第4話 兄と妹
東京のあるビルの一室。
だだっ広い空間、その部屋の壁の一部から、にゅっと手が生えた。その手から腕が伸び、今度は顔まで壁から生える。その顔は、目をきょろきょろと動かし、口を開いた。
「照明を付けて」
私の声に反応し、暗かった部屋に照明が灯り、部屋を明るく照らす。
相変わらず不気味に壁から生えた顔は、目を動かし、その部屋に誰もいないと分かると、今度は壁から体を生やす。その体は、先ほどウィザー家の一室から消えたはずの、サーヤこと、私の体であった。
体がすべて壁のこちら側へ出現すると、今度は片方の手に繋いでいた台車のハンドルが現れる。自動で動く台車が次々と壁から連なって現れ、八台すべてが出現した。
台車がすべて出現したのを確認すると、ハンドルのスイッチをオフにする。すると台車はひとりでに動くのを止めた。
私たちが『倉庫』と呼んでいるこの部屋はかなり広い。この部屋に来る直前までいた、帝国の部屋『倉庫』の十倍はあるだろうか。壁際には段ボールなどの荷物が複数置かれてはいるが、見えている床には荷物がまだ大量に置けるほど余裕がある。その床には、ウィーンと小さな音を立てながら、お掃除ロボットが五台稼働していた。すべて猫の耳が付いた、特注品の遊び心がある掃除機である。
台車からスーツケースとパンの入った籠を持つと、私は部屋にある扉へ近づく。
この部屋は広いが、扉は二つしかない。一つは私と兄と妹など家族しか通れない扉。もう一つは、私の部下が通れる扉である。その家族しか通れない扉に近づくと、扉に付いている指紋認証のスキャナーへ指を近づけた。すると私を認証して扉の鍵が開く。
指紋認証にするか、静脈認証にするか、最初は導入を迷ったが、そもそもこの部屋がある階には特定の人物しか入れないので、セキュリティレベルはあまり上げなくてもいいのだ。
「照明を消して」
声に反応し、『倉庫』部屋の照明が消える。
そして扉を出ると、廊下を歩き、また扉を開けた。この扉はこちら側から開ける場合は、認証システムは不要なのだ。反対側から入る時は必要だけれど。
扉を出ると、今度はエレベーターホールに出た。エレベーターを呼ぶボタンを押し、その到着を待つ。エレベーターがやってきて、中に入ると、今度は顔認証システムである。エレベーターの顔認証システムを使用して、一つ上の階のボタンを押す。するとエレベーターは動き出した。エレベーターの顔認証システムは、その人物が許可された階にしか行けないようになっているのだ。
エレベーターが一つ上の階に停まる。エレベーターから降りると、今度はマンションの一室の扉のようなドアが現れた。その扉を指紋認証にて鍵を開けると、中に入室する。そこは東京での我が家であった。
帝国での私の名前はサーヤ・ウォン・ウィザーである。そして東京での名前は一条紗彩(いちじょうさあや)という。一条グループの社長令嬢である。
我が家のあるこのビルは、一条グループの内の、一つの会社の代表をしている兄の会社の持ち物で、三十階建て。その三十階のフロアすべてが一条家の住処である。
この家の主は兄の一条実海棠(いちじょうみかいどう)であり、私と妹の一条麻彩(いちじょうまあや)が一緒に住んでいる。
私は自室に入ると、着ていたワンピースを着替えた。可愛いロゴがプリントされたオシャレな七分袖のTシャツとデニムパンツである。そして肩に春用の生地のアウターを肩マントのように引っかけた。現在春なので、恰好的にはこれくらいでちょうどいいのだ。
そしてスーツケースからスマホを取り出した。いつも持ち歩いているスマホは、帝国ではネットは繋がらないが、東京では繋がる。ここに到着して十分は経過しているので、今まで溜まっていたメールやチャットがすべて受信できているようである。
「……わっ! すごいチャットの数。パパね」
いろんな人から届いているチャットは、すぐに全て確認するのは難しいが、一番数多く誰から来ているのだろう、と人を確認すると、案の定、父からだった。父からのチャット数に苦笑する。そこには四百二十と書かれてある。いつもどおり、たぶん何てことはない内容だろうと、後から確認することにした。
「今は六時前か」
時計を確認すると、すでに夕方の時間である。
バッグを用意し、その中にスマホと化粧道具、財布を入れた。そして手にはライナに手渡されたリストと、パンの入っている籠を持ち、部屋を出る。
三十階の家を出て、エレベーターにて、また一つ下の二十九階へ降りる。そしてエレベーターホールにある、倉庫から先ほど出てきた扉とは違う扉へ、指紋認証を使って鍵を開けた。
そこはオフィスの廊下だった。この二十九階は、私がこじんまりと経営している会社が入っている。私はある部屋の扉を開けた。
「お疲れ様です」
「――さーちゃん!?」
会社のシステム担当の男性の横に立っていた妹の麻彩が、私に気づいて満面の笑みを浮かべた。麻彩とは別に、部屋にいる人たちから「お疲れ様でーす」と複数の声がかかる。
「まーちゃん、ただいま」
「おかえりー!」
麻彩は走って私に抱き付いた。麻彩は私と同じように猫目で緑色の瞳だが、髪は私と違って黒色である。私より三歳年下の十四歳なのだが、私より顔一つ分くらい背が高い。
「どうしてどうして!? 帰ってくるの、明日じゃなかった!?」
「一日繰り上げたの」
「いいよいいよ、嬉しいもん! 夕食一緒に食べようね!」
「うん」
可愛い麻彩は、姉の私のことが大好きだと公言するシスコンなのである。こんなに好かれると、私も麻彩が可愛くて仕方がないのだ。
「お疲れ様です、紗彩さん」
「お疲れ様です。これ焼きたてパンなの。みんなで食べて」
「ありがとうございます」
私に声を掛けたのは、会社の総括を任せている水野である。美人、かつ、『仕事ができる』秘書っぽい女性だが、この人、ほんとに『できる人』なのだ。
パンという言葉に反応し、システム担当の松山、スーツケース担当の陸、化粧品担当の黒部が近づいてきた。
「おお、いい匂い! 一つもらい!」
「パン、俺も食べる……」
「紗彩さんの、いつものパン! 私大好きです!」
帝国の我が家で焼いてきたパンは、いつも人気なのだ。
私の会社の社員はこの四人と私の計五人である。二十九階のフロアは兄に借りていて、私の会社のオフィスがあるのだ。
「水野さん、これ今回のリストです」
ライナに渡されたリストを、そのまま水野に渡す。
「承ります」
「もう少しで定時でしょう。確認は明日でいいわ」
「はい。明日は来られますか?」
「うん。学校には行かないから、朝から出社するね。緊急の話とかないなら、明日報告を聞かせてくれる?」
「緊急の報告はありませんので、報告は明日させてください」
「オッケー」
水野もパンへ向かうのを見ながら、横に立っていた麻彩を見る。
「ごめんね、松山さんと話をしていたのでしょう?」
私が部屋に入ったとき、システム担当の松山と話をしていた麻彩。会話の邪魔をしてしまって悪かったと思いつつ、謝る。
「ううん、別に急ぎじゃないもの! 動画の編集頼んでたんだぁ」
「ああ、『歌ってみた』の?」
「そう。でも明日でもいいから。大丈夫」
麻彩は動画サイトで『歌ってみた』を投稿している。麻彩は歌がとても上手くて、私も自慢である。
一応私の会社は、私が代表をやってはいるものの、それはいろいろと表向きの事情がある。私が基本的には指示はするが、麻彩に仕事を頼んだりもしているし、麻彩は会社に名前は出していないものの、いろいろと手伝ってくれる、できた妹なのである。そのついでで、麻彩の『歌ってみた』の編集も、松山がやってくれている。あの人、システムや情報取集に関するものなら、なんでもござれの万能な人なのである。
パンを食べていた水野が、内線電話に気づき電話を取る。それを横目に見つつ、お腹がぐうっと鳴り、お腹に手を添えた。
「お腹空いたわ……」
「あ、そうだよね! さーちゃん何食べる?」
一度お腹が鳴りだすとそれからは連続鳴りの大合唱。いろんな料理が頭に浮かぶ。しかし今一番食べたいのは。
「肉」
「いいね、肉! 焼肉行く?」
そう話をしていると、水野が近寄ってきた。
「紗彩さん、社長が一緒に食事をしよう、とのことです」
「げっ!!」
社長というのは、この場合、私ではなく兄のことである。先ほどの内線電話が兄からの連絡だったのだろう。そして、嫌そうな声を出したのは麻彩だ。
「お兄様が? 何時からかな? 私腹ペコなの」
「もお、お兄ちゃん、来なくていいよ。絶対余計なのが付いてくる……」
「すぐにこちらに来られると言われていましたよ。……あ、ほら」
部屋の扉が開き、スーツ姿の兄の実海棠が表れた。兄は瞳は緑色だが、髪は黒色である。なかなか整った顔をしたイケメンである。そして、私と麻彩とは違い、猫系ではない。現在二十四歳の若手社長である。
「お兄様」
私は兄に近づくと、抱き付いた。ほのかに兄から香水の匂いがする。
「よく私が帰ったの分かったね?」
「真木がエレベーターに紗彩が乗ったって、履歴提示してきたんだよ」
兄は私の頭に手を乗せた。真木とは兄の男性の秘書である。
「もお、お兄ちゃん! お兄ちゃんがこのタイミングで食事って言うからには、絶対るー君と一弥君いるよね?」
「お、当たり」
「やっぱりぃぃ! もう嫌! 今日はさーちゃん独り占めしようと思ってたのに!」
麻彩が嫌がっている、るー君と一弥君とは、兄の友人である。小さいころから、時々一緒に食事をしたり遊んだりしているのだ。特にるー君こと長谷川流雨は、私と麻彩を妹のように可愛がってくれている。しかし麻彩は基本的に男の人が好きではなく、流雨にも一弥にも塩対応なのである。しかも、どうやら流雨と一弥が一緒にいると、私との時間を取られると思っているようで、麻彩はいつも不機嫌になる。
「まあまあ、まーちゃん。夕食から帰ったら、ずっと一緒にいるから。夕食はみんなで楽しもう?」
「むー……」
唸っている麻彩には悪いが、実は私も流雨に会いたい。流雨は特に優しくて甘やかしてくれるから好きなのだ。
少し不機嫌な麻彩を連れ、兄とともに部屋を出てエレベーターに乗る。エレベーターの中で私は口を開いた。
「お兄様、今日は肉の口になってるのだけれど」
「焼肉だろう。予約済みだ」
「え、どうしてわかったの?」
「東京に帰ってきた日は、たいてい肉だろう、お前」
そうだったかな? と首をかしげる。さすが兄、よくわかっていると言うべきか。
「そうだ、今日はね、実は報告があって」
「なんだ?」
エレベーターが地下一階に到着したので、いったん私は口をつぐんだ。エレベーターを出ると、すぐある次の自動ドアが開く。
ちなみにだ、このエレベーターは会社の裏側にあって、兄の会社の上層部の人間と私と麻彩しか利用できない。他の社員は、表にあるエレベーターを利用するのだ。
自動ドアを出ると、そこは駐車場だった。待ち構えていた車のドアの前には、運転手が立って待っており、ドアを開けた。私たちはそれに乗り込む。車の中は個室となっており、運転手側へは会話が聞こえないような作りになっていた。車が動き出すと、私は口を開く。
「実は婚約破棄されました」
「……何?」
「どういうこと?」
兄と麻彩の驚愕の顔を見ながら、その後続く自分の声が、だんだんと尻すぼみになっていく。
「浮気されちゃって……。真実の愛を見つけたのですって」
「はぁぁぁ?」
麻彩の眉を寄せながらの声に、私もこんな報告したくなかったなぁとため息を付く。そんな私の頭を、兄は撫でた。
「……もう忘れろ。そんな不誠実な男。紗彩にはもっと相応しい人がいるから」
「うん……」
「浮気ヤロー!! これだから男は!」
麻彩の男嫌いに拍車がかかりそうである。
「私があっちに行けるなら、報復してやるのに!」
「うんうん、まーちゃん、その気持ちだけで十分だよ。ありがとうね」
「十分じゃない! 腸が煮えくり返るー!!」
麻彩は頭から湯気が出そうなくらい怒りで震えている。
麻彩と兄は、あちらの世界、つまり帝国へは行けない。帝国と東京を行き来ができるのは、私と母と祖母だけである。
「いつ婚約破棄したんだ?」
「今日だよ」
「今日!? なるほど、だからこちらに帰ってくるのを一日前倒ししたんだな」
「そうなの」
「始末はどうした?」
「ユリウスに頼んでる」
「そうか。徹底的にやれと言っておけ」
ユリウスも兄も麻彩も、どうしてそんなに好戦的なんですかね。まあ、東京にいる限り、物理的な攻撃も精神攻撃もできないから、いいのだけれど。私のために怒ってくれているのは分かるので、気持ちはほんわかする。
「……さーちゃん、その浮気ヤローの写真ってない? 持ってるなら欲しい」
「あるけど……どうするの?」
「呪います」
「…………オッケー、すぐに送るね」
スマホのチャットで元婚約者の写真を送る。すると麻彩は写真を睨みつけながら、ぶつぶつと何かを唱えだした。そんな麻彩を見ながら、つい笑ってしまう。
「うちのまーちゃんって、可愛いよね」
「紗彩の言う『可愛い』は、いつもズレてるよな」
「え? そう?」
「まあ、麻彩は自由にさせておけ。ある程度呪えば、落ち着くだろう」
麻彩に何か特殊な能力があるわけではない。だから麻彩が呪ったからといって、何か起こるわけではないので、満足するまで好きなようにさせておこうと思う。
婚約破棄の報告は終わったし、しばらく次の婚約者候補についての話もできないため、この話はこれで終わりだ。一仕事終わったと、ほっとする。
「それにしても、相変わらずの大音量だな」
ぐうぐう鳴る私のお腹の音を言っているのだ。兄が笑っている。
帝国と東京を行き来する私の能力は、本業である死神業に関係している能力である。行き来する時間は、ほんの一秒。私からすると壁を突き抜けるだけだ。なのに、それをやると必ずお腹が減る。それはもう強烈に。いつも盛大に腹の音が鳴るので、もうすでに音に関して私は恥ずかしくもなくなっている。これを何年もやっていれば、大合唱のたびに恥ずかしがっては、疲れるだけなのだ。
「今日はいっぱい食べるからね」
「今日も、だろう」
くくく、と笑う兄につられて笑うのだった。
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