第9話 結婚式

 ロンダーフの大聖堂の鐘が打ちならされる。

 大聖堂の前の広場は立ち入りが規制されていた。

 王太子の結婚式の様子を一目見ようと集まった群衆は、警備の兵士の間から、新郎新婦の姿を一目でも見ようと首を左右に動かしている。

 人々は大聖堂の入口から百歩ほど離されているが、王族の警備としては特に厳重というほどでもない。


 大聖堂の前の停車した四頭立ての馬車の三台目に乗っているカテリーナはカーテンの隙間からそんな光景をぼんやりと眺めている。

 どうしてこうなった?

 わあっという歓声が上がった。

 カテリーナは大聖堂側の窓に移動する。


 階段の正面につけた二台目の馬車から降り立った若者の髪の毛に日の光が反射して金粉を振りまいたかのような錯覚を起こさせた。

 王家の紋章にも使われる薔薇を思わせる深紅の上下に身を包んだベルナルドは二人の近侍を従え、大聖堂の入口の階段を上ると背の高い扉の前で振り返る。

 片手を軽くあげて群衆の歓呼に応えると中へと入っていった。


 見ていた観客の中の女性から一斉にため息が漏れる。

 老いも若きも女性はみな、自らの傍らに立ちほほ笑むベルナルドを夢想したことは一度はあるのだった。


 カテリーナの乗る馬車が移動し、大聖堂の正面に止まる。

 父のエスコートで路上に降り立った。

 横にいるレオポルトの巨躯と見比べると、どうしてもカテリーナの背丈の低さが目立つ。

 まだ子供ではないのか。

 そんないぶかしむ声がそこここから上がり、その雰囲気はカテリーナのところまでも届いた。


 一応十六歳を迎えているカテリーナではあったが、全体的に幼く見えてしまうのは仕方がない。

 それでも、ベルナルドから依頼を受けた裁縫師や靴職人は、持ちうる技術の粋をつくしていた。

 眩いばかりの純白の生地に銀糸で縫い取りをしてあるのだが、要所要所に影ができるデザインとすることで、なんとかウエストのくびれを演出している。

 靴のほうも、カテリーナがつんのめらない程度に踵をあげてあり、拳一つ分背が高く見えるように工夫がされていた。


 カテリーナはエスコートされながら、階段を上がる。

 いつも通りの彼女の振る舞いなら、二段抜きで駆け上がりたいところだが、今日は靴のせいで強制的にゆっくりとした足運びとなっていた。

 最上部まで上がるとくるりと振り返る。

 ドレスの裾をつまむと軽く腰を下げた。


 再度向きを変えると父の肘に手を添えて、大きな扉を潜る。

 外の強い陽光から急に暗いところに入って、一瞬真っ暗闇の中にいるかと錯覚した。

 しかし、すぐに目が慣れる。


 何百人もの視線がカテリーナに刺さった。

 中には侮蔑や憎悪の感情を乗せてくるものもいるが、その気持ちは分からないでもなかった。

 そりゃあ、相手は王太子殿下だもの。そういう気分にもなるわよね。

 そんな感じでカテリーナは達観していた。


 一応、この間、カテリーナへ向けられる羨望の念を減らすべく、ベルナルドは側近と知恵を絞っている。

 イエッター家訪問の際に体調を崩したベルナルド殿下をカテリーナが献身的に看護し、それに感銘を受けたなどという話も考案されたが最終的に放棄していた。


 話の裏取りをされるとすぐ露見する雑な筋書きであるし、今後のことを考えると、ベルナルドに健康不安があるというのは、政敵の攻撃材料となる危険がある。

 結局、カテリーナを選んだのは、ベルナルド殿下の趣味ということに落ち着いた。

 実は殿下は童顔で背が低く豊満な女性が好みである。そんな風説が短期間に流されていた。

 あまり一般的と言えるものではないが、過去の歴代の王の中にも伝記の中で、そういう趣味だったと仄めかされる者がいる。


 ベルナルド殿下は為政者なのであって、良き家庭人としての役割はあまり求められていなかった。

 ロードルト王国を富み栄えさせ、外敵を打ち払うのが第一の役割である。

 とんでもない浪費家や、周囲を恐怖に陥れる冷酷残虐な女性でもなければ、誰を娶るかについて最後は本人の意思を通すことは可能だった。

 その結果として、カテリーナがこの場に立っている。


 もっとも政治的には、ベルナルドに娘を嫁がせることを画策していた主要な三家からの反発は忘れるわけにはいかない。

 ただ、さすがにどの家の当主や令嬢も、結婚式当日に口に出して不平不満を漏らすほど愚かではなかった。


 皆の注目を集めながらカテリーナは、緋色のカーペットを進んでいく。

 ついに祭壇の前まで到着するとレオポルトはカテリーナの手を取って、夫となるベルナルドに引き渡した。

 夫かあ。殿下が私と結婚するのか。

 カテリーナには未だに信じられない。


 王国教会の大司教が、最初にベルナルド、次にカテリーナにお互いを配偶者として愛し慈しむことを誓うか問いかける。

 二人の宣誓の言葉を受け、大司教が参列者に向かって荘厳な声を張り上げた。

「二人の神聖なる誓いに異議を唱えんとする者は、今この場にて名乗りでよ」

 しわぶき一つ聞こえない静寂が辺りを包む。

 いっそのこと誰か名乗り出てくれると気が楽になるかも、などとカテリーナは頭の隅で考えた。

 もちろん、そんな珍事は起きない。


 十分に時間を取ってから、大司教はベルナルドとカテリーナを向き合わせると宣言した。

「偉大なる神に与えられし権能によりここに宣言する。ただいまより二人は夫婦となった。神の恩寵が新しき生活にふりそそがれんことを」


 長身のベルナルドが体を傾ける。

 秀麗な面輪が迫りカテリーナに口づけをした。

 さすがにこの部分はリハーサルでも省略されていた部分であり、カテリーナは初めての感触に困惑する。

 決して嫌なものではなかったが、ふわふわしたよく分からない感覚に包まれた。

 ベルナルドの顔が離れると、自然に参列者の顔が目に入る。

 人前でキスをされたという現実を急に認識して、カテリーナの頬が赤くなった。

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