商店街の神明社-恋と御縁の浪漫物語・船橋編-

南瀬匡躬

マンガと洋食屋と船橋

「こらこら、梶木里海かじきりみ。抜け駆けかい? 友人を生け贄に自分だけ彼氏作って」


 船橋市にある巨大ショッピングモール『るるぽーと』のフードコート。若い世代の彼女たちはここにかつて関東屈指のレジャー施設、ヘルスセンター、遊園地があったことを知らない。


 ジェラートを頬張る真名板戀まないたこいは恨めしそうに、友人と彼氏の写ったツーショット写真を眺めていた。その写真の中には嬉しそうに微笑んでいる本人、里海がいる。しかも彼氏に腕を絡める姿だ。彼氏のルックスはかなりの美形、イケメンなのだ。


「それが大学の授業のエスケープ、三時限目サボらせた上に、ジェラートまでおごらせ、付き合わせたお友達に言う言葉かねえ」

 里海は戀が持っている写真をスッと取り戻すと、もとあったポケットアルバムに差し込んだ。


「だって、何よ、この状況。お正月、一緒に船橋大神宮の初詣行った時に、同じようにお願いしたのに、あんただけ、いい男ゲットだよ。不公平じゃん。しかもあんた恋愛成就なんてお願いしてないし……」と悄気げる戀。

「まだ言うか!」

 そう言って、里海は戀のジェラートをほじくるようにスプーンを当てて、純白バニラ味を自分の口に運ぶ。

「うーん。甘い」

 頬に手をやってご満悦の里海。


「里海、どこで知り合ったのよ」と戀。

「船橋」

 随分広範囲な答えだ。気怠そうに、いや面相くさそうに返す里海。このぼやっとした、漠然とした返事に、

「こりゃ、喧嘩売っとんのか! いただきっ」と今度はお返しに里海のラムレーズンのアイスクリームをサジですくう戀。

「ああ」と手で追うが、スプーンは既に戀の口の中だ。


「インカレの漫研サークル」と里海。むすっと自分のジェラートの次の一口を運ぶ。

「同類の漫画描きってこと?」

 戀に「うん」と答える。眼鏡の位置を直してからスプーンを口に咥えたままで頷く。

 里海はマンガ家を目指す卵。ラブコメにはまり、大学の勉強そっちのけで、ひたすら新人賞に応募している身だ。


 納得のいっていない戀。

「どういういきさつよ。お言いでないかい」

 下目遣いの不満げな顔で訊く。そして上から目線だ。


「この夏の船橋コミケの物販コーナーで隣に座っていたの。それで応募締め切りに間に合わなそうで、私、その場でペン入れをしていたら、その絵柄を見て、けるヤツって思われた。そんでもってバイト代払うから自分の作品のカケアミ作業を『手伝って』って言われた」

「何カケアミって?」

「ただひたすら背景に線を引いて、手書きでトーンやパターン背景を作る作業。要は原稿書きのお手伝いだよ」

「原稿を?」

「そう」

「ふーん」と納得の戀。


「それで北船橋工科大学の漫研に出入りするようになって今に至る」

「すげえ。本当のラブコメみたい。意富比神社おおひじんじゃはわたしにもイケメンの出前してくれないかな?」

 戀の言葉に、「町の定食屋じゃああるまいし、出前なんかするかあ!」と呆れる里海。

「かなあ?」とため息の戀。



 カレンダーを戻して、同じ年の正月。船橋大神宮、意富比神社の里海と戀。晴れ着に身を包んだ二人の姿は悪くない。見てくれだけは清楚な乙女である。ただ実生活は腐女子一歩手前の堕落系だ。


 昔の灯台と相撲土俵のある神社としても知られるこの神明社。お正月はやはり他の神社同様大賑わいだ。人混みをかき分けて、ようやくお参りを済ました時だった。


「アタシさあ、奮発して五百円入れたあ」

「お賽銭?」

「うん」

「すげえ。私、百円」

「だって何とか新人賞に入りたいし……」

 この会話で戀が気付いたのは、里海の願いが『彼氏ほしい』ではなかったと言うことだった。

 戀は百円のお賽銭に少し気後れしたようで、そのままスタスタと社務所に向かって、巫女さんにあれもこれもと五個以上のお守りをお願いしている。あっという間に三千円以上の初穂を納めている。投げ銭よりも奉納銭を慮った行為だ。どちらにも開運の意義は等しくあると思う、戀はそう思いたかった。


 ゆっくりと後から歩いてきた里海は、

「うわあ、買ったねえ、恋愛成就に、良縁に、良妻賢母まであるけど、……マジか? そこまで男日照り?」と冷や汗のたじろぎだ。


「あの端っこの休憩ブースのテントで、弁当買って来てお昼ご飯にしようよ」と里海。

 ちょうどそこで、お昼近くになってワゴン車でのお弁当の販売が始まっていた。いわゆるプラスチック容器に詰められたよくある揚げ物が中心のお弁当だ。

 ご飯はオムライス。なのでケチャップ味のチキンライス風味。


「へえ、三番瀬さんばんせキッチンっていうんだ。美味しそうだね。弁当一個五百円っていう良心的な価格が気に入った。ついでに甘酒も買っちゃおうよ」

 食べることには目のない戀、率先してそのランチ弁当を受け取る。人の良さそうな老紳士がコック帽に白衣の姿で、弁当を手渡してくれた。小型の寸胴鍋ずんどうなべの甘酒もお玉ですくって紙コップに入れてくれる。

 これで暖を取って北風にも立ち向かえる。


 二人はテントの下に入り、落ち着けそうなベンチを辺りで探す。そこに陣取り透明な弁当の蓋あける。紙製のスプーンであかね色のチキンライスをすくって食べる。ほどよい洋風出汁とマッシュルームの香りが口の中に漂う。

「マジ神。こんな洋食屋、私、この店、嫁に行きたいんだけど、募集していないかな?」とおいしさのあまり、浮かれ気分で宣う戀。

「男じゃなくて、店に輿入れかよ。あのおじさんはたぶん独身じゃないよ。しかもアンタ枯れ専か?」と笑う里海。

「ぬかせ! 私は食のためなら試練を乗り越えるのだ」と返す戀。

「お、それいいね。次のネームで使おう」

「ネームって、コマ割りとプロットを書いた下書きの下書きだよね」

「うん」

「次の応募作、私の食の物語が採用される?」

「まあ、煮詰めてみて、採用か否かはそれからカナ?」

「だよなあ」

 こんな会話をした二人。正月のある日だった。



 再び時は移り、冒頭の夏の終わりである。

 アイスクリームの争奪戦が終わった頃、待ちあわせのショッピングセンターに噂の漫研の彼氏が現れた。予想以上のイケメンだ。

 大昔のマンガオタクたちとは異なり、今のオタクはお洒落だ。勿論原稿に向き合うときは着の身着のままで無頓着なファッションだが、通常はファッショナブル、すなわち垢抜けている。

「里海ちゃん!」

 カジュアルジャケットにトレス道具用の平鞄を小脇に抱えて登場である。あの鞄から想像できるのは、マンガ家と言うよりも建築設計事務所の人間と思うような風体だ。すれ違う人は彼を見ても、よもや鞄の中身はマンガ原稿だとは努努ゆめゆめ思うまい。


「待った?」と彼。浜地卓はまちすぐる、北船橋工科大学の学生だ。漫研に在籍して既に新人賞を獲得、紙面デビューを果たしている。さっきの写真の彼であり、里海の恋人である。


 戀はもう一人男性がいることに気付く。浜地の友人だろうか? 

「ごめん、彼女見たいって言うからサークル仲間の及川慶おいかわけいが付いて来ちゃって」と浜地は二人に言い分けする。

「初めまして、及川です。南船橋経済大学に通ってます」とお辞儀した。

 すらりと伸びた背丈に、甘い笑顔は戀の思考回路を秒殺したことは言うまでも無い。


「可愛いタイプの彼女だな。マンガ家って感じ」と褒める及川。社交辞令と分かっていても、少し頬を赤らめて「こんにちは」とお辞儀する里海。



一方の戀はと言えば、付いてきたほうの及川に一目惚れ。既に目がハートだ。そしてこの一目惚れ癖はいつもの彼女の悪い癖だ。

 彼女はアーメンのポーズで「神さま! 私にも春が……」と言う。神さま違いにも程がある。初詣の神さまと違う神さまに報告しているし、季節はもうコミケも終わった晩夏だ。春ではない。この彼女の雑さ、モトイ。この大らかさが彼氏の出来ない原因と、自分でそれを解析できないあたりに問題のおおもとがある。


 女子校育ちの女子大所属。大人なのに少女マンガが愛読書。夢見る恋愛願望。趣味特技は特になし。時々恋愛成就のお守り集めで神社巡り。友人のマンガ創作相談役。完全な素人アドバイザー。男っは全くない。結果、腐女子の一歩手前、神頼みの出会い系女子に成長した良い見本が戀だ。名前とは大違いの性質である。その時だけの神頼みというテキトーさを隠しきれない現代っ子である。神さまもたまったものでは無い。


 そして今日の彼女は、髪はストレートのロングにカチュウシャ、薄手のカーディガンにブラウス、特に短くも無いスカートは普段着そのまま。

 見た目の女子力三十点と自分のおさらいをし始めた戀は、

『今の私、良いとこ無いじゃん!』と勝手に撃沈する。

 

「今日は日が悪い。王子様、さよなら。あなたは諦めます」と小声で自分に言い聞かせた彼女。普段着を着ていない日などないので、彼女の場合、三百六十五日全て負けることになる。勝負服など持っていない。なのでこの言葉はただの言い分けだ。目前のイケメンにはアクションも起こさぬまま名誉撤退。彼女の場合、良くあること。これでは彼氏など到底いつになっても出来る筈がない。


 ところが今日は場の空気が違った。

「及川の家って、船橋大神宮近くの洋食屋なんだ。あの海老川の橋の横にある本町通りの三番瀬さんばんせキッチンっていう」


 浜地の言葉に、「あ、私がバイトしている本屋の隣にあるレストランだ」と笑う戀。それ以前に彼女、ずぼらですっかり自分が正月に口にした仕出し弁当の洋食だと言うことを忘れている。


「ええっ、君、深海書房しんかいしょぼうさんでバイトしているの?」と王子様。

「うん。土日だけ、私の遠縁の人なんだ。深海さん」


「深海さんのおじさん、あっ、射鹿いるかさんね。あの人は、小さい頃から家族ぐるみのお付き合いなんだ。偶然だね。今度バイトの帰りにでもウチに来なよ。ご馳走するから」と王子様から小さなディナーのご招待を受ける。


「いいの?」と戀。少々手応えを感じる。今までにはない男子との展開だ。

「もちろん、何ならこれから来る? うちの親父の作るオムライスは絶品だよ」と笑う王子。


 この陽だまりみたいなフードコートのカフェテラス。

 戀は自分の鞄の取っ手にあるぬいぐるみのジャラけと一緒にぶら下がっている船橋大神宮のお守り、ようやく思い出した。正月のあの日。

 沢山のお守りを入手した時のことが心中蘇る。テーブルに頬杖をつきながら、密かに『御利益かも?』とまんざらでもない戀の表情。彼女の目は一直線に真向かいに座る及川の優しそうな目を見つめていた。


                      了

 


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商店街の神明社-恋と御縁の浪漫物語・船橋編- 南瀬匡躬 @MINAMISEMasami

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