第4話 同居
「あのさ、ちょっと待って黄仙」
「なんだ?」
青年は怪訝そうに顔を上げた。
手には花瓶の破片を持っている。
高級な絹の漢服を着たままのため、貴族が職人の中に紛れ込んだようなちぐはぐ感がある。
「あんたまさか、その花瓶手作業で直そうと思ってた?」
「何を今さら?だから、こんな物を用意してるんだろ」
青年が指したのは、卓の端にある木箱だ。
木箱の中には、樹脂、
「これをどうやって使うの?」
「お前……、さっき説明しただろ?」
「うん、そだね。樹脂は木から取れる油のことで、これは昔黄仙が
菊花は木箱からものを取り出しつつ、説明を一気に捲し立てた。
「端々に疑問を入れるなよ……。まあそれは置いておいて、器具の説明はあってるぞ。だが、一つ忘れているものがある」
青年は空になった木箱を持ち上げる。
「これも使う。花瓶を固定するためにな」
「あ、そうだった。それは黄仙が土蓮の朝市で農家からもらった木箱だよね」
「何故手順は覚えていないのにものをもらった経緯は覚えてるんだ?後一つ、補足しておくと、その青仁国産の樹脂は、他の樹脂と違ってかなり早く乾く。それ以外の樹脂を使うと、直すのに四月はかかるからな」
「なるほどねー」
適当に菊花は頷いておく。
「で、肝心の手順だか……。まず、花瓶を手巾で拭く。これは流石に、お前がやってるな?」
「なんかむかつく言い方だなぁ」
頬を膨らませる菊花。
「次に、木箱に花瓶を固定する。固定するのは、花瓶の底がある破片だ。
続いて、花瓶の破片の樹脂でくっつけていく。樹脂は、笄か箸で付けろ。
樹脂がはみ出したら、爪楊枝かなんかを使って取れ。樹脂をつけたばかりなら、柔らかいから簡単に取れる。
二日ほど乾かせば、完成だ」
「結構かかるんだねー」
「これでも短い方だそ?」
二人の時間感覚は大きき違う。
生きて来た時間の、圧倒的な差で。
「あのさ、根本から覆すようで悪いけど」
「なんだ?」
青年は怪訝そうな首をかしげる。一つ一つの動作が絵になる、美しい青年である。
「これ、仙術で直せちゃわない?」
「……まあ、そうだけど……」
仙術、とは。
世の中に数ある奇術のうちの一つであり、この国の人間にとっても大変親しいものである。
国の人々は仙術に頼って生活している。
その仙術の源となる力を、仙力、と言う。
その名の通り、仙人の力のことである。
この世界に生きるすべてのものがもつーと、言われている力だ。
空に浮かび、地を一瞬で移動し、あらゆる物を豊かにする。
まさに、奇跡という物だ。
この世界はその力の加護を得て回っている。
そして、この黄仙と呼ばれる青年も、数多いる仙人のうち一人である。
のだか。
「別に、花瓶を治すのは急務でもなんでもないだろう?手作業で問題ないはずだ」
「でも、仙術使えば一瞬でしょ?」
「仙術使わなくても成し遂げられるなら、使う必要ないだろ?」
青年は、仙術を使うことに反対していた。
これは、仙人の中でも人々の中でも、珍しい思想である。
有り余る仙力を持つ仙人たちは、その力を用いて、生活を豊かにし、富や名声を得ることを第一としている。
何もかも仙術を用いて、自分で動くことは滅多になく、手作業なんてもってのほか、と考えている。
しかし青年は、無闇に何もかも仙術でやらなくても良い、と考えている。
仙術に頼りすぎた生活は、やがて自分も他人も廃人となってしまう、と。
まあ、少なくとも菊花が廃人となることはまずあり得ないのだが。
「それに、わざわざ用意したんだぞ、これ。集めるの大変だったんだからな?」
青年は花瓶を修復するための道具を指す。
「それは悪かったわね。でも、世の中用意したものが無駄になるだなんていう不条理は、数えきれないほどあるんだから、耐え忍び、強くなりなさい」
「真理を言っているようだが、今その不条理を作っているのはお前だからな?言い訳が小賢しいぞ」
「うっさいわねえ!馬鹿にしないでよ!私だって自分が小賢しいなんてこと、分かりきってるんだからね!」
「そこかよ……。お前はなんでそんなに威張り散らしてるんだ?居候だろ?」
「あ、また馬鹿にした!私はこの家の客人なのよ?家主は大人しく客人に従いなさい!」
「家に入ったら家主に従うんだよ!あと、お前は客人じゃないぞ?」
「ならなんなのよ!」
舌戦の勢いで、菊花は最近聞きたかったことを聞いてみた。
「同居人だ!」
反応しづらい答が返って来た。
「同居人……?」
同棲でもなく、大家と店子でもなく、家主と客人でもない。
友人と呼ぶには、二人は価値観も生きて来た時間も大きく違いすぎるし、知人というほど遠くもない。
師を共にした同門でもなく、師範しているわけでもなく、どこかの灰被りのようにこき使われているわけでもない。
使用人と言われたことは一度もないし、妾にはしないと天帝に誓われた。
(同居人)
どうきょにん。
(いや、まあ、同居人でも問題ないよね?実際、同居してるわけだし。同居な人なわけだし。同居だし。同居、同居かぁ。新しい概念だなぁ)
少女は指して重要と思われないことについて考えていた。
菊花が知っている関係性は、家族、兄弟、使用人と主人。
皆、歳や身分が高いものが威張り散らし、身分の低い物を支配し、上のものに命じられれば人殺しさえも犯す。
そうだと認識していた。
それが世間一般のものとは大きくかけ離れているとは知らずに。
父や母箱に無償の愛を捧げ、兄弟はお互いを支え合い、使用人は主人のために身を粉にして働き、主人は使用人を尊重するのだと言う。
(そんな世界、知らない)
使用人は主人の手足、家の柱か壺。子供は親の装飾品。妹は姉と兄の不満のはげ口。
菊花の育った過程は、壊れていた他人の寄せ集めで、菊花にとって家とは命を脅かされ続ける地獄だった。
地獄で育った少女は、同居なんて知らない。
「……どうした?黙り込んで」
青年にとってごく普通の概念を口にしただけだったため、菊花の行動に疑問を呈した。
「あのさ……同居人って、どんな関係?」
「どんなって……?同居してる同士の関係……だと俺は思うが?」
あまり答えになっていない答えを口にする青年。
「ふうん。あんまり深い仲じゃないと?」
「お前のいう深い仲がどういう意味かわ知らんが、まあ、同居するくらいならそこそこ仲はいいか、他人かだが……。俺たちは前者だな」
「うん、よくわからない」
菊花は理解を諦めた。
「まあ、同居人とか関係性を表す言葉は外面で、瓶に名称を書くようなものだ。俺たちっていう瓶に、無理に名前を書き込まなくても誰も困らない」
青年は菊花を励まそうとする。
「いきなり比喩的表現だね。知識人の考えることはわからない」
「またそれか。……分からないなら、もう一度説明しようか?」
青年は、いつも菊花を気づかってくれる。
ーこんな問題もわからないなんて、あなたは馬鹿ね。
ーこんなものしかできないなど、お前は役立たずだな。
何も教えたことなどないのに、できないことを貶してくる両親なんかより。
聞けば必ず答えてくれる。
疑問を呈すれば解説してくれる。
同じことも、何度聞いても教えてくれる。
それが、何よりも嬉しく。
理解することを諦め続けた。
壊れた少女の救いだ。
「いや……いいよ、分かったから」
あなたが、優しいと。
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