第22話 爆走

 ジョシュア爺さんは帯剣していないことを後悔している。

 畑仕事には邪魔よ、と言われても持ってくるべきだったと唇を噛みしめた。

 ポージ婆さんは恰幅の良い体の後ろにカテリーナを隠そうと袖を引く。

 そのカテリーナはジャガイモ料理を捨てられたことに怒っていた。

 食べ物を粗末にするだけで許せないのに、さらにそれがジャガイモ料理である。


 そこへ大音声が響いた。

「何をしている!」

 ベルナルドがしなやかな手足の動きで、ジャガイモ畑に向かって走ってきている。その後ろ五十歩ほど離れたところをドランクが巨体を揺るがせながら、顔を真っ赤にして懸命に脚を動かしていた。


 このような状況になったのには理由がある。

 最初に異変を察したドランクが警告の叫び声をあげ、現場に急行しようとした。

 それを聞いたベルナルドが二階の執務室の窓を開け、バルコニーから華麗に身を躍らせる。

 前転して着地のショックを和らげると立ち上がり、ベルナルドは猛然と走り始めた。


 ドランクは大柄な者にありがちだが、走るのはあまり速くない。

 途中で抜き去るとベルナルドは、身の危険を心配するドランクの声など耳に入らないように驀進した。

 現場に到着すると侵入者とカテリーナの間に身を置いて剣を抜き払い、場を凍りつかせる声で周囲を威圧する。


「貴様ら、ここをどこと心得る。控えろっ!」

 今にも斬り捨てそうな剣幕にカテリーナがおっとりとした声をかけた。

「ベルナルド。危険なことは何もなかったのよ。まあ、勝手に入って来たのは良くないことだけど」

 侵入者たちは完全に圧倒され身動きもできないでいる。


 間者は一瞬迷った。

 さすがに乱入してきた剣士が王太子のベルナルドということは一目で分かっている。 

 貧民どもをけしかけて、ベルナルドの注意を逸らせば、毒を塗った暗器で倒せるのではないか。

 ただ、第一に優先すべきは聖女候補であると思いなおす。


 そして、後からやってくるドランクの存在を思い出して、脱出することを優先した。

 今ならこの貧民どもを盾にして自分一人で逃げ出すのはわけないだろう。

 ぱっと身を翻すと壁に向かって走り出した。

 壁のこちら側に立てかけていたはしごを猿の如く駆け上がり、壁の向うへと跳躍する。あとは町中に紛れるだけだと安心した。


 一人が逃げ出すのを目撃したが、ベルナルドはカテリーナが心配でこの場から動くわけにはいかず歯噛みをして見送る。

 目の前の不逞の輩から妻を守ることが優先だった。

 カテリーナを脅かしたことで全員斬って捨てたいところではあるが、妻の面前であるということで自制をする。

 少し冷静になってみれば、侵入者たちはみすぼらしい格好で生活に困窮していることが明らかだった。


 武人の娘でもあることから、血を見るだけで嫌悪するということは無さそうだが、弱者をほしいままに殺戮しては、妻に愛想をつかされてしまうかもしれない。

 対等の敵と戦って倒すのとは異なる。

 ベルナルドは重ねて威圧することにした。


「余はこの国の王子ベルナルドである。数を恃んで押しかけてくるだけでなく、我が妻を取り囲むとは許しがたい。前非を悔いひざまづけ。斬って捨てるのは勘弁してやる」

 これだけで半数は手にした武器を放り出して、地面の上で額づいている。


 大胆なのが問いを発した。

「確かにあなた様は王子らしい格好をされています。しかし、奥方というのはどこにいるのでしょうか?」

「たわけ。我が後ろにおるだろう」

「へ? 料理を振るまってくださった方が奥さまなので?」


「……料理だと?」

 訝し気な声を出すベルナルドにカテリーナは慌てて言い訳をする。

「ベルナルド。あのね。ちょっと新作の料理があって、食べた感想を聞きたいなあ、なあんて」

 カテリーナはもじもじとした。


 ベルナルドは前を向いたまま、ぶすくれた声を出す。

「試食なら、私がいくらでもしたのに」

 私より先に食べるとは許せん。

「本当に完全に初めて作ってもらったものなの。ベルナルドには味を確認してから食べて欲しくて」

「そうか。まあ、それなら」

 その言葉にベルナルドはひそめていた眉を元に戻した。


 息せき切って駆け込んできたドランクが呆れる。

「屋敷の侵入事件のはずなのにどうしてそんな甘い雰囲気になっているんです?」

 そう言いながらも周囲を睨むと、まだ立っていた者たちも平伏した。

 土の匂いを嗅ぎながら、侵入者たちはカテリーナが間違いなく妃であると認識する。

 そして、段々と大罪を犯した事実を実感し、小刻みに震え始めるのだった。



 

 

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