第2章 鉄に守られる街
2
少女と別れた後しばらくリルは森を彷徨ってみたが、どこまで行っても変わり映えのない景色が続くだけだった。
しかし1つだけリルの注意を大きく引きつけるものがあった。
この森のずっと奥から“魔力の気配”を感じるのだ――。
初めそれは味方の兵士や魔法兵器などから発せられる物だと思っていた。
しかし、それにしては不自然だ。
人間界へ送り込んだ兵士の総数は10万人ほどであるにも関わらず、それを大幅に上回る悪魔数億人にも相当する膨大な量の魔力が存在しているのだ。
もしかしたら魔界の上層部がトチ狂って軍を総動員しているのだろうか……。
不安に思ったリルはその魔力の発生源へ急行する事にした。
徒歩では時間を食うので魔法を使って移動するが、主にその手段は2つある。
1つは『空間魔法』を利用して他の地点へ移動する方法。
空間魔法はその名の通り、空間に干渉する性質を持つ魔法の事だ。
強力な魔法作用で空間を歪め任意の2つの地点を結び付ける。
すると一瞬のうちに異なる地点へジャンプする事ができる。
それは魔界において最速の移動手段として知られる。
もう1つは『体流魔法』を用いて移動速度を上げる方法。
体流魔法は回復魔法の一種で、体の各器官の能力を向上させる働きを持つ。
白兵戦など、身体能力が戦いの行く末を左右する局面で良く用いられる。
また身体能力の向上は移動スピードの向上にも繋がるため、戦闘の他に単なる移動用途で用いられる事も多い。
魔力の消費量が少なく発動にも気付かれにくい体流魔法の方が良いかもしれないと思ったリルはそれを発動する。
すると心拍数や呼吸数が増加し、体温が上昇し始める。
独特の高揚感に体が包まれる。
魔法効果が正常に働いている証だ。
それから目の前の木の枝に向かって勢いよく跳躍する。
そして次から次へと前方の木へ飛び移り移動を開始した。
初めは一歩一歩慎重に足を運んでいたが、慣れてくると一気に加速する。
足に力を込める度にずっしりとした重みが伝わってくる。
あっという間に時速は数百キロほどにまで到達する。
それはリルの知る大抵の乗り物より速い。
瞬き1つの間に、遥か先に見えていた木々が一瞬で後方へと流れていく。
耳を掠める風切り音がうるさい。
そんな速度の下でも微塵も疲れを見せる事なく、ただひたすらリルは移動に専念した。
そして、しばらくした時の事だ。
急に視界が開け広大な荒野が姿を現した。
飛び移るものを失ったリルは地面へ着地する。
体を横向きにして体勢を低くしながら右足から左足へと地面に足を着ける。
靴底が地面に擦れ強い衝撃が体を襲う。
ズザザザと勢いよく地面を削りながら、数十メートルほど進んだところで停止した。
立ち上がったリルは顔を上げて真っすぐに前を見つめる。
遠くに背の高いビルの群れが広がっている。
どうやらどこかの人間の街へ辿り着いたようだ。
しかし不可解な事にその街全体から強烈な魔力が放たれていた。
「これは……」
唖然とする思いだった。
まるで魔界の魔法都市のようだ。
ここは魔界だろうか?
いや、そんなはずはない。
あの建築様式は人間界独特のものだ。
ここが例の魔力の発生源であることに間違いはないが、これは一体どう言う事なのか。
怪訝そうに街を見渡していたところ、何やらおかしな物が目に入る。
街の足元あたりに黒い壁のようなものが築かれているのだ。
左右の地平線の果てから果てまでどこまでも伸びている。
それはまるで長大な『防壁』のようだった。
もしかしたら悪魔の侵入を防ぐ物かもしれないとリルは思った。
あの日インカローズと戦った時点で悪魔と人類の戦いは既に2年近くに及んでいた。
かつて人類は人間界以外の世界の存在を知らなかった。
悪魔や魔法など単なる空想上の産物に過ぎなかった。
しかし悪魔が人間界へ降り立ち、魔法少女が姿を現した事で事態は一変する。
魔法のスペシャリストである魔法少女たちは、魔法に関する多くの入れ知恵を人類に行う。
それを元に人類は魔法に対する理解を深め、悪魔との戦いを念頭に置いた『対魔装備』の開発と製造に取りかかる。
戦争開始から1年後には人間界のあらゆる所でそれを目にする事ができるようになっていた。
そんな経緯を踏まえると、あの防壁のような物も悪魔に対する物だと考えた方が良さそうだ。
◆
リルは街へ潜入してみる事にした。
だがその前に念の為に簡単な変装を行う。
リルの着用する黒いドレスには幾つか特殊な機能が備わっており、その1つに魔力の流れに応じて服の形状を変化させる機能がある。
それを使えば手っ取り早く変装が可能だ。
体の表面からドレスに向かって魔力を流すと、生地の厚みや面積が変化を始める。
薄手の生地が毛皮のように厚く膨れ上がり、体全体を覆うようにが広がっていく。
そして
それにはフードが付いており目深に被れば顔を深く覆う事ができる。
準備の整ったリルは先ほどと同様、体流魔法を発動する。
右足に力を込めると勢いよく地面を蹴った。
その一投足で最高速度にまで達する。
駆けだして少しもすれば、目の前に黒い壁が迫った。
両足に力を入れてブレーキをかける。
そして完全に停止したところで顔を上げる。
高さは3メートルぐらいだろうか。
思ったよりも低い印象を受ける。
また外観は壁と言うよりかは、牢獄などの『檻』を彷彿とさせるデザインをしている。
太い柱が十数メートルごとに建てられ、その間に細長い棒を格子状に組み込む事で横長い障害物が形成されている。
その頂上部では外側に向かって湾曲した忍び返しが鋭く光る。
格子の隙間から奥を覗けるが、壁の向こう側に植えられた沢山の木々が視界を邪魔し、それより先の景色を遮る。
ちょっとした林のようだ。
もしかしたら内部への目隠しの意味があるのかもしれない。
街へ入るにはここを超えなければならないが、何か引っ掛かるものをリルは感じた。
悪魔を足止めする為の障害物にしては高さが足りない。
それに作りも脆そうだ。
悪魔は比較的高い身体能力を持つうえ強力な魔法を使える。
だから本当ならもっと高くて頑丈そうな障壁を築かなければならない。
そうでなければ簡単に乗り越えられたり破壊されたりしてしまう。
それは人類も理解しているはずだが……。
それとも脆弱なのは見掛けだけで、本当は何か強力な対魔仕様でも施されているのだろうか。
ここで言う『対魔』とは魔法に対抗する仕組み全般の事を指す。
それには『防魔』と『耐魔』の2つの意味が含まれている。
防魔は『魔法の発動を阻害する効果』を耐魔は『魔法攻撃による被害を軽減する効果』を持つ。
その考えは悪魔と人間で共通しており、作られる装備も似たような物だが、眠っている間に人間たちが新たな仕組みを開発しているかもしれない。
そう考えたリルは下手な行動に出る前にこの壁について調べて見る事にした。
一歩ずつ慎重にその壁へ近づいていく。
そして手で触れられそうな距離にまで接近したところで足を止める。
柱や格子の表面部分をしっかり観察してみる。
一般的な対魔装備はゴムにも似た弾力性を持つが、それはとても硬そうに見えた。
そっと指先で触れてみたところ硬くて熱い。
まるで金属のようだ。
また体流魔法を発動しながら触っているにも関わらず、それが阻害される兆候がないのは不自然だ。
次にリルは手のひらの上へ魔力を集め始める。
表皮からあふれ出てくる液状の魔力が次第に固まってゆき最終的には黒い刃へと姿を変えた。
それは即席の『魔剣』だった。
魔力は高密度の状態になると結晶化する。
それを武器の形に変えた物を悪魔の世界では魔剣と呼ぶ。
リルはその先を柱に向けて勢いよく突き刺してみる。
カキーンと甲高い打撃音が響くと共に柱へめり込む。
そのまましばらく待つが、何も起こらない。
高密度の魔力を内部まで触れさせているにも関わらず何の手応えもなかった。
対魔装備であれば魔力や魔法効果を打ち消そうとする反応が見られるものだが。
魔剣を引き抜くと周囲の光が傷に差し込み小さく輝く。
その質感は鉄に酷似していた。
打撃音も鉄が硬いものと触れた時に発生する音に極めて近い。
それから別の場所に魔剣を刺したり軽い攻撃魔法を加えてみたりした結果、それが何の変哲もない金属で作られている事をリルは悟る。
もしかしたらこの壁は悪魔を想定した物ではないのかもしれない。
◆
もう少しそれについて探ろうと壁に沿って歩いていたところ、突然ぽっかりと空いた巨大な空間が出現した。
そこだけ柱と柱の間に設けられた格子の部分が取り除かれており自由に出入りできる状態となっていた。
木も植えられておらず、その先の街を見通す事ができる。
リルは言葉を失う。
どうしてこんな物が――。
これでは敵が侵入し放題で守りの意味がない。
異様な光景だった。
注意深くその近辺を観察していたリルは、空間の両端に立つ柱の中央部分に何か変な物が埋め込まれている事に気づく。
よく見てみるとそれは直径5センチ程の円形のガラス板だった。
その更に奥には黒い機械のような物が顔を覗かせている。
リルはピンと来る。
あれは『カメラ』かもしれない。
カメラは人間界固有の機械だ。
さながら人工の目と言った代物で、人間界のあらゆるところでそれが普及している。
重要な施設などでは『監視カメラ』として警戒業務に用いられる事が多く、映し出した映像を記録したりどこかへ送信したりする。
変装してきて正解だったかもしれないとリルは心の中に思う。
こんな所にサタンがいる事を知られれば大騒動となっていただろう。
しかしその他に特にこれと言って怪しい物は発見できなかった。
歩哨の類は見当たらないし攻撃装置が置かれている気配もない。
ただ周辺に監視の目を光らせているだけのようだ。
あの空間に何の意味があるのかは分からないが、このままあそこから中へ入ってしまうのもいいかもしれないとリルは思った。
恐らくあそこへ近づいた時点で姿はカメラに収められている。
なら何をしようが同じ事。
どうせローブに隠れて素顔は分からないし、何かあったとしても多少のトラブルなら1人で解決できる。
不測の事態に対処できるよう体流魔法をしっかりと効かせながら、リルはその空間へ近づいていった。
そして少し足に力を込めると、さっと通過した。
その後左側に広がる林の中へ素早く入ると1本の木へ飛び乗り、先ほどまで自分のいた場所を見下ろす。
敵の兵士が駆けつけて来る可能性を考えて、しばらくはここから様子を見守る事にした。
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