②小山内さんの運命の人

 部屋に充満する魚介とニンニクの焦げた匂いは、南国の屋台を彷彿とさせる。

 焼きそばユーフォ―とは程遠い食べ物が出て来る事は間違いなかった。

 小山内さんは『運命の人』とやらを偶然見かける事ができて、ご機嫌な様子。

 鼻歌まじりにフライパンを振っている。


『あの人です! あの女の人みたいに、エロくなりたいんです』

 と、茉優を指さし、言った。

 興奮気味にはしゃぐ彼女に、壮一は、あれが自分の元カノだとはとても言えなかった。

 そして、本間という男がどういう奴であるかに関しても……。


「お兄さん、カンゲキしましたー!」

 小山内さんはそう言いながら、二人分の皿をテーブルに置いた。

 完成したらしい。カンゲキではなくて。


 見た目、中華風のあんかけ焼きそば。だが、麺の存在はわからない。いくつかの野菜がドロっとしたあんに絡まれていて、くし切りにしたライムが添えられている。

 匂いは、いい匂いだ。

 中華というよりは、タイとかベトナム料理といった感じ。


「ライムはお好みで」

「ありがとう。お腹すいたね。いただきます」

 壮一は、早速ライムをかけて、一口食べてみた。


「ん? 美味い! めっちゃ美味い!」

 日本にはない味だと思った。

 小山内さんは最高に嬉しそうな笑顔を作って肩をすくめ、こう言った。

「上出来でしたー!」


「うん、上出来上出来! これ、なんていう料理?」


「これは、パッタイと言って、フィリピンの焼きそばです。フォーを細かく切って作りました」


「パクチーの代わりに、三つ葉が入っているのがいい!」


「はい、パクチーは苦手な日本人が多いですから」


 そういう君も日本人でしょうが! と思ったが、壮一は笑ってうなづいた。

 美味しいねと言い合いながら食べたパッタイが、壮一を異国へ連れて行ってくれているような気がした。


 食事が終わると、小山内さんは速やかに片づけて、キッチンを磨いている。

 フィリピンは貧しい家庭も多いと聞く。

 家事のお手伝いとかが当たり前だったんだろうな。そんな事を思いながら、彼女に声をかけた。


「フィリピンのどこに住んでたの?」


「セブ市です。セブ・トレド・ワークロード沿いに家があって。日本とは比べ物にならないぐらいお粗末なバラックでしたけど、年中温かくて、海がきれいで、星がきれいで。大好きな街でした」


「そっか」


「はい。日本も大好きです。こんな立派なアパートメントに住めるなんて。夢のようです」


「え? ここが立派?」


「はい、豪邸かと思います」


 壮一は思わず目頭が熱くなった。

 なんていい子なんだ。今日日、日本にこんな子はいないだろう。


「あのさ、小山内さん。あの、君の運命の人なんだけど」

 小山内さんは手を止めてこちらに振り向いた。。


「あいつ、あ、いや、彼ね、本間佑介って言うんだ。経済学部経営学科」


「ホンマ、ユウスケ? お兄さん、知り合いだったんですか?」


「うん、まぁ。でね、隣にいた女の人。あれはね、本間の彼女じゃない」


「そうなんですか?」


「そう。友達だよ」

 実際の所、本当かどうかは知らないが――。


「俺はそう聞いてる」


 ラブホに入った二人を、壮一は待ち伏せして、出て来たところを問い詰めたのだ。

 本間は確かにそう言った。


『ただの友達だよ。友達とセックスぐらいするだろう。と』

 隣にいた茉優は、ふてぶてしく壮一から顔を反らして本間の腕を取り、こう言った。


『行こう』


『おいおい、いいのかよ。一応、彼氏なんだろう』

『もういいのよ。友達とのセックスの方が気楽でいいわ』


 もしも壮一に、商業作家という肩書がなければ――。

 手に刃物を持っていたとしたら――。

 二人を、めった刺しにしていた事だろう。

 冷たい木枯らしが吹く12月半ばの出来事だった。


 壮一はこのアパートに帰って来て真っ先にした事、それは――。

 クリスマスに茉優に渡そうと思っていたハイブランドのネックレスをゴミ袋に突っ込む事。

 彼女を喜ばせたくて、食費を削り、吐きながらアダルト漫画用のシナリオを書いて金を作った。

『俺はエロ作家じゃない。恋愛作家なんだ』と嘆きながら、金になる仕事をした。

 茉優のためなら、なんだってできると自分を鼓舞して――。


「お兄さん? どうして泣いてるの?」

 歪んだ視界に小山内さんが映り込んだ。


「いや、なんでもない。あいつみたいな顔に生まれてたら人生違ったのかなって――」


「なーんだ、そんな事? お兄さんはお兄さんのままで十分素敵です。優しくて素敵な男性です」


 小山内さんの顔は真剣だ。

 うっすらと下瞼は膨らんでいる。


「どうしてそう思うの?」


「みずいらずの私をかこってくれました」

小山内さんが、真剣な面持ちでそんな事を言うもんだから、壮一はつい「ぶはっ」と吹き出してしまった。


 見ず知らずな! かこってはない。君が押しかけてきたんだ。

 

「ごめん。笑っちゃった。日本語って難しいね。ありがとな」


 小山内さんはきょとん顔で、壮一の顔を見つめていた。


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