③恋は狂気だ

「「本当?」」


 二人はこちらに身を乗り出して、表情を明るくした。


「ああ」


「よかったね。小山内おさないさん」

 葉菜はなは彼女の背をさすると、さっと立ち上がった。


「じゃあ、そういう事で。お兄ちゃん、小山内さんをよろしくね」


 小山内さんは座ったままだ。


「ん? よろしくね、とは?」

 まるで、葉菜だけ立ち去るみたいな雰囲気になっている。


「小山内さんの荷物は玄関に置いてあるから」


 壮一は、ふと玄関に目をやった。ゴミの山の隙間から、赤いピカピカした物が視界に映る。

 なんだあれは? あんなのあったっけ?


 スーツケースのようにも見える。立ち上がってみたら、その正体はすぐにわかった。

 スーツケースだ! 紛うことなく赤いスーツケースだ。

 家出?


「ちょっと待て! 小山内さんは帰らないのか?」


「はい。私はここに奮発します」

「奮発?」


「宿泊、かな?」

 葉菜が訳した。

 一文字も合ってないけど、韻は踏んでる。


「言うの忘れてたんだけど、今週いっぱい春休みだから、その間、小山内さんここに泊まるから」


「ちょいちょいちょい、それは困る」


「どうして?」


「だって、見てみろ、この部屋。1Kだぞ」


 こんな所に、ロリ系女子高生と、性欲ほとばしるDD男子大学生が、一つ屋根の下で、一週間も寝食共にできるわけないだろう。と、目で訴える。

 皆まで言わせるな。


「それなら、ご乱心ください」

 小山内さんはすっくと立ちあがった。


 とっくにご乱心だよ!!


 小山内さんは、玄関に置いてあるスーツケースの側から何やら丸い物を取り上げ、こちらに掲げた。レストランの丸いトレーを3倍ほど大きくしたようなナイロンケース。

 ファスナーを開け、中身を取り出すと、ポンっとドーム型に広がった。

 黄色地に熊のキャラクターが描かれている、可愛らしい一人用のテントが、あっという間に出来上がった。


「テント、持ってきたので、ご乱心……あ、ご安心!」


 なるほど。「ご乱心」じゃなくて「ご安心」って、安心できるかよ!

 

「私、ここら辺に寝ますので」

 今の所、ゴミ袋が邪魔で一人用テントを設置する隙間はない。


「いや、そういう問題じゃなくて……」


「あのね、お兄ちゃん。小山内さんの家からここまで電車で2時間かかるんだよ。電車代は片道4000円近くかかるの。往復で8000円。通うの大変じゃん」


「しかしだな」

 壮一はまだ協力するとは言ってない。前向きに検討すると言っただけで、未だ検討中の状態である。


「それに、小山内さんの好きな人ね、この近くの大学なの」

「へぇ、どこ?」

「それがねぇ、王慶おうけい大学」


 王慶大と言えば、壮一と同じ大学ではないか。


「何年?」

「留年してなければ、今度2年」

「俺と一緒じゃん。同期じゃん」


「そういう事なの。もしかしたら、ここにいたら、ワンチャン会えるかもしれないでしょ」


「学部とか、名前とか分かるか?」

 壮一は小山内さんに訊ねた。


 小山内さんは、水をもらえなかったチューリップのように、しゅんと項垂れて首を横にふる。


「どうやって知り合ったんだよ」


「学校の研修旅行で、初日、東京タワー見学に行ったんですけど、私、みんなからはぐれて、迷子になってしまって。それを彼が助けてくれたんです。その時に、大学の話をしてくれました。とっても優しくしてもらったんです」


 小山内さんの表情ははにかんでいるが、なんだか幸せそうだ。


「エロそうな女連れてたっていうのは?」


「次の日が、新宿都庁だったんですけど、その時に女の人と一緒にいるところをタマタマタマ見かけて――。同級生に東京住みの子がいて、その子がまた、タマタマタマ知ってる人で、教えてくれました。けど、彼の名前までは知らないって」


 わざとタマタマタマタマ言ってないか?


「でも、私、ビリビリっと来たんです。これは運命だ! って思ったんです」

 小山内さんの表情に、幸せの色が増す。


 恋は狂気だ!


 そこへ、葉菜が陽気にこう言った。

「これからさ、夏に向けて人は開放的になっていく季節じゃない? 恋する乙女が、変貌を遂げるにはいい季節だと思うの」


「そういうのなー、ごり押しって言うんだぞ」


「わかったわかった、覚えておく。じゃあね」


 葉菜は、軽く手をあげ、ひらりとスカートを翻した。

 玄関に、テントを持ったまま立っている小山内さんに、何やら耳打ちすると、春一番の如く去って行った。


「うそだろう……」

 そんな言葉がポロリとこぼれ、小山内さんと、一瞬、気まずい視線が交差する。


「あのー、私、ご迷惑はおかけしませんので」

 そう言って、テントをプラプラしながら申し訳なさそうに眉をへの字に下げた。

 そんな姿を見て、出て行けとは、とても言いにくい。


「親は、大丈夫なのか? ちゃんと言って出て来たのか?」


 小山内さんは、体ごと横にふるふるとさせた後、こう言った。

「母は、去年、日本で知り合ったインド人のおじさんと恋に落ちて、インドに行っちゃいました」


 なんて親だよ! 全く!!


「じゃあ、小山内さんは、それからずっと一人で暮らしてたのか?」


「はい」

 そして、彼女は急に明るい顔になり、こう続けた。


「そのインド人のおじさんが教えてくれたんです。この世で選べないのは親だけだって。それ以外は全て自分で選ぶんだって。私は私の人生を好きに選んでいいんだって」


「いい事いうじゃないか」


「だから、私は、日本を選びました。インドには行かず日本で暮らす事を選びました」


「そうか」


「だから、春休みやゴールデンウィーク、夏休みも、ここに奮発する事を選び、誓います」


 勝手に誓うな!

 言葉を失ってしまった壮一は、数回目をしばたかせた後「勝手にしろ」と、ベッドに座り込んだ。


「はい。勝手に、することを、誓います」


 小山内さんはそう誓った後、テントを部屋に置き、ワンピースの袖をまくり上げ、片付け始めた。キッチンに散乱するカップ麺やコンビニ弁当の残骸を、水で流し次々にゴミ袋に入れていく。

 わずかだったキッチンのスペースは、見る間に広がっていった。


「えっと、可燃ごみは、月、水、金」

 小山内さんは、冷蔵庫に貼ってあるゴミ出しカレンダーを見ながら、ひとりごとのようにそう呟く。


「明日、ゴミ出しです。朝8時までに私が出しておきます」

 そう言って、パンパンになったゴミ袋を玄関の前にズルズルと移動し、積み上げた。

 空いたスペースには、一人用の黄色いテントがすっぽりと収まった。


 あっという間に、小山内さんの寝床が出来上がったというわけだ。

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