忘れた言葉

 雫と横断歩道で話した後、家に帰って、パソコンでカクモノのウェブサイトにアクセスして、アカウントを作った。

 竹村啓里で検索すると、確かにその名前で何作品か出ていて、全て私が書いた小説だと確認出来た。

 誰かが、私の小説を保存していて、コピーして載せたのだろうが、投稿日を見ると、一ヶ月前になっているのが気にかかった。

 私が携帯小説サイトのアカウントを消してしまったのは、三年前だ。何故今になって載せているのだろう? しかも、私になりすまして。

 理由が知りたかった。

 きっと、なりすましているのは、あの頃私の熱心なファンだった内の一人だろうと思えた。しかし、もう名前も忘れてしまっている。

 どうしたらいいものか。


須賀すがさん」

 大学の図書館でぼんやり椅子に座っていると、聞き覚えのある爽やかな男性の声で、私の名字が呼ばれたのが聞こえた。

「はい」

 言った後で、声の主が分かり、私はぎょっとした。

 秋月先生が私の近くに立っている。

 背が高いわりに威圧した感じはなく、黒縁眼鏡を付け、シンプルな青のシャツと、ネイビーのスラックスを穿いていた。

 優しげな表情で、怒った顔はしていないが、心の中では怒っていて、あの時のことを責めてくるかもしれないと思った。

「すみません!」

 私は頭を下げて謝った。

「いや、須賀さん、いいんですよ。頭を上げて下さい」

 優しげに言ってくるので、どこかへ逃げたくなってくる。

「あの時はすみませんでした」

「いや、謝る必要ないですよ。僕の小説の足りない所を指摘してくれてとても嬉しかったんです。なのに、周りの部員の人は、僕を先生と持ち上げて、須賀さんを追い詰めた。ずっと、気になってたんです。でも、避けられてて。今日やっと話せました」

「あの、私なんて言ってたんですか? 先生の小説の批判をしたのは覚えてるんですけど、忘れちゃって」

「確か、登場人物の動機に欠ける所があるって言ってましたよ。その後、読み返してみて、僕もそうだと思いました」

「そうですか。すみません、ど素人が言って」

「だから、いいんですってば。作家になったら、批判的な意見は貴重なんです。だから、文芸サークル戻ってきていいんですよ」

 まさか、秋月先生からサークルに戻るよう言われるとは思ってもなかった。

「いや、私書いてるって言っても、ウェブでちょっと書いてるぐらいで、とても仲間にはなれそうになくて」

「須賀さん、どこで書いてるんですか?」

「ノベラインですけど」

 何で正直に言ってしまったのだろう。しかし不思議と言ってしまってもいいと思えた。

「ちょっと待って、出すから」

 秋月先生は、スマホを取り出し、ノベラインのサイトを開いているようだった。

「名前は何なの?」

「ひらがなで、とむらゆずきです」

 先生は私の隣の椅子に座り、開いた画面を見せてきた。

 そこには、とむらゆずきの名で、恋愛小説ではなく、純文学の作品が並んでいた。

 エンターテイメント小説が多いノベラインの雰囲気からは、明らかに、外れているのは分かっていたけれど、それでもそういう作品が書きたかった。


「あの、何で私の小説を読もうと思ったんですか?」

「的確な批評が出来る人だから、きっと小説もいいものを書くと思ったんだ」

「そんなことないですよ」

「須賀さんは謙遜しすぎだよ。物書きが自分の作品 けなしてどうするの?」

「……」

「須賀さん、よかったらさ、今度カクモノで大型コンテストがあるんだけど、書いてみない? 僕も、カクモノプロ作家として、応募するからさ」

 私はハッとした。もしかして、その大型コンテストに応募するため、竹村啓里になりすました人が私の昔の小説を持ち出してきたのではないのか。

「秋月先生、ありがとうございます!」

 私は、了承したかのように、お礼を言って、机の上のノートなどを鞄に片付けて、椅子から立ち上がり、秋月先生に背を向けて歩き出した。

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