐらい、わかってる。それでも、今ここで言わないと、お前の気持ちは無かったことになるぞ?」

 ぴたり、裳の動きが、止まる。

 幾度目かわからぬ沈黙は、長い歳月を凝縮したかのように重く、二人の間に落ちていた。

 青年は菊花から目を逸らさなかった。聞くかも目を逸らせなかった。

 ただ、青年の、土黄トウホワン色の瞳に映る、自分の黒い瞳を見ていた。青年の中に映る、自分を見ようとした。

 自分に価値が見つからず、尊重する意味もわからず、青年の心も影も理解出来ぬ壊れた娘は、青年を通して、自分の意思を知ろうとした。

 (駄目だ。自分の中にしか自分の意思はない。虚像に自分を求めてはいけない。帰ってくるのは、屈折した意志だけだ)

 青年は困ったかのように微笑んだ。彼女を傷つけない方法が見つからなかった。

 だから、選択を彼女に託した。視野が狭すぎる彼女の、数少ない選択肢に賭けた。

 間違っているかもしれない。傷つくかもしれない。それでも痛みも影も連れて、青年は少女を連れていきたい。未来へと。

 「……ちょっと、羨ましかったの。黄仙みたいに、私は、綺麗なものを生み出したり、仙術使ったりできないから」

 ぽつり。放たれた言葉は、重く響く。

 そう、菊花には仙力がない。この世界に生を受けた者なら、まず持っているはずの力を。

 それゆえ、世界から目の敵にされてきた。あたたかい記憶さえもを汚す血族に抗えず、疲弊し、心が落ちるまですり減らして。

 ー菊花という、死にたがりの壊れた毒娘が出来上がってしまった。

 青年は少女にいつも自分の罪の重さを見る。

 「そんなの、わからないだろ。お前がどうなるかなんて、俺にもわからないんだから」

 菊花に希望を与えて、過去を超え、今を生き、未来を見させるのが青年の目標だった。

 菊花を励まし、助けるのが、青年にとっての当然の行為だった。

 「え、黄仙にもわからないの?仙人なのに?」

 「仙人にもわからないことはあるぞ。それくらい、生きるって難しいことなんだ」

 「……よくわからない」

 「これから知っていけばいいだろ、俺と一緒に」

 青年はにかりと笑うと、菊花の頭を優しく撫でた。

 その丁寧な動作と温もりに、菊花の心は救われる。

 「そういえば、せっかく剥いたのに茘枝ライチ食べてなかったな」

 そういえば、といった様に青年がつぶやく。

 「あ、そーいえば黄仙に頼んでたっけ」

 「頼んだのに忘れるなよ……。……ほら、食え食え」

 青年は花瓶を窓際に移し、卓子の近くに茘枝の乗った皿を近づけると、菊花に座って食べる様に促した。

 「はーい。いただきまーす。これ高いんだよねー」

 「ああ、確か金貨二枚……」

 「……は?」

 気軽にいた菊花は、再び凍りつくのだった。

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