第15話 出発

「そのままで構わん。私はカテリーナを呼びにきただけだ」

「はい、すぐに着替えて参ります」

「では、部屋まで私がエスコートしよう」

「殿下が? それではあまりにも恐れ多うございます」

「なに、どこで待とうが同じこと。安心しろ、着替えの間は外で待つ」

「殿下、お戯れが過ぎます」

 頬を少し紅色に染めつつ言いながらも、カテリーナはベルナルドの腕に身を預ける。

 立ち去る後ろ姿を見送りながら、ポージ婆さんは目を細めるとひとりごちた。

「殿下もお嬢様を選ばれるとは、人を見る目はおありのようじゃのう」

 

 着替えを終えたカテリーナとベルナルドは馬車に乗り込む。

 走り出すと同時にベルナルドは身を寄せてカテリーナの髪に顔を埋めた。

「な、なにをなさるんです?」

 ベルナルドはそれに対して返事をせずに首をずらすと今度は唇を合わせる。

 執務中の反省はどこへという感じであった。

 二人きりになり、カテリーナに触れたくてたまらない。


 カテリーナはなんとか隙間を作るように体を反らした。

 ベルナルドは傷ついたような顔をする。

「私のことが嫌なのか?」

「そうではないのですが、見てください。ほら、まだあんなに日が高いです」

「誰も見ていないからいいだろう?」


「殿下は女性と二人きりになるとすぐにこういうことをされるのですか?」

「それは誤解だ。これはそなたが相手だからで、誰にでもこんなことをするわけじゃない」

「どうでしょうか? 大抵の女性は殿下に口説かれたらすぐになびきそうですけど」

「決してそんなことはしない。私にとって女性はそなただけだ」

「殿下って口が上手いですよね」

 カテリーナの言葉にベルナルドは困った顔をする。


「私にはそれほど信用がないのか?」

「殿下は素敵な方ですもの」

「では、カテリーナもそうは思ってくれているということなのだな?」

 ベルナルドは白い歯を見せて笑った。


 触れられるのを嫌がるのは、どうも昨夜のことで愛想をつかされたからではないらしい、と安心する。

 昨夜あのまま就寝していたら、それはそれで今朝問題になったかもしれないと遅ればせながらに気が付いて、結果的に正しい行動だったとベルナルドは自己正当化をしていた。

 ただ、カテリーナに対して性急すぎたのではないかという気おくれは未だに付きまとっている。


 夫が昨夜の行動を色々と悩んだり反省したりしている一方で、実はカテリーナは結婚前とあまり変わっていなかった。

 よく分からないなりに、夫婦というのはああいうことをするものなのか、と感心しているぐらいである。

 昨夜のことは別に嫌では無かったし、ベルナルドが感極まった声を出したときは、急に愛おしさがこみあげてきて、腕を伸ばしてその頭髪を撫でていた。


 カテリーナにも自分が玉の輿に乗ったという自覚はある。

 ベルナルドの容姿も好ましいものと思ったし、色々と思惑はあるにしてもカテリーナを大切にしようという気持ちはしっかりと伝わっていた。

 そして何よりジャガイモを馬鹿にしないし、むしろ認めてくれている。

 今朝もカテリーナがリクエストしたジャガイモのパンケーキを一緒に食べていた。この料理は一般的には王太子が口にするものではない。

 しかし、普段はあまり朝食を摂らないことを知っている給仕が驚くほどの健啖家ぶりをベルナルドは見せている。


 他人の評価としても誰もがうらやむ良縁であり、カテリーナ個人としても主にジャガイモ関連での評価が高かった。

 従ってカテリーナにベルナルドへの不満はない。

 ただ、あまり自分が深くのめり込むのは避けた方がいいという思慮を働かせていた。


 もし、ベルナルドの期待通りの聖女でなかったら、自分から心が離れていくのではないかと危惧している。

 自分の存在価値は十割とは言わないまでも、八割・九割は聖女候補ということだと達観していた。

 あまり熱愛されると冷めた時のショックが大きい。

 そのときに備えるためにもベルナルドに気持ちを動かさないように自制していたし、同時にベルナルドに対して距離を置こうとしていた。


 別に冷淡にするつもりまではないが、できるだけ反応を薄くしようとしている。

 口づけの甘美さに酔わないようにと自らを厳しく戒めていた。

 再び抱き寄せ口づけようとするベルナルドの唇に指を押しあてる。

「先ほども申しましたが、日が高いうちはお控えください」

「嫌ではないのだね?」

 颯爽とした姿が消え、ベルナルドは傷つきやすそうな少年の顔をする。

 そんな顔をされてしまうと、カテリーナも心が揺らいだ。

「私は殿下の妻であることを幸せに思っています」

 質問に対して少しずらした回答をする。

 ベルナルドはほっと安堵の吐息を漏らした。

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