第3話 異世界 → 東京

 ヴォルフォルデン帝国は島国であった。

 その島の中心に帝都はある。帝都は人口密集地であり、基本的な住居形態はアパルトマンが一般的。ヨーロッパのオシャレなアパルトマンをイメージしてもらうのが一番分かりやすいだろう。そのアパルトマンには当然、狭い広い、上階下階、また賃貸か持ち家かによっても料金の安い高いはもちろんある。やはり値段の高いアパルトマンであれば、貴族や裕福な平民が使用している。

 我がウィザー伯爵家のアパルトマンは、高級アパルトマンが並ぶストリートの五階建ての一棟を持ち家としていた。


 メイル学園から辻馬車で我がアパルトマンに到着した私とユリウスは、私たちが到着したことに気づいた下僕に玄関の扉を開けてもらった。


「おかえりなさいませ」

「ただいま。マリアとライナとラルフを部屋に呼んでくれる?」

「かしこまりました」


 マリアは私の侍女で二十歳。ライナとラルフは双子で二十一歳、我が家の執事、兼、使用人総括もしている。そして彼らはウィザー伯爵家の使用人を代々受け継ぐ一族、ヴィアート家の人間でもある。


 アパルトマンの階段を三階へ上り、私の部屋に入室する。後ろからユリウスも一緒に部屋に入る。私が化粧台の前に座り、ユリウスがソファーに座った時、マリアとライナとラルフが入室してきた。


「おかえりなさいませ、お嬢様、お坊ちゃま。今日はお早いですね」

「今日はいろいろあったんだよぅ。説明はユリウスに任せた」


 自分から婚約破棄されたなど言いたくなくて、ユリウスに丸投げする。説明をしだしたユリウスの声を聞きながら、侍女のマリアは私の眼鏡を取り、髪の毛に手をかけた。長くうねったミルクティー色の髪は、付けていたピンなどをマリアが取り、髪をかぽっと取り外した。

 そう、髪の毛はウィッグだったのである。

 ウィッグの下には、同じくミルクティー色した地毛をまとめるように、網目のネットが現れた。そのネットを取ると、背中まである長いストレートの髪が流れ落ちた。


「お嬢様に婚約破棄を宣言した?」


 ユリウスの話を聞いていたマリアが怒りで震える声を出した。マリアを化粧台の鏡越しに見ると、私の髪の毛に挿していたピンを折り曲げている。すごい力だね!?


「マリア!? 落ち着いて!?」

「これが落ち着けると!? なんて奴! 我々のお嬢様になんて仕打ち! 私にお任せください、目に物をみせてやります!」


 ライナとラルフも頷いている。


「いや、何もしなくていいから! 大丈夫、ユリウスが対処してくれる! ね、だから落ち着いて!」

「ですが!」

「三人が私のために怒ってくれているだけで十分、私は救われるから。それより、こういうことになったから、明日は学園に行かないことにしたの。だから、今日の夜に東京に帰るわ。悪いのだけれど、帰る準備を急いでほしいの」


 前々から明日帰る予定であったため、少しは準備ができているだろうと予想している。マリアは一瞬無言になったけれど、改めた表情をすると頷いた。そして同じく頷いたライナが口を開く。


「そういうことでしたら、ほとんど準備は終わっていますので、夜出発でも問題ありません」

「あ、そう? さすがね、仕事が早いわ。ありがとう。そうだ、差し入れしたいのだけれど、パンを焼く時間はある?」

「焼く前の状態の生地がありますので、一時間ほどお待ちいただければ準備致します」

「ありがとう。よろしくね」


 頷くライナに「学園に荷物を取りに行ってほしい」とユリウスが指示を出すのを横目に、私は視線を鏡に移した。また少し憤っている表情をしたマリアを鏡越しに確認し、苦笑する。


「そんな顔しないで。大丈夫、私は恋をしていたわけではないもの。たった三か月間婚約していただけの人のことなんて、すぐに忘れるから」

「……それでも傷つかないわけではないでしょう」

「そりゃあ、少しはね……」


 リアット・ウォン・ジアンクとは家同士の婚約である。最初から恋だの愛だのといったことからはほど遠く、貴族同士の結婚というものはこういうものなのだと理解している。昔に比べ、貴族でも恋愛結婚は増えたとはいうが、それでも貴族の結婚相手はやはり貴族で、大きな枠から外れることは少ない。


 ヴォルフォルデン帝国の貴族は、家長は男であることが多いが、我がウィザー伯爵家は特殊だった。ウィザー伯爵家の家長は代々女性、現在の伯爵は母であり、私はその後継者だった。なので婿を迎えたい、というのが将来的にはウィザー家の理想なのである。

 なのに、どういうわけか、時間が逆行する前の私は、婿はとれず第三皇妃に収まってしまったし、母は婿など前世でも現世でも一度も迎えたことはない。いろいろと理想通りには進まないウィザー家である。


 二度目の人生の今度こそ、婿を迎えるはずだったのに、今日の婚約破棄である。ため息しかでない。


 家を継げない貴族の子息というものは、数多くいる。貴族家に生まれた次男以下の男性がそうだ。そういう男性にとって、伯爵とはなれずとも、私の婿となって貴族のままでいたい、そういうふうに思う人にとって、私は良い標的であろう。だから、私と婚約したい、そう思った人が釣書や手紙を送ってくる。貴族のままでいられるなら、たとえ『モップ令嬢』と噂される人物だとしても、多少は目をつぶるのだろう。


 そのようにして我が家に送られてきた『婚約しませんか』という意味の誘いの書類から、我が家との繋がりを考慮して、最初は候補を十名まで厳選した。それからさらに三名までに減らしたことで、もう誰でも一緒だろうと『天の神様の言う通り』で決めてしまった非は私にある。

 だから、いくら浮気されて婚約破棄されようが、傷ついて悲嘆に暮れて、周りを巻き込んで大事にしすぎるのは、さすがにそんな資格は私にないと思うのだ。なので少しは傷ついてはいるが、傷は浅いと諦めて、同じ間違いを二度としないよう努めなければならない。


「でも、私にはみんなが味方をしてくれるから大丈夫。少し傷ついても、みんなが甘やかしてくれるもの」

「……分かりました。ですが、何かしてほしいことがありましたら、何でも言ってくださいね!」

「分かったわ、ありがとう」


 マリアは頷くと、ワードローブから服を二着持ってきた。


「東京に帰られるなら、あちらで一度着替えますよね? 服はこれかこれなんか、いかがでしょうか?」

「そうね、右の服でいいわ」


 マリアに水色をベースとしたワンピースを着せてもらう。それからストレートの長い髪を少しだけ編み込み、編み込んだ髪をポニーテールにしてくれた。マリアが髪をいじってくれている間に、私は自身で薄く化粧をする。化粧はやってもらうこともあるが、自分でするのも好きなのだ。


 そして準備が整った自分を鏡で見た。ウィッグを取り、長い前髪が無くなると、顔の造りが露わになる。

 大きな瞳は猫を連想させ、緑の瞳を持つものの、その顔立ちは日本人。ヴォルフォルデン帝国の人種とは造りが違う。たとえこの顔面が他人に見られたとしても、誰も弟のユリウスと姉弟とは思わないだろう。それくらい造りが違う。だがユリウスとは間違いなく血はつながっているのだ。


 それから準備が整い、一時間ほど過ぎたころ、いったん私の部屋を出ていたユリウスが入室してきた。


「準備はできましたか」

「うん。何かお兄様とまーちゃんに連絡事項とかある?」

「いつもどおり、これを渡してください」

「オッケー」


 ユリウスは私にUSBメモリを二つ渡した。ちなみに、まーちゃんとは妹のことである。


「何か欲しいものは? 何か買ってきましょうか?」

「いいえ。特にほしいものはないので」

「分かったわ。じゃあ、あとはよろしくね」


 お願いしていたパンも焼きあがったというので、部屋を移動する。ユリウスとともに階段を五階へ上がり、通路を進み、ある部屋の前に立つ。

 扉に備え付けられているカメラを見てじっとしていると、カメラに付いたランプが緑色になり、扉の鍵が開いた。カメラは顔認証システムを導入しているのだ。その顔認証システムでは、私やユリウス、使用人でも特定の人物のみ判別し、それ以外の人物はこの部屋には入れない。明らかにこの世界のものではないシステム、もちろん東京から持ってきたものを利用している。


 扉を開けて部屋に入ると、先に入って準備の最終チェックをしていたのだろう、ライナがいた。


「今回のリストです」

「ありがとう」


 ライナから手渡されたのは、東京へ持ち帰る荷物のリストである。

 この部屋は窓もなくアパルトマンとしては広い部屋であった。私たちは『倉庫』と呼んでいるが、部屋には荷物が置かれ、格納庫としての役割があるが、私が東京と行き来するために利用する部屋でもある。中央には業務用の台車が八台繋がれていた。台車の上には一台を除き、七台にぎっしり荷物が乗っている。


 部屋の扉の鍵が開いたと思うと、ライナの双子の弟ラルフと、マリアが入室してきた。ラルフは私の部屋からスーツケースを持ってきてくれて、空いた台車の上に乗せた。マリアは籠を持ってきており、スーツケースの上にその籠を乗せる。籠からはいい匂いが漂ってきている。


「パンは焼きたてです」

「ありがとう」


 ライナに渡されたリストはスーツケースに入れてもらい、東京へ帰る準備は整った。

 私は連なる台車のハンドルの前に立つと、ハンドルに付いているスイッチをオンにした。いくら台車に車輪が付いているといえど、八台も連なると私自身では重くて動かせない。この台車はアクセル機能を搭載しているので、自動で動くのだ。だから重くても平気なのである。


「じゃあ、ユリウス、みんな、あとはよろしくね」

「はい」

「かしこまりました」


 残る人たちに手を振りながら、もう片方の手で台車のハンドルを触りつつ、部屋の壁へ近づいていく。そして振っていた手を今度は壁に付けようとすると、その手は壁を突き抜け、その先へ進んでいった。手の次は顔、そして体、次に台車が一台、また一台と壁の中へ吸い込まれていく。


 そして私と荷物は、部屋から消えていくのだった。

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