EP2 ロリっ子JKと一つ屋根の下

①変わり果てた元カノ

 小山内さんのお陰で、少し片付いた部屋を見回して、壮一は思った。


 洗濯しなくては。


 一人暮らしだというのに、大きなランドリーボックスには、洗濯ものがうず高く積み上げられ、山になっている。

 茉優と別れた去年の末から、身の回りを整える気力さえ失っていた。


 この部屋に洗濯機はない。

 洗濯ものをランドリーバッグに詰め込んで、最寄りのコインランドリーへ出かける準備をする。

 30分ほど前に根を張った黄色いテントを見やると、クマのキャラクターが壮一に笑いかけた。


 中には小山内さん。時々、南国を思わせるハミングが聞こえるのだが、中で彼女が何をしているのかはわからない。覗くわけにはいかないし。


「コインランドリーに行って来る。ついでに昼メシ買ってくるけど、何か食べたい物あるか?」

 とテントに向かって声をかけると、ゆらっとテントが揺れて、入口に当たる割れ目から、小山内さんがひょっこりと顔を出した。


「それなら、私が買い物へ! お兄さんが帰ってくるまでにお昼ごはん、作っておきます」

「え? そんな……。いいの?」

「はい! 奮発させてもらうのですから、それぐらい! 私、料理は、お上手です」

「あのさ、奮発じゃなくて、宿泊ね」

「あ、そうでした。シクハク」

 そういって、顔を真っ赤にして斜めに俯いた。


 あれ? かわいい!


 テントの中に入っている事で、まるでしゃべるペットを飼い始めた感覚だ。


「じゃ、じゃあ、お金」

 そう言って、財布から一万円札を取り出し、差し出した。

 小山内さんは受け取りながら、壮一の顔を見上げる。


「お兄さんは、何が好きですか?」


「俺? 俺は、焼きそばユーフォ―」


「焼きそばフォー! フォーなら、お上手です」


 そう言って、ゴソゴソと四つん這いで出て来た。

 フォーってなんだっけ? 壮一の脳内映像と小山内さんの脳内映像は一致していない。

 しかしまぁ、食べられれば何でもいいのだ。


 一緒に玄関へ向かい、外へ出る。

 ビルから突き出した東京スカイツリーが、くっきりと見えるほど、今日はいい天気だ。

 階段を下りて、しばし同じ方向へ歩く。

 たおやかな風が小山内さんのワンピースをひらひらとはためかせる。

 薄いピンクやオレンジの柄が入ったワンピースは、晴れ渡った空に、淡いコントラストを描いた。


「あれ? そういえば髪……」

 ツインテールだった髪は解かれて、毛先が肩口でさらさらと揺れている。


「はい、チェンジしてみました。どうですか? 少しはエロいですか?」

 と、壮一の顔を覗き込む。


「うーん、エロくは、ないかな」


 小山内さんは少し肩を落とす。


「エロいって事は男の性欲を揺さぶるわけだ。それぞれ好みがあるんだろうけど、俺は、真っすぐな髪より、柔らかくカールが付いてる方が、エロスを感じるかな」


 小山内さんは人差し指を顎先に添えて「ふむー 」と唸った。


「カールですね。今度やってみます」

 と、グーにした両手を胸の前へ置く。

 くるくると愛くるしく変わる表情に、うっかり笑みがこぼれる。


「お兄さんは、いつもそんな恰好で出かけるんですか?」

 小山内さんは、上から下まで壮一を視線でなぞった。

 グレーのスウェット上下に、黒のクロックス。

 寝ぐせすら直していなかった。

 ああ、だらしない。

 自分で自分が情けなく、言葉を失くしていた壮一に、小山内さんは言った。


「いいんですいいんです。私と一緒に出掛けるのに、おしゃれなんてしませんよね」


「いや、なんていうか――。これまでの反動?」


「反動? と言いますと?」


「いや、なんでもない。ズボンぐらい履き替えて出てくればよかったなって、ちょっと思った」

 小山内さんは、何も言わず、ただほほ笑んでいた。


 髪を整える事、ひげを剃る事、かっこいい服で武装する事。全てが無駄な事に思えていた。風呂に入るのさえも億劫だったこの三ヶ月。

 あの日の出来事が、まだ生々しく壮一を支配している。


 初恋と呼ぶには嘘くさく、気恥ずかしい。

 なにも、初めて女性を好きになったわけではない。しかし、初めて我を忘れて夢中になったのは、彼女が初めてだった。


 あれは去年の5月。桜が散った後の木々は、あおあおとした葉を、無作為に揺らしていて、木々の隙間から差し込む陽光は、皆に等しく初夏を伝えていた。

 大学のキャンパスで、初めて茉優を見かけた。

 ビビビっと来た気がしたんだ。


 ビリビリではなかったが。


 運命だと思った。


 何故なら、まゆは壮一と目を合わせて微笑み、こう声をかけてきたのだから。


『恋愛小説家! 五木いつきさんですよね。私、小説大好きなんです。新作楽しみにしてます』


 そして、こうも言った。


『恋愛小説って、単調な作品が多くて退屈で眠くなっちゃって、読むのやめちゃうのに、五木さんの小説にはグイグイ引き込まれて、どんどん読んでしまうんです。私、五木さんの小説、好きですよ』


 初めて受賞した時より、嬉しかった。

 この人のために、小説を書こうと思った。


 両親ともに弁護士、という華々しい家庭にそだった茉優は、見るからに裕福そうで、清楚だった。

 高そうな……、いわゆるお嬢様。


 茉優自身も王慶大学の法学部という華々しい経歴を積んでいる最中で、とにかく眩しかった。


 初めて彼女を誘ったのは壮一から。

『君をモデルに、小説を書きたい』と声をかけたのが始まりだ。

『僕のヒロインになってほしい』そんな歯の浮くようなセリフは、思いだしただけでも赤面必至だ。

 それでも、茉優は、随分よろこんで、快諾してくれた。


 あの頃は彼女の方も、間違いなく、壮一の事が好きだったはずだ。

 

「あっ!!!」


 茉優との回想を切り上げさせたのは、小山内さんの驚嘆の声。

 壮一は、はっと我を取り戻したと同時に、目を皿のように大きくした。視界に飛び込んで来た状況に、思わず立ち止まり、咄嗟にビルの脇道に身をひそめた。

 壮一の隣には同じように息をひそめる小山内さん。


 二人の目線の先には、壮一の元カノである茉優。

 そして、その隣でヘラヘラして歩いているのは、茉優を寝取った男。本間ほんま佑介ゆうすけ


 二人がこちらに向かって歩いて来るではないか。


 いつからだろう?

 清楚だった茉優があんな派手な格好をするようになったのは。

 体の線がくっきりと浮き出るほど、ぴったりとしたカットソーの胸元からは、たわわな双丘が溢れている。

 もう、壮一がとやかく言える場所に、茉優はいない。

 本間は白いサマーニット。色よく焼けた肌にサングラス。ウェーブかかった長めの髪。

 悔しい、認めたくないがそんな恰好が良く似合っていて、隣を歩く茉優とも釣り合っている。

 壮一は、無意識に拳を握っていた。


「お兄さん、お兄さん。あの人です」


 小山内さんは、茉優と本間の方を指さし言った。


「私の運命の人」


 そう言って、幸せそうに、頬を桜色に染めた。

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