第4章 遥か未来へ




 ここは眠らない街なのだろうか、夜にも関わらず辺りは賑わいを見せている。


 数十メートルおきに立てられている街灯や、建物の中からこぼれる灯りが夜道を明るく照らし出す。

 多くの建物が並ぶ大通りなんかは、日が沈んだとは思えないほど多量の光で満たされている。

 

 リルは深くフードを被りながら、この街の中央部あたりに位置する広い往来を足早に歩いていた。

 道の両端は歩行者専用の歩行スペースが設けられ多くの人々が行き交っている。

 それに挟まれるように敷かれる、幅の広い車道を様々な乗り物が高速で通り過ぎて行く。


 数メートルも歩けば、数人の通行人とすれ違うほどに道は混雑していた。

 夜にも関わらずこの人出なら昼間は一体はどれだけの人間でひしめき合っている事だろうかと、考えただけで息苦しい気分になる。

 

 だが、今はそんな事を気にしている場合ではない。

 リルは頭の中を混乱に掻き乱されなら歩き続けた。


 次から次へと前方からは無限に人がやって来る。

 その1人1人を、すれ違う僅かな時間の中でリルは注意深く観察する。


 人間だ――それに間違いは無い。


 なのに、どうして……。


 何故かは分からないが、人間が体に魔力を宿しているのだ。

 それも明らかに全身からその気配が発せられている。


 それは目の前の人間の体が魔力細胞で構成されている事に他ならない――。 


 だが常識的に考えてそれはおかしい。

 魔力細胞を持つ『魔性ませい生物』は、少なくとも人間界には1体足りとも存在していないはずなのだから。


 魔法少女はその例外的存在ではあるが、元を言えば彼女らもこの世界の住人ではない。


 魔力を持つ生き物は魔界にしか生息しない。

 もしかしたら彼らは、本当は魔界の悪魔なのだろうか?


 しかしその可能性はほぼゼロだ。

 彼らの外見的な特徴や、ちょっとしたしぐさ、あの独特の雰囲気なんかは完全に人間のものと一致している。

 そもそも同じ悪魔が、悪魔と人間を見誤る訳はない。


 本来魔力を持たないはずの人間がなぜか体に魔力を宿しながら、それがさも当たり前と言った風な顔で街を歩いている。

 そんなあり得ない光景が、リルの目の前には広がっていた。


 いやそれだけでは無い。


 周囲に立ち並ぶ建物や、横を通り過ぎる車、今歩いている地面の下など、この街のありとあらゆる場所に魔力が散りばめられてるのを感じられる。


 周囲を魔力に満たされるこの感覚にリルは身に覚えがあった。 

 魔界の『魔法都市』だ――。


 ◆


 悪魔は古代から魔法を元に暮らしを立ててきた。

 文明が築かれる以前は自分の体内の魔力を使用して魔法を発動し生活に役立てていたが、文明が進むに連れて集落全体に外部から魔力を供給できるシステムの構築が進められるようになった。


 そしてそれを発展させた末に完成したのが、高度な魔力供給網を街全体に張り巡らせる魔法都市だ。


 魔力供給網のお陰で己の体以外の場所から魔力を得る事が可能となったし、また各種『魔法器具』の普及により、必要な魔法を自分に代わりそれらに発動させられるようになった。


 例えば魔界の一般的な家庭に普及する窯型の加熱器具は、魔力供給網から得た魔力を、窯に備えられた魔法陣へ流し火魔法を発動する事で食材を加熱する。


 そのように魔法都市は多くの魔力や魔法器具に囲まれているのだ。


 リルが周囲から感じている感覚は、そんな魔法都市の中を歩いた時に感じる四方八方から魔力が波となって押し寄せてくるあの独特の感覚に極めて近かった。


 もし目を瞑れば、魔界に帰ってきたのかと錯覚するほどだろう。


 


 ◆


 リルはしばらくして、一旦立ち止まる。

 十メートルほど先の右手に細い路地が顔を覗かせていた。

 そのすぐ入口付近には1本の街灯が建てられており、黄色みのある光を爛々と放っている。


 人間の街は電気を元に動いていたはずだ。

 なにか駆動する仕組みを持つ機械や装置のほとんどは配電線から配給された電気や、電池などからエネルギーを得て作動する。

 悪魔が『魔力』を生活の場に用いるのと同じように、人間は『電力』を使って生活を営むのだ。


 だからあの街灯の光も、本来であればどこかから供給された電力によって生み出されているはずだ。


 しかしその街灯には地下を通じ魔力が流れ込んでいる様子が感覚として伝わってくる。


 あの灯具は魔法器具の1種で地下から流れ込んだ魔力を元に明かりを灯している――リルにはそう思えてならなかった。


 だから、それを調べてみる事にする。


 街灯の方へ近づいて行きそのまま路地裏へ入る。

 周囲に人がいない事を確認すると手のひらの上に魔力を集め、ちょうど魔剣を作る要領で、青色に発光する小さな魔力の玉を作りだした。

 その玉を街灯のポール部分に向かって投げつける。


 玉はポールの中へ吸い込まれたかと思えばスッと速やかに上昇を始め、あっという間に頂上部の灯具にまで達した。

 それはまるで内部を流れる魔力の急流に巻き込まれたかのような滑らかな動きだ。


 そしてその瞬間、灯具の中の光が限界まで増幅しその後パリンと言う乾いた音を立てて灯具が弾け飛んだ。


「キャッ!」


「なんだ!?」


 突然の出来事にその側を歩いていた通行人達から悲鳴が上がる。

 一体何事かと爆発によってできた街灯の残骸の元に人々が集まり始める。

 場はちょっとした騒ぎになった。


 許容量を超える魔力を流された灯具が耐久の限界を迎え破壊されたのだ。


 何食わぬ顔でリルはそこへ出て行くと、野次馬に紛れ込みながらキョロキョロと地面を見渡す。

 ガラスの破片や鉄くず、プラスチック片など様々な灯具のパーツが散乱している。

 リルはその中から1枚の灰色の薄い板を見つけるとそれを拾い上げ、再び路地裏に戻った。


 それをじっくり観察する。

 5センチ四方ほどの正方形の板で、その表面には何か模様のようなものが描かれている。

 爆発の衝撃で一部がグニャリと変形していたが、模様を読み取るのに支障はない。


 予感は当たっていた。

 そこには光魔法の魔法陣が彫られていたのだ。


 やはりあれは魔法器具だったのだ――。


 だがその街灯だけではない。

 ぱっと見ただけでもこの街のあらゆる場所、あらゆる物に魔力が流れ込んでいる事が分かる。

 

 リルは肝が冷える思いがした。

 リルの従来の価値観では『絶対に有り得ない』としか言い様のないような異常事態が発生していた。

 

 リルは路地裏を出て歩きながら様々な可能性を思い浮かべる。


 眠っている間に、何かとんでもない事があったとしか考えられない。

 しかし、そのとんでもない事とは一体何なのか――。


 もしかしたら人類はあれから更に魔法への理解を深め、最終的には魔法都市を築くレベルにまで成長を遂げたのだろうか。

 人類の技術力が極めて高い水準にある事に間違いはない。

 それはどんな悪魔も認めざるをない事実だ。


 だが例えそうであったとしても、人間の体が魔力細胞に置き換わるなんて事はあり得ないのではないか。

 それは種の根幹に関わる問題であり、幾ら技術が進歩しようともそれをクリアできるとは思えなかった。


 1つだけ魔性生物でない者が突然魔力細胞を持つ事例はある。

 魔法少女の契約を結んだ時だ。

 だがそれも、契約を結べるのは若い娘だけだったはず。

 周囲を歩いている人間は老若男女問わず体に魔力を有しているからその線は薄い。


 それに魔法都市は一朝一夕で築けるような代物ではない。


 なら何故このような事態に……。

 その理由は全くもって不明、推測すら不能な有様だった。


 もういい、これ以上ここにいても頭が混乱するだけだ。

 ひとまず魔界に帰還して側近から詳しい状況説明を受けよう。


 そう思い、リルが来た時とは逆の方向へ歩き出した時の事だった。 


「新時代を駆け抜けろ、3002年待望のGLANZグランツニューモデル登場! ユニバース社が贈る最高の――」


 甲高い女の声が雑踏を掻き分けリルの耳へ届いた。

 リルはそれを聞いた途端、思わず体を静止させた。


(……3002年?)


 声のする方へ目を向けてみたところ、ずっと前方に建つビルの最上部に設置された巨大なパネルから音声と共に流麗な映像が流し出されていた。


 車と思われる物が流線形のボディに青空を映しながら高原を走っている。

 商品の宣伝用の映像のようだ。


 リルは眉をひそめる。

 冒頭で流れた『3002年待望のGLANZニューモデル登場』のフレーズ。


 それは3002年に何か新商品が登場するという意味だろうが、『3002年』はおかしいのではないか?


 リルは記憶を振り返る。

 インカローズと戦ったあの日は人間界の年代で言う2022年の事だ。


 その商品が3002年に登場すると言うのであれば今はそれに近い年だろうが、2022年と3002年ではあまりにも時間がかけ離れている。


 それにその商品の車も、辺りを走っている車も、今思えばその形状がリルの知る物と相違していた。


 タイヤらしき物がどこにも装着されておらず、スーと路面の上を滑るように車が宙を浮きながら移動していたのだ。

 

 リルは何か途轍もなく嫌な予感がした。

 このあまりにも現実味のない光景。

 まるでどこか遠い未来へ迷い込んでしまったようではないか……。


 3002年と言うのは、西暦3002年の事なのだろうか?


 当時の人間界では『西暦』と呼ばれる暦が広く普及しており、それを用いて年を表現していた。

 それから考えると3002年は西暦3002年の事を指している可能性がある。


 だが、それは不自然だ。

 今が西暦3002年なら、あれから1000年近くが経過している事になる――そんな訳はないだろう。


 そんな風にリルがじっと立ち止まって考えを巡らせていたところ、不意に後方から声を掛けられた。


「そこのあなた、道にでもお迷いかな」


 それが自分に向けられた物だと理解したリルは、警戒しつつ振り向いた。

 すると少し後方に、細身で長身の男が立っていた。


 165センチあるリルよりも頭1つ分ほど男の背は高い。

 短く刈り上げられた黒髪には所々白髪が混じり、少々皮膚の垂れ下がった顔に大小幾筋もの皺が刻まれている。


 歳は100――人間に換算すれば50歳少々と言ったところだろうか。


 黒色の半袖シャツにグレーの総柄の半ズボンと、季節感を感じさせる涼しそうな服装に身を包む。


 その男も例に漏れず体中に魔力を漲らせており、この上なく薄気味悪い。

 だが武装をしているような気配などは無い。


 ただの通行人だろうか……。


 男が言葉を続けた。


「この辺は大きなターミナルが幾つもあるからね。良くそんな風に上がってきたばかりの人が道に迷っているんだよ」


 リルは察する。道に迷っていると思われているようだ。

 

「それにしても夏なのにそんなに暑そうなローブを着て……一体どこから出てきたんだい? 俺はここに住みだして長いから簡単な道案内ぐらいならできるよ」


 男が微笑む。


 それを無視してリルは歩き出そうとした。

 今はこんな人間なんかに構っている場合ではない。

 そもそも道に迷っている訳じゃないし。

 

 リルは途端に苛立たしい気持ちになった。

 あの少女と言い、どうして人間は見ず知らずの他人にこうも積極的に関わろうとするのか。


 だが、足を動かそうとしたその時、ふと思いつく――この男に疑問をぶつけてみればいいのではないか。


 今がいつなのかを聞くぐらい、どうって事はないだろう。

 リルは率直に問う。


「今は何年?」

  

「え? ……それは今年がいつかって事?」


 リルは静かに頷く。


「なら3001年だよ、それがなにか?」


「西暦?」


 男はポカンとしたように、しばし間を置いた。

 そして苦笑しながら口を開く。


「いや西暦って……魔法暦に決まってるでしょう、あなた」


「……魔法暦? それは西暦とは別物?」


「当然だよ……。西暦は魔法暦の前に使われていたじゃないか」


 リルは唖然とした。

 当時現役であったはずの西暦がどういう訳か封印から目覚めた今では使われておらず、それに代わり魔法暦とやらが使用されていると言うのだ。


「それなら……今は魔法暦3001年ってわけ?」


「そうそう」


「それが使われ出したのはいつから?」

 

 男は怪訝そうな顔をした。

 一体なぜそんな事を聞くのか、そう問いたそうな顔だ。


「そんなの3001年前からに決まってるよ。それ以外あるかい?」


「は……?」


 リルは思わずそう声を出した。

 すると、男は少し不快そうな顔をする。


「いや『は?』じゃなくてね……。その辺の子供でも知ってる事実でしょ。西暦は2029年まででその翌年が魔法暦元年。それがずっと続いてて今年は魔法暦3001年だ」


 リルは血の気が引く思いになった。

 この男の言葉が本当であれば、今はあの日から3000年以上の時が経過していると言う事になる。


 魔界と人間界では時間に対する概念やその単位などが奇しくもほとんど一致している。

 

 人類は『太陽暦』に基づいて暦を運用する。

 地球が太陽の周りを1周する期間を1年、地球が自転によって1回転する期間を24時間としている。

 だから人間界において、1年とは365日であり1日は24時間だ。


 一方魔界では人間界で言うところの『月』を用いた暦が運用されている。

 

 それに相当する天体が『ヴェリタ』と呼ばれる赤い光を放つ美しい星で、その動きを元に悪魔達は暦を生み出した。


 それにおける時間の単位は人間界の太陽暦におけるものとほぼ一致しており、人間界の1年はそのまま魔界の1年に置き換える事ができる。

 人間界で3000年が経過しているのであれば、同様に魔界でも3000年が経過しているという訳だ。


 それは人間の倍近くの寿命を持つ魔族にとっても、途方もなく長い時間だ。


「……そんな、あり得ない!」


 男は呆れたように笑い出した。


「あり得ないも何も事実なんだが……」


 その時男の後方から1人の女が近づいて来た。

 そして親しそうに男に声をかける。


「ねぇ、何かあったの……? この方は?」


「え? あぁ美花みかか。……いやぁ、このお嬢さんが今年はいつかって聞くから3001年だと教えたんだがね、何故か信じてもらえないんだよ」


「どういうこと? 今年は3001年で合ってるでしょ?」


「その通りだよ。でも、それが納得いかないらしい」


「そうなの……」


 リルは女の方に目線を向ける。

 小奇麗な白色のブラウスに、落ち着きのある黒いロングスカートが似合う上品そうな人物だ。 

 年の頃は男とそう変わらなそうだ。

 会話からして、もしかしたら夫婦なのかもしれない。


 女は唐突にスカートの右側のポケットに手を突っ込むと、その中から何やら白い機器を取り出した。

 女の片手に収まるほどのサイズで長方形をしている。

 全体的にガラスのようなツルツルとした素材で覆われており、表面には黒いパネルが1枚嵌め込まれていた。


 女がそれにそっと指先を近づけるとそれまで真っ黒だった画面に様々な文字、数字それに何かの画像などが浮かび上がった。


 封印で眠る前にそれに似た情報通信機器をよく人間達が使っていたのをリルは思い出した。

 それと同一の物であるのかは分からない。


「ほら見て」


 女はそう言いながら、機器の表面一杯に広がる大きな画面をリルに見せる。


 白い小さな帆船が浮かぶ青い海の絵を背景に、その上に幾つかの数字や文字が刻まれている。


 画面の最上部には『21:15』を示す数字が表示されている。


 リルはピンと来るものを感じ、これは現在時刻の事ではないかと推測した。


 そしてその数字の少し下あたりに、小さな文字で『3001年8月2日月曜日』と文字が羅列されていた。


「ね、3001年で間違いないでしょ?」


 女がそう言う。


「と言うより、あなたも自分ので確認してみたら?」


 リルは押し黙った。

 もちろん、そんな物は持っていない。


 何やら複雑そうな表情で画面を睨むリルに、その男女は困惑した風に顔を見合わせる。


「ねぇ、もういいんじゃない」

 

 女が声を潜めて男に言う。


「……そうだな」


 女がリルに向き直る。


「ごめんなさいね、私たちじゃ手助けになれそうにないみたい。でも、困り事がある時は相談所に行ってみるのが一番よ。今日は平日だから夜間も開いてるはずだし」


「それがいい。すまないね」


 そう言うと2人はリルの元から離れて行った。

 その後、遠くから2人の会話が微かに伝わってくる。


「結局なんだったのかよく分からなかったなぁ」


「そうねぇ。それより見た? あの恰好。新都って人口が多いだけあって、変な人も多いのよね。私もこの前――」


 リルは黙ってそれを聞いた。


 人間界に関する知識の深さについてはそれなりに自信がある。

 言語、文化、地理、政治、経済、軍事……などあらゆる方面の知識を頭に詰め込んでここへ来たのだ。


 それにも関わらず己の常識が通用しない事態がさっきから多く発生している。


「……まぁいい。とりあえず魔界に帰ろう」


 小さな声でそう呟くとリルは再び歩き出した。

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