第3章 サタンの記憶




「リル様、お1人で行かれるのは危険です。せめて護衛を従えて下さい」


 そう言うエレマンの目からは深い憂いを読み取れた。


 彼は古くからサタン家に仕えるビスタ家の跡継ぎ息子の1人だ。


 剛健で勇猛果敢な戦士が揃う名家として名を馳せるビスタ家の出としては、随分と痩躯そうくで頼りない印象を受けるが、戦闘における腕前は第一級で頭も切れる。


 5年ほど前にサタン家の軍隊に入隊して以降見る間に頭角を現し、若くして将校にまで上り詰めた優秀な経歴を持つ。


 人間界での大戦が始まってからは老練達に混じり、リルの側近として戦略の立案や情報取集にあたっていた。


 常に冷静沈着で的確な判断を下すエレマンをリルは高く評価していた。


 そんなエレマンが珍しく心を乱した様子で進言する。


「やはり何か思わぬ危険が潜んでいるような気がするのです。もしもリル様の身に何かありましたら、私はリル様を支える側近の1人として――」


 その時、リルの傍で控えるフルスタが苛立たしげに声を荒げ、エレマンの言葉を遮った。


「出しゃばるな若造! お前如きが異を唱えると言うのか」

 

 フルスタは側近の中でも最年長者として座を占める。

 その深い知識や見識から強い発言力を持っていた。


 思わぬ叱責にエレマンは1度は押し黙ったが、またすぐに口を開く。


「それではせめて私をお供に連れていっては頂けないでしょうか。僭越ではございますが、いざとなればリル様に代わりこの命を投げ出す覚悟がございます」


 エレマンの目は真剣そのものだ。

 だがフルスタはそんなエレマンの熱意を冷たく切り捨てる。


「無用! 貴様はデューク・サタンとあろうお方を何と心得ておるのだ」


 それを聞いたエレマンは、相変わらず悠然と佇いでいるリルの方へ視線を戻した。


 リル・デューク・サタン――それが魔界におけるリルの名だ。


 魔界に住む者であれば、その名からリルについて幾つかの情報を読み取る事ができる。


 ファーストネームの『リル』からは、彼女がリルという名を両親から授かった事を。


 ミドルネームの『デューク』からは、彼女が一族のデューク、すなわち当主という立場にある事を。


 そしてファミリーネームの『サタン』からは、彼女がサタンという一族の生まれである事を。

 

 魔界は『魔界七家』と称されるサタン、ルシファー、レヴィアタン、ベルフェゴール、マモン、ベルゼブブ、アスモデウスの7つの一族を中心に治められている。


 その中でもサタン一族は特に強い力を持ち、名家の集まる魔界七家においても筆頭格の扱いを受ける。


 その当主を務めるリルは、その若さにして実質的に“魔界の頂点”として君臨していた。


「私さえ動けば、全ては速やかに終わる。何も心配はいらない」


 リルは淡々とそう言う。

 

 デューク・サタンがそう言い切るのであれば、それ以上異を唱える事など出来ない。

 エレマンは難しい顔で黙った。


 今魔界は危機的な状況にある。

 一刻も早くこの馬鹿らしい争いに終止符を打たねばならない。


 ◆


 事の発端は10年以上前にまでさかのぼる。

 魔界七家の一角、マモンの統治下の、とある村の外れにおいて奇妙な赤子が誕生した。


 その赤子の外見は普通の子供と何ら変わりは無かったが、その体内には『神の血』が流れていた。


 赤子の体を構成している魔力細胞のうち、その半数近くが『神聖細胞』へと変異しており、魔力と共に『神聖力』を盛んに生み出していた。


 それはその赤子が神との交わりによって生を受けた事を示す。


 神は悪魔にとっての宿敵だ。

 長い歴史において両者は数知れず衝突を繰り返してきた。


 故に神と交わる事など悪魔にとってこれ以上に無い禁忌であり断罪すべき反逆行為だ。


 しかし真の問題は悪魔と神の血を受け継ぐ『魔神』が誕生してしまった事だ。


 歴史上その禁忌を犯す者は他にも存在した。

 しかしそのほとんどの場合、産まれ落ちた時点で子は息絶えていた。


 全く異なる2つの種の交配によって生み出された命である以上、それが完全な生命体として世に誕生する可能性は極めて低い。


 それにも関わらず稀に種の壁を乗り越えて、欠けのない健康な状態で生まれる事がある。


 そのようにして出現した悪魔でも神でもない新種の生物が魔神だ。


 神と悪魔、両方の生物的特性を受け継ぐ魔神は強い力を持つ。


 またその特殊な出生の背景から、時には信仰の対象として崇められる事もある。


 魔界に混乱をもたらし兼ねない危険な存在なのだ。


 状況を知ったマモン家はすぐに事態の収拾を試みる。


 魔神を生んだのはルーナと呼ばれる下級悪魔の女だと言う事が判明していた。


 マモン家の遣いはルーナの隠れ家を襲撃しその身柄を捕らえると激しい尋問の末、事のあらましを聞き出す。


 ルーナは何の目的か魔界へ忍び込んでいた神族の男と恋に落ち子を身籠ったのだ。


 魔神の出生を許してしまった事は元より神族を魔界、それも自らの領地に潜ませていたなど恥ずべき失態であり、権威の失墜に怯えるマモン家は至急兵を派遣し魔神及びその縁者の抹殺を図った。


 だが、そんなマモン家を更なる悲劇が襲う。


 当時、反権力の急先鋒として名を馳せていた、魔界の新興勢力『リグマ』によって魔神が強奪されてしまったのだ。


 リグマは魔神を奪った後、マモン家の追手から逃れるように異空間魔法を用いどこかの異世界へ行方をくらませた。


 もはや一族だけで問題を解決するのは不可能だと悟ったマモン家は、七家の当主や魔界の実力者が集う『魔界総議会』に事態をはかる。


 議会では魔神やリグマの処分、この件による魔界への影響などについて話し合われた。


 リグマは新たな求心力として魔神を担ぎ上げる事で勢力拡大を図ろうとこのような凶行に及んだのではないかと推測された。


 以前からリグマを危険視していた議会はこれを機に彼らを殲滅する事にする。


 リグマの逃走先に関しては、使われた魔法の痕跡や事件の経緯などからして、神界である可能性が高いと議会は見立てた。


 しかし神界は神族の支配領域であるが故に表立って介入する訳にもいかない。


 そうするのであれば最悪戦争も辞さない構えが必要だが、たかが反逆者の始末程度にそんなリスクを負うのは笑止だ。


 そこで神界へ密かに少人数の部隊を潜入させ、リグマの居場所が特定でき次第、魔神もろとも葬り去ろうと議会は考える。


 それからすぐに選りすぐりのメンバーが神界へと派遣されるが、その後幾ら待とうが任務の遂行が告げられる事は無かった。


 隊員達は長い年月をかけて広大な神界のあらゆる場所へ捜索の手を伸ばすが、リグマの足取りを掴む事はできなかったのだ。


 それから10年が経とうと言う頃になってようやくリグマの足取りが掴めたと言う旨の報告が上がる。


 その場所は誰もが予想だにしない人間界であった――。


 リグマはあの後、首脳部の裏をかくように人間界へ忍び込み、そこでじっと力を蓄えていたのだ。


 議会はすぐ様それを始末しようとするが、10年の間にリグマが大きく力をつけている事を想定し、数万人ほどから成る正規軍を人間界へ投入する。


 事前の協議もなしにそんな物を送り込めば、そこの主である人類との間に衝突が発生するのは明白であったが、首脳部がそれを気にする事はなかった。


 悪魔や神と違い何ら特別な力を持たない人間と言う生き物をみくびっていたのだ。

 争いが起きても力でねじ伏せればいいと単純に考えていた。


 しかし、その甘い認識こそがリグマの狙いであった。


 科学を味方につける人類の力をリグマは正確に把握しており、彼らを自分たちの手先として魔界と争わせるつもりでいたのだ。


 そして人類を扇動する道具として『魔法少女』を用意する。


 この世は『魔界』『神界』『死神界』『人間界』の4つの世界で成り立っており、それらをまとめて『四界』と言う。


 しかしまだ発見に至っていない未知の世界がどこかに存在するとされ、そこからやって来たと考えられる戦闘兵器が魔法少女だ。


 魔界ではこれまでに魔法少女の存在について触れる文献が幾つも見つかっており、最古のものは数万年前にまで遡る。


 彼女らの正体は『クリスタルに宿る妖精』である事が分かっている。


 クリスタルと呼ばれる特別な石に宿る妖精が条件に適した生物と契約を結ぶ事で、妖精の心と契約者の体が一体化する。


 そうやって他の生物の体を借りて妖精が表に現れた状態のことを魔法少女と呼ぶ。


 クリスタルは複数個存在する事が確認されており、1個のクリスタルに対し1体の妖精が宿る。


 基本的に彼女らは何か共通化された目的を持っている訳ではなく、契約者の願いや思想に基づく行動を取るとされている。

 だから時に魔法少女同士が争う事もある。


 彼女らはとても強い力を持ち、その力を手に入れようとする権力者もいるが、誰もが魔法少女になれる訳ではない。


 妖精と契約を結ぶには年齢や性別に条件があるようで、過去の契約者は全てであった。


 人間界には12人の魔法少女が存在しており、彼女らが率先して悪魔へ攻撃を仕掛け、それに人類が続いた。


 魔界としてはリグマと魔神の抹殺さえ完遂出来ればそれで良かったが、そんな事情など露も知らない人類は『悪魔が人類を滅ぼす為にやって来た』と盛大に勘違いをし、リグマの哀れな操り人形となりながら必要のない戦いへ繰り出した。


 当初、首脳部は人類が抵抗してきたところで、あっと言う間に蹴散らせるだろうと踏んでいた。


 しかしそんな予想に反して人類は恐るべき軍事力を見せつける。


 小さな鉛の玉が疾風の如く飛んできたかと思えば、兵士の体を貫きいとも簡単に命を奪った。


 巨大な鳥のような飛行体が飛来したかと思えば、次の瞬間には辺りが焼け野原と化した。


 それに加え魔法を駆使する12人の魔法少女達。


 劣勢に追い込まれた魔界側は次々と追加の軍勢を送り込み、気づけば戦況は泥沼と化していた。


 そんな中、最悪な事に神族との戦争が勃発しようとしていた。


 神界での勢力争いに一段落をつけた新たなる神族の王は、次なる目標として魔界を堕とすべく侵攻の準備を開始したのだ。


 既に人間界で多くの人員や資源を無駄にしていた魔界は窮地に立たされる。


 議会での白熱した話し合いの末、人間界での戦争を即刻終結させる為に『最高戦力』の投入が決められた。


 魔界の軍隊のほとんどは下級悪魔や中級悪魔からなる。


 上級悪魔や最上級悪魔などの貴族階級は、不衛生で泥臭い戦場に生きる軍人と言う職業を忌避する傾向にあり志願する事は稀だからだ。


 しかし弱肉強食の悪魔の世界において、身分の高低と力の強弱はイコールの関係にある。


 下級になるほど力は弱くなり、そんな彼らによって占められる魔界の軍隊は軍事力に乏しく時に『攻めの戦い』に弱いと評される事もある。


 今回の戦いにおいてもそのような弱点が露呈し戦争を長引かせる要因となっていた。


 そこで決定打となる最高戦力――即ち魔界七家の当主陣の参戦が決定されたのだ。


 選出された4名の当主が2手に分かれて敵の軍勢への対処とリグマの殲滅を目指す方針が立てられたが、それに対しリルは難色を示す。


 今の情勢下で魔界の重鎮を4人も戦場に送り込み、何かの拍子で喪失してしまえば魔界の未来を左右しかねず危険と言うのがリルの主張であった。


 そしてその代わりに私が1人で人間界へ出向くとリルは提案し、それを議会は承認した。


 ◆


 その後すぐにリルは人間界へ降り立つ。


 まずは軍へ特に大きな損害を与え続けている魔法少女や人間の軍事基地への攻撃を優先させながら、リグマらの姿を発見でき次第始末しこの戦いを幕引きとする予定であった。


 今まで苦しい戦いを強いられていた戦場の兵士たちは、思ってもいない魔界最強の悪魔の降臨に沸き立つ。


 現地の指揮官らと連携を取りつつリルは戦闘へ参加し恐るべき勢いで戦果を挙げていく。


 サタンによる攻撃は同じ悪魔ですらも震え上がる程に凄まじいものであり、たった一撃の魔法攻撃で敵の軍隊を打ち滅ぼし、敵の軍事基地を島ごと燃やし尽くした。


 人類の科学兵器が強力な物である事に間違いはなかったが、リルの放つ魔法の威力はそれを上回り人類は防戦に徹するばかりだった。


 敵の主だった拠点の幾つかを片づけたリルは魔法少女の処理に取り掛かる。


 12人いる魔法少女を1人また1人と倒していき、参戦から2ケ月が経過する頃には5人の魔法少女をこの世から葬る事に成功していた。


 しかし順調に見える一方、本来の目的を依然として果たせずにいた。


 リグマらは余程巧妙に隠れているようで、1度もその姿を認める事ができない。

 そればかりか潜伏先に関する情報すらも碌に掴む事ができなかった。


 現地の兵士たちは捕えた人間に対し手当たり次第に尋問を加え何とか情報を得ようとするが、あろう事か人間たちはリグマと言う存在を知らなかったのだ。


 驚く事にそれは魔法少女であっても同じだった。


 戦闘不能に陥ったとある魔法少女をリルは軍へ連行し、他の人間たちと同じように情報を引き出すように兵士へ指示したところ、その魔法少女はリグマと言う言葉すら聞いた事がないと言い放った。


 魔法少女や数多くの人間の口から出た言葉から浮上する事実。


 この戦いの裏にリグマがいる事を人類側はほぼ誰も知らない。


 リグマと繋がりがあるのは恐らくインカローズぐらいだ。


 全ての命令はリグマからインカローズへ、そしてインカローズから他の魔法少女や人類へと言った具合に伝達されているものと思われた。


 インカローズはリグマの存在を周囲へ伏せつつ、彼らのスピーカーとして人類や他の魔法少女たちを操ってるのだ。


 何か打開策を打ち出そうと、リルは一旦魔界へ帰還する。


 そして家臣達と案を練りあった結果、インカローズを生け捕りにして、リグマに関する情報を洗いざらい吐き出させるしかないと言う意見で一致する。


 インカローズを捕らえたらサタン家配下の尋問部隊へ身柄を引き渡す。


 彼らは先祖代々尋問を生業とするその道のエキスパートだ。


 どんなに秘匿された情報であっても必ず口を割らせる。

 その洗練された尋問術の前では自らが生れ落ちた時の記憶ですら蘇ると言われていた。


 それからリルは家臣達がまとめ上げたインカローズに関する報告書を読んでその内容を整理した。


 インカローズの契約者は『如月凛きさらぎりん』という名の16歳の少女で『東京』の北東部に住んでいるらしかった。


 それ以外にも家族構成から生活パターン、交友関係に至るまで詳細な情報が報告書には記載されており足取りを追うには十分な量と言えた。


 しかし、問題はどうやって捕らえるかだ。


 生け捕りは思うよりも難しい。

 最低でも意思疎通が可能な状態で捕まえなければならない。


 下手に騒ぎを起こされて応援でも呼ばれたら面倒なため、1人でいる所をサッと捕えてしまいたいものだ。


 如月凛の生活パターンからして都合が良いのは『学校の帰り道』だとリルは考えた。


 戦争という非日常下にあっても人間の子供たちは学校と呼ばれる教育施設に通っている事が確認されていて如月凛もそんな1人だった。


 如月凛の帰宅時間は日没後が多い。

 移動手段は徒歩で道の途中には人気の少ない場所も存在する。

 そこを襲撃して素早く捕まえてしまうのが良さそうだ。


 時々側近達とも意見を交えながらそのように作戦を練っていたところエレマンが異を唱えたのだ。


 リグマと同様インカローズに関してもその多くの情報がこれまで謎に包まれていた。


 それが最近になって急に表へ出てくるようになったのだ。


 何か作為的なものを感じる。

 おびき寄せようとしているのではないか――。


 それがエレマンの主張であった。


 一理あるかもしれない。

 だが掴んだ情報に誤りがない事はサタン家から遣わした密偵により確認されている。


 インカローズは魔法少女の中でも最強と称される。

 並の悪魔では彼女を相手に立ち回る事は不可能だろう。


 しかし、私であれば何も問題はない――。







 リルはハッと目を覚ます。

 木にもたれかかる内に眠ってしまったようだ。


 気付けば夜だ。

 満天の星々と月が儚げに大地を照らしていた。

 ずっと先では人工光に彩られた夜の街が顔を見せている。


 結局エレマンの読みは当たっていた。


 人類や魔法少女の力を持ってしてもサタンの脅威を排除できないと悟ったリグマは、最終手段として永遠の時を解禁する事にしたのだ。


 あえて隙を作り出し油断させたところで確実に技を打ち込む。


 まんまとやられた訳か……。


 リルは一度大きく息を吐くとサッと木から飛び降りる。

 そして街明かりに向かって歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る