第2話 ジャガイモ

 へとへとになった剣の練習が終わり、楽しみな夕食の時間になる。

「ねえ、ジョシュア。あなた、ジャガイモ食べないの?」

 ほかほかのジャガイモにバターを載せ三つ又のフォークで突き刺した状態で問いかけた。


 もともと食事の際には大きな肉の塊を切るのにナイフを使うぐらいで、王宮ならいざしらず、辺境のイエッター家では手づかみで食べていた。

 でも、アチアチのジャガイモは手でつかめない。

 そこで麦や干し草を持ち上げるのに使うピッチフォークを小型にしたものを、カテリーナが村の鍛冶屋に作らせて使用していた。

 必要は発明の母である。


 溶けたバターがジャガイモの表面を滑り落ちていく。

 ああっ。もう待てない。

 カテリーナはお口を目一杯開けてジャガイモをパクリと食べた。

 ジャガイモのホクホクした食感と甘味をバターの塩気が引き立てる。

 ちょっと熱いがたまらない美味しさだった。


 テーブルの向かい側では陪席しているジョシュアがカテリーナを眺めている。

 カテリーナはもぐもぐと口を動かし、満足しながら口中のものを飲み下した。

 美味しさのあまり手を頬に当ててしまう。ああ、なんて幸せなのかしら。

 そこで、先ほど質問をしたことを思い出した。


 ジョシュアの方に視線を送る。

「私は猫舌でして。熱いものは少々苦手なのです」

「アッツアツが美味しいのに」

 次の一切れにフォークを突き刺すと口に運んだ。

 ああ、フォークが止まらない。ジャガイモが次から次へと消えていく。


 皿の上がきれいになったので、ナプキンで口を拭った。

 グラスに口をつける前にナプキンを使う。その程度の食事のマナーはわきまえていた。まあ、そのマナーも丸のままでジャガイモを口に入れる段階で台無しではある。

 林檎の搾り汁を井戸水で割ったものを飲んだ。

「ねえ。ジョシュア。ジャガイモには白ワインが良く合うって本当?」

「左様ですな。チーズをかけて焼いたものには殊更に合う気がします。ただ、揚げたものについては、ビールも捨てがたいかと」


「そうなんだ。早く飲んでみたいな」

 女性は十六歳の誕生日に花で編んだ冠をつけて祝う。

 それが大人の仲間入りを意味し、通常はその日から飲酒が許された。

 しかし、仮にも令嬢なのでまだ早いと、カテリーナは父から飲ませてもらえていない。


 ジョシュアが咳払いをする。

「あまり、御令嬢がお酒をたしなまれるのは如何かと存じますが……」

「大丈夫よ。私はあくまでジャガイモを美味しく食べるためにちょっと飲むだけだから。今でも十分に美味しいジャガイモがさらに……。ああ、待ち遠しいわね」

 ジャガイモにかける情熱の吐露しただけというのに、周囲の小間使いたちの多くは鼻白んだ表情をしていた。


 なにもあんな不格好なものを愛食しなくてもと考える。

 そうは思うが、カテリーナが手を付けない白パンや肉や魚などの食材は、小間使いたちに下げ渡されるため、口に出しては言わない。

 家族に食べさせることができるものが増えることには感謝していた。


 その一方で、カテリーナの懸命の努力にもかかわらず、ジャガイモはイエッター家の領内でもあまり好まれてはいない。

 若い女性たちの中に少しの支持者がいるくらいである。

 そもそも、令嬢には令嬢らしい飲食物というものがあり、ジャガイモはその範囲には入らないため、眉をひそめられていた。


 でもジャガイモ食を強制的にやめさせられないだけマシである。

 ごく普通の父兄であれば世間体を考えさせて、くどくどと何か言うところであろうが、カテリーナの好きにさせてくれていた。

 父も兄たちもカテリーナに甘い。


 ジャガイモを食べ過ぎたせいで一時期はカテリーナの体型はかなり丸みを帯びていた。でも剣の練習をするようになってからはだいぶ絞り込まれてくるようになっている。

 ジャガイモを食べるようになる以前の不健康な青白い顔と比べれば、多少はふっくらしていても全然いいというのが父兄の評価だった。


 その厳しいジョシュアの稽古を始めた初日には、カテリーナはあまりの辛さに悲鳴を上げかけた。しかし、食事をすると、もう剣の稽古は嫌と思ったことを忘れる。

 体を動かしたことでいつもの三倍以上はジャガイモが美味しく感じられた。

 そして、翌日の稽古はやはり辛かったが、その後のジャガイモはやっぱり最高だと感じる。

 今日も元気だ、ジャガイモが美味い。


 カテリーナにとって世界は三つのもので構成されている。

 ジャガイモが美味しくなるもの、美味しくならないもの、そしてジャガイモであった。

 剣の稽古はジャガイモを美味しくするスパイスである。

 こうしてカテリーナは熱心に稽古に取り組んでいた。


 そんなこんなでカテリーナは辺境でそれなりに幸せに暮らしている。

 唯一不満があるとすれば、ジャガイモの素晴らしさが世間に伝わらないことだった。

 残念ではあるけれども、辺境住まいの貧乏貴族の令嬢にはあまり宣伝力はない。

 年に一度、首都ロンダーフでの社交界に顔を出す際には、イモ娘と言われて蔑みの目を向けられているぐらいなので仕方なかった。


 もっとも、カテリーナに向けられるこの言葉自体については気にしていない。むしろ褒め言葉だと思っている。

 ジャガイモ様の名を頂けるとはなんと光栄。

 首都での滞在も半月程度なので、たいした長さでもなかった。


 周囲の御令嬢たちはカッコイイか、権勢を持つ若い殿方との恋愛に夢中だったけれど、カテリーナはそっち方面にはあまり興味がない。同時に向こうもカテリーナのことを恋路を阻む敵と認識していなかったのだろう。

 芳紀十六歳。

 そろそろ婚約などという話がでてもおかしくない年頃だったが、カテリーナにはその気配すらなかった。

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