②小山内さんの事情

「私をエロくしてください」

 と言った後、小山内おさないさんはフローリングに揃えた両手をつき、頭を下げた。ふるんと揺れるツインテール。


 エロくという表現は、エッチの他に解釈があるだろうか? としばし頭をひねる壮一。

 しかし、思いつきもしなければ、葉菜は先ほどの「オマタ」のように言い間違えだと正さない。

 言い間違えでないとすれば……。


「えっと……そのお願いをする相手は、俺で合ってるか?」

 二人は同時に顔を上げて、壮一をじっと見据え、頭を二度大きく縦に振った。


「私、落ちてるんです」

 興奮気味に口を開いた小山内さんは、そういって頬を赤らめた。


「はい?」


 更に困惑する壮一。


「あのつまりね。小山内さんは恋しちゃったの」

 恋しちゃった?! つまり恋に落ちてるって事か。


「しかも年上の男の人で、初恋なんだって」


 葉菜はまるで保護者のように、小山内さんの事情を訴える。


「なるほど」

 壮一は、まがりなりにも小説家である。バイト代程度には収入も得ているれっきとした商業作家である故、想像力や理解力はあるほうだ。言いたい事はなんとなくわかった。


「それはつまり、エロくなりたいと言うよりは、大人っぽくなりたいって事、か? その男に釣り合うような女性になりたい、とか?」


 すると二人は激しく首を横に振る。


「違うの。それならお兄ちゃんを頼らない! エロくなりたいの!!」

 葉菜は小山内さんを代弁するように続ける。


「その人ね、大学生なんだけど、連れて歩いてる女の人は、いつもこんな短いスカート履いてて」

 葉菜は太もも上部の際どいラインまでスカートを持ち上げた。

 そしてこう続ける。

「おっぱいも半分見えてるような服を着てるの。絶対エロい女なのよ。彼はきっとそういうエロ系の女の人が好きなんだよ」


「ほう。っていうかそんな男、ろくでもないぞ。付き合ってもいい事ないと思うけど」


「違うんです」

 今度は小山内さんが口を開いた。

「付き合おうなんて、けしからん事は思ってないんです」

 けしからん?

 ちょいちょい日本語が変だが、通じない事はないのでスルーする。


「少しでも彼の好みの女性に近付きたい。いつか、彼が私を見かける事があったら、ちょっといいなぐらいに思われたら……」


「まぁ、言いたい事はわかった」

 その気持ちは、壮一にはなんとなく理解できた。小山内さんは、恋に恋しているのだ。


「しかし、そのお願い、なぜ俺に?」


「だって、お兄ちゃんエキスパートじゃん」


「は? 何の?」


「エロの」


「ん? ちょっと何言ってるのかわかんない」


 そりゃあ、確かに、今ここにいる3人の中では一番経験豊富なのは間違いないが、世間一般的には、乏しい方だ。

 大学に入るまで童貞だったし。


「だって、エッチな小説書いてるじゃん」


「――っ!!」

 なぜそれを?


「公募に落ちた恋愛小説をエロ小説にして、ハレンチ書院に持ち込んでるんでしょ?」


 いや、そうだけど。


「なぜそれを?」


「だって私、お兄ちゃんのツイッター知ってるもん」


『公募に落ちたので、エロ小説にカスタマイズ。ハレンチ書院イってきます』などと、ちょくちょくやっているツイートを見られていたというのか。妹に。


 血圧は上昇して首から上に血液が集まってくる。その辺りがまるで臓器のようにドクドクと波打つ。控えめに言って、口から煮えたぎった血を吹くほど恥ずかしい。


「おっ、お父さんとお母さんには、言うなよ」


「わかってる」


「ほらほら、これ!」


 葉菜は、ここほれワンワンとでも言いたげな顔でスマホの画面を見せた。


「この小説って、まさしくそれでしょう! 『恋する乙女のテンカウント』イケてない貧乏侯爵の令嬢が王子さまの目に留まるように、エロさを身に付けていくシンデレラストーリー!」

 更に血圧が上昇する。これ以上はずかしめないで欲しいと、壮一は心の中で祈った。

 これは、壮一が高校1年生の時、ウェブ小説投稿サイトのコンテストに応募し、受賞しなかった普通の恋愛小説だった。

 それを大学に入ってからエロ小説に描き変えて、18禁サイトにアップしていた物である。

 ちらっと目に入った冒頭の文章は、泣ける。下手くそ過ぎて。


「こんな感じで、小山内さんセクシー化計画! お願い!!」


 初稿から4年。改稿してから1年が経っている作品だ。

 どんな内容だったかを、壮一は思いめぐらせていた。


 確か、髪型やメイクから始まり、仕草や着崩しのテクニック。最終的には確か――。


 破廉恥だ!!!


 物語の中で、そのエロ化に協力するのは魔法使いのドS系執事。その執事は性感帯の開拓として、処女であるヒロインに対して、オナニーまで指南するのだ。

 壮一は魔法使いでもなければ、執事でもない。

 それに、あんな事やこんな事を、この無垢な少女にしてもいいものか。いいわけないだろう。


「ダメだ、ダメだ! 学生の本文は勉強だぞ! そんなものにうつつを抜かしてないで勉強しろ。高校3年って言ったらだなー、人生で一番勉強しなきゃいけない時期なんだ。帰れ帰れ! 俺は忙しいんだから」


 壮一は手でしっしと追い払うような仕草の後、立ち上がり、パソコンデスクに向かおうとした。

 その背中に葉菜の声がふりかかる。


「その大事な時期にエロ小説ばっかり書いてたのは、どこの誰よ」


「バカ言え! 俺がエロ小説を書き始めたのは大学に入ってからだ」


「小説ばっかり書いてたのは間違いないでしょう。高2の時、恋愛小説大賞で特別賞受賞して、それをアピールして、AO入試で合格したんじゃん」


「そ、そうだよ。それがなんなんだよ」


「だから、勉強より自分磨きだと思うの」


「それも大事だよ。しかしだなー、一般的な学力が落ちこぼれだったらAO入試だろうが推薦だろうが通らないぞ」


「私、英語が官能なので――」

 身を乗り出して、そう言ったのは小山内さんだ。


 官能はエロだよ! それをいうなら堪能たんのう! 昔は堪能もかんのうとよんだけれども、それは稀なの。それを言うならなんだよ!!


「生徒指導の先生が言うには、高跳びしなければある程度いいとこ行けると――」

 高跳びじゃなくて、高望みだろうが!

「――札つきです」

 ワルか!! それを言うならお墨付な!! 


「日本語も満足に話せないのに、語学だと? 大学入試をバカにするんじゃないぞ! んあーーー、もうっ」


 壮一はくしゃくしゃっとボサボサ頭を掻いた。


「大体だなー、小山内さんはこの小説を、読んだ事あるのか?」


「いえ。私、日本語あまり読む方は得意ではなくて」

 話す方も得意じゃなだろ!


「葉菜ちゃんにここにクエればいいからと」


 すかさず葉菜が口を出す。


「来れば、ね」


「エロの前に、日本語を勉強しなさい! 日本語を!!」


「お兄ちゃん!!!」

 葉菜が金切り声を上げた。顔を紅潮させて怒っている様子だ。


「な、なんだ」


「小山内さんは、小山内さんは……。日本人の両親の元に生まれたんだけど、小さい時にお父さんを失くしたの!!」


「そ、そうなのか」

 うっかり地雷を踏んだらしい。

 

「小山内さんが5歳の時、お母さんはフィリピン人の男性と再婚して、彼女もフィリピンでずっと暮らしてたんだよ」


 生まれた時から実の両親に育てられ、何の苦労も知らず大人になった壮一は、その手の話に弱い。


 葉菜は続ける。


「お父さんは日本語があまり話せなくて、コミュニケーションは殆ど英語だったんだって。2年前に両親が離婚して……。

 それでお母さんと一緒に日本に帰って来て、うちの高校に転入してきたのよ。家でも学校でもコミュニケーションは英語だったから、日本語にまだ馴染めてないんだよ。でも、これでも大分上手くなったんだよ」


 葉菜は徐々にトーンダウンした。顔を同情の色に染めて捨て猫でも見るような目で小山内さんを見やった。


 そういえば、葉菜が高校一年の時、海外から転校生がやってくるとはしゃいでいた事があった。それなのに、転校して来た子は純日本人だったと少しがっかりしていたっけ。

 それでも、言葉も通じず、日本になかなか馴染めない転校生を甲斐甲斐しくお世話していて、先生からも感謝されていた、というような事もあったっけ。


 その時の転校生が小山内さんと言うわけか。


 幼い頃から親の都合で随分苦労したんだろうな。

 そんな事を思うと、壮一はなんだか放っておけない気になってしまった。

 再びベッドに腰かけて数回深くため息を吐いた。


 同時に、冴えない自分が、セクシー美女である茉優と付き合う事になって、随分無理して背伸びしていた事と重なり、益々見過ごせない思いが募る。

 無理に、慣れない窮屈なジャケットを着てみたり、身の丈に合わないブランド物の時計を嵌めてみたり。

 5年ローンで車も買ったっけ。


「小山内さんは、日本に馴染もうと、いつも一生懸命頑張ってたの! 周りの女の子たちがアイドルやイケメン配信者やリアルの恋愛に夢中になってる時も、小山内さんはいつも勉強してた。そんな彼女の初めての恋なんだよ!」

 葉菜はそう言って、膝の上でぎゅっと拳を握った。


 迷子センターに預けられた子供のような目でこちらを見据える小山内さん。

 この子の恋は加速すればするほど、危険が待っている。闇に堕ちて行くのは目に見えている。

 恋とは狂気だ。それでいて不死身である。何度でも蘇っては苦しみを与える。それなのに尚、人は恋に溺れ、狂い、病むのだ。


 突き放すのは簡単だが、壮一は心配になってしまい、つい言ってしまった。


「お前たちの言いたい事はわかった。前向きに検討するよ」

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