第17話 扉と異邦人
その日は結局ユリウスが医務室に連れて行ってくれて、ユリウスが帰るからと迎えに来てくれるまで眠っていた。そのため、少しすっきりとした気分で家に帰った。
体が疲れているようなので、今日は死神業はお休みだ。街に魂を探しに行くのは明日にして、今日は自室で宿題をしていた。私の横では、ジーク、そしてヴィーとディーの双子も勉強をしていた。
私の宿題とは、帝国ではなく東京の高校の宿題である。東京の学校へは、月に連日で数日程しか行っていない。それは一条家がいろいろとお願いしているからできる技で、学校へは海外を行き来しているからと言ってある。学校の出席日数が少ない代わりに、大量の宿題をこなす必要がある。だから、時間がある時は宿題をせっせと終わらせるのだ。
ジークとヴィーとディーは日本語の勉強である。今、死神業を手伝ってもらっているため、日本人と会話することもあるので、日本語はできたほうがいいのだ。
ちなみに、他でうちで日本語ができるのは、元日本人の咲、ユリウス、使用人ではヴィアート家であるライナとラルフとマリアである。
咲は約四年ほど前、東京の扉を通って、異世界であるこの帝国にやってきた。
咲の日本名は芳川咲(よしかわさく)、実家はヤの付く稼業で父は組長、母は愛人だったらしい。父の本妻に殺されないよう、母に女として育てられようとしたようで、女のような咲という名を付けられたという。しかし女ではなく男だとは早々にバレたらしいが。母は幼い頃に病気で亡くなり、父に引き取られて育ったというが、父と本妻の間にいる兄と仲が良くなかったという。
咲は喧嘩に明け暮れ、扉に通った日も盗んだバイクで遊んでいたらしい。そのころ中学生のはずなのにバイク? と言いたいところだが、常識なんて無視だった生活らしいので、気にするだけ無駄だろう。とにかく、盗んだバイクで失敗し、道路を外れて急斜面を落下、何かにぶつかりバイクから投げ出されて空中へ飛んだところに扉があったらしい。そのまま異世界へようこそ状態。
しかし扉を通ってきた時、本人は意識を失っていたようで、気づいたら見知らぬ檻に入れられていた。そこは闘技場だった。どうやら意識を失っていた間に売られ、無理やり拳闘士にさせられていた。日本でいうボクシングのようなもので試合をするのだ。現在帝国では奴隷制度は禁止されているため、人間を売るなんてことは違法なのだが、そういうのを裏でこっそりやっていた人間もいたようだ。
帝国の闘技場では、拳闘士は拳だけでなく足など使用して戦うのが一般的である。人気のある賭け事の一つであった。
喧嘩が強かった咲は、分からないながらも勝ち進んでいたらしい。東京での生活から、殴られたり切られたりといったことの恐怖心がなく、どうやら不気味な男と闘技場で少し有名になりつつあった。
そんな時に、私の元に情報が入った。
帝国にも情報屋というのがいる。咲ではないが、咲より数年前に東京から扉を通ってやってきた人がいた。だから情報屋に『帝国人とは違う容姿で、黒い瞳の人がいたら教えてほしい』と依頼している。その依頼は、東京からの異邦人を保護しようなんて優しい気持ちを持って依頼したわけではない。前回の東京からの異邦人が『とんでもない人間』だったため、できるだけ関わらないよう認識しておこう、という気持ちからだった。どんな人なのか顔を見て、確認だけしておこうと思っただけなのだ。
情報を聞いた私は、さっそく闘技場を訪れた。拳闘士は職業にあたる。試合で勝ちを多く得てお金を稼いでいる拳闘士は、闘技場の外に家があるが、咲は売られてきたためか、闘技場の共同住居スペースに住んでいた。その共同住居スペースは、拳闘士を見てどの拳闘士に賭けるか確認できる部屋でもあり、その住居の上からのぞき見することができた。また、お金さえ払えば、住居の階の面会部屋で鉄格子越しではあるが会うこともできる。
私は最初、共同住居スペースの上から覗いた。咲を発見し、日本人だろうと確信した。そして隠しカメラで写真や動画を撮った。
その日はそれで一旦帰宅し、東京で咲を探すことにした。どこの誰なのか。写真や動画だけでは見つけられない可能性もあったが、ソーシャルメディアというものは情報の宝庫である。咲と一致した写真から、咲の素性が分かった。
ものすごく迷った。まだ十四歳の子を、あのまま闘技場にいさせていいものだろうか。もし連れ出したとして、そこから帝国の街に放り出したら、帝国の情報が分からない子なのに、のたれ死ぬのではないだろうか。もし不憫だからと我が家に招いたとして、あのように荒々しい子を私が面倒みきれるのだろうか。
人は自分で責任の負える範囲で、何かを背負うべきだ。優しさや同情だけで物事が良い方へ進むほど、この世は優しくない。どんなとばっちりが自分に返ってくるかも分からない。
しかし、考えるほどただ見捨てることもできず、迷った末、結局、咲に決めてもらおうと思い、彼と面会部屋で会うことにした。もし助けなど要らぬと言われるなら、その時に咲のことは忘れればいいのだと。
『初めまして、芳川咲さん』
『おまえ……誰だ?』
面会室の鉄格子越しに日本語で話す私に、驚愕と訝しい気持ちを混ぜたような表情で、咲は聞いた。
『私は紗彩。見ての通り日本人です。ここが日本ではないことは理解できますか?』
『さすがに日本でないのは分かるが……あいつらは帝国だと言っていた。そしてなんでか俺は日本語しか話せないはずなのに、言葉が理解できる』
そう、日本から扉を通ってきた異邦人は、なぜか帝国語が理解できるオプション付きなのだ。なぜなのかは知らないが、歴代の日本からの来訪者はみんなそうだ。ただ、死者の魂がこの世界の体の持ち主に入って記憶を共有するのとは違い、言葉は分かっても帝国の常識を知らないため、いろいろと不便はあるだろう。
『そう、ここは帝国、正確にはヴォルフォルデン帝国と言います。日本からすると、ここは異世界にあたります』
なんとなく、そんな気はしていたのだろう。咲は眉を寄せた皺をさらに深くした。
『あなたはおそらく、東京にある異世界への扉を通ってしまったために、この帝国にやってきた。そして、残念なお知らせをしなくてはなりません。もう二度と東京には戻れません』
『……それは、どういう意味だ?』
『異世界への道は一方通行なのです。行けても帰り道はない。死の世界と同じように』
咲は舌打ちして頭をガシガシと掻いた後、私を見た。
『それで? あんたがここに来た理由は? ここから助けてくれるとでも言うのか?』
『それはあたたの結論次第です。ここから出たいですか?』
『何?』
『先ほども言った通り、東京へ戻る道はありません。となると、あなたの今後は三パターン。一つ目、ここで拳闘士として力を付け、自分の力で成りあがる。二つ目、私がここから出してあげますので、その後は自力で生きる。ここから出すための身請け金は、あなたの借金です。いつか返してくださいね。三つ目、私がここから出してあげますので、そのあとは私の部下になって私のために働いてください。借金は働いた給料から天引きです』
『はあ? 普通、助けるために払ったものは、タダにしてくれるものじゃねぇ?』
『あなたに恩もないのに? 家族でもないですし、そこまでする必要があります? 世の中、そんなに甘くないですよ』
少し唖然とした咲だが、『まあな……』と小さく呟いた。
『さきほどの話に戻りますね。一つ目の拳闘士として力を付けるパターンですが、そんなに悪くはないと思います。聞いたところによると、あなた強いみたいですし、頑張れば拳闘士として高給取りになる可能性もあると思います。拳闘士は殺しはご法度ですし、死ぬことはないでしょう。確か一番人気の拳闘士は、帝都の外れにはなりますが、一軒家を持っており、馬も持っていて、使用人も雇っていると聞きます。良い暮らしができそうです』
咲は素直に話を聞いている。
『二つ目のここから出るパターンですが、あなたを出すための身請け金がかかる以上、働いて私に借金を返していただく必要があります。帝都は子供でも働いている子もいるので、選り好みをしなければ職を探すことはできるでしょう。ただ、給料面を考えると、子供の給料はそんなに高くないので、借金を返すのは大変でしょうね』
『……子供って、俺十四歳。あと少しで十五歳だし』
『十分子供ですよ。よっぽど優秀じゃなければ、十七歳くらいまでは大人と同じ給料は難しいでしょうね。でも、大丈夫。私も鬼ではありません。給料の額をお聞きして、払える範囲で借金の月額支払いは設定してさしあげますので。おまけですが利子はお付けしない予定なので喜んでください』
『……三つ目は?』
二つ目はお気に召さなかったようで、三つ目を早く話せと言いたげな表情をしている。
『三つ目のパターンは、借金を背負うところまでは同じですね。私の部下になってもらいます。仕事内容は、まだ決めかねていますが、私の本業を手伝ってもらおうかと思います。そこまで難しくはないですよ。給料面ですが、うちの使用人は給料が高い方なので、期待してくれてもよいです』
『使用人? 金持ちなんだな』
『あなたのご実家もお金持ちでしょう?』
『あれは親父が……なんで知っている?』
咲は怪訝そうな表情を向けた。
『あなたをうちに招待するかどうかを決めるには、情報が必要でしょう? 少し調べさせていただきました』
『どうやって? そういえば、俺の名前も知ってたな?』
『そりゃあ、東京でインターネットとか色々と……まあ、企業秘密です』
『はぁ? なんで東京? 東京には帰れないって言ったよな?』
『あなたは帰れないですよ。言ったでしょう、異世界への扉は一方通行だって』
『あんたは?』
『私は扉を通っているわけではないので、行き来できます』
『は? ずるくないか!?』
『まったく、ずるくないですよ。むしろただ働きさせられてますので、可哀想だと思ってほしいです』
咲はわけがわからない、という顔で『あ――』と声を出しながら、少し投げやりな表情をしている。
『話が進まないので、戻しますね。とにかく、私の部下、つまりうちの使用人になるなら、高収入に加え、衣食住も無料で付けます』
『……衣食住?』
『はい。うちの使用人は、一部を除いて衣食住は付けているんです。まあ、そのあたりは他のご家庭の使用人もそんなに大差ないとは思います。ただ、使用人にもランクがあって、特に本業を手伝っていただくことになるので、あなたは家族扱いになります』
『家族……』
『家族扱いだと、お土産とかもいいものがやってきますよ!』
『お土産?』
『東京土産です!』
『まじか……』
咲はだんだんと付いていけなくなっているのか、げんなりとしてきた。
『あ、そうそう、あなたを調べているときに知ったのですが、たいそう好きな食品があるらしいですね?』
『……』
『ここの食事って、そういうもの出てこないでしょう? なぜか知ってます? この国って島国で、他国から高級な食材って、少ししか入ってこないんですよ』
『高級じゃないだろ?』
『この国では高級なんです。まあ、あまりそういったものを食す文化もないですしね』
『うそだろ……』
咲が好きだという、とある物。東京であれば、百円均一ショップでも売っているようなものだ。
『でも心配しないでください。あなたがいい仕事をするなら、ボーナスで希望のものを東京から買ってきて差し上げましょう!』
『お前、いい性格してんな……』
『お褒めいただき、ありがとうございます! でもこれは良い働きに対する正当なボーナスとして、うちの家族待遇の使用人に与えている特権です。私はそれを説明しているにすぎません』
そう、うちは使用人に与える仕事量や重要具合により、給料も違うし与えるものも違うのだ。まあ、それはどの仕事でもいえる、あたりまえの話だが。特に家族待遇の使用人は、他の使用人より仕事は大変だし重要だけど、それ相応のものを与えるのは惜しまないつもりだ。
『使用人って、家政婦やお手伝いさんのことだろ? そういうの苦手なんだけど』
『ああ、確かにそういうイメージのほうが強いですよね。もちろんそういう方も雇っていますが、そういうのって何ていうのだったかな……そうだ、家事使用人ですね。でも、あなたの場合は使用人は使用人でも商業使用人の方です。分かりやすく言うなら従業員かしら?』
『……それって、何の仕事すんの?』
『……私はあまり認めたくないのですが、実はちょっとだけ、ちょーーっとだけ! 迷子になりやすくって』
『………………ん?』
『とにかく! そう、道案内です! あと護衛とか! 私のサポートを色々するんですよ!』
なんだか恥ずかしい。咲少し笑ってるし。
『……まずは道を覚えるところからってことだな』
ぼそっと咲が何かを言ったが、私は聞こえず、恥ずかしさを誤魔化すように咳ばらいをした。
『話すことは全てお話しました。また明日来ます。それまでにどうするか、自分で考えて決めてくださいね』
そう言って立った私を、咲は決心した顔で見た。
『三つ目にする』
咲の言葉に、少し驚き口を開いた。
『……もう決めていいんですか? もう少しじっくり考えた方が』
『こんなところにこれ以上いられるか。それに、欲しいものを東京から買ってきてくれるんだろ?』
『……私の部下になると、大変かもしれませんよ?』
『俺より年下だろ、あんた。あんたにできることもできないことも、俺がサポートして俺を手放せないって思わせてやるよ』
『ふふ、頼もしいです。……そうですね。あなたくらい切り替えが早い人のほうが、私の仕事についてこれそうです』
その日少し話しただけで、咲は東京に戻れないことはすでに受け入れているように見える。東京に行き来できる私に理不尽さは感じているだろうが、そこまで重くとらえてもいなさそうだ。
『自分で決めたからには、放棄はダメですよ』
『しねぇよ』
『分かりました。では、身請けの手続きしてきます』
そんな経緯で、咲はうちの従業員になった。
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