第3話 お兄ちゃんが一晩でやってくれました

『ママできちゃった……』


:ふぁっ!?

:どゆこと!?


『お兄ちゃんが一晩でやってくれました……』


:流石ですお兄様!

:有能過ぎん????

:ミーコ、結婚しよう。一緒に養われよう


『パソコンにライン入れちゃった……』


:全無視で草

:ラインを入れ……あっ

:↑何かおかしいことあるか?

:屋上


『第一回、ママに送るメッセージを考える会! 始まるよ~!」


:またなんか始まって草

:全て理解した。5コメ先で最初の挨拶

:加速


『ヌヒヒ、お前ら反射神経すごいな。それ採用』


:レスバで磨いた技術を生かす時が来た

:落ち着け。最初の挨拶は肝心だぞ(安価下


 電子老人会ノート『安価下』

 インターネット掲示板では、投稿した順番に番号が振られる。これを利用して「Ⅹ番目のコメントを元に行動を決定する」という遊びがある。番号は「レスアンカー」を使って指定されるため、漢字の変換が苦手な掲示板の民は「安価」と表現する。


 掲示板の民は意外と空気が読めるのだが、複数人が同時に書き込むことで、単なるリアクションが指示となってしまうことがある。このため「安価下」という言葉を添え「次の書き込みを有効にしてくれ」と指示する文化が生まれた。


『お前ら、ミーコほんとに送るからな? 真面目に考えてくれよ?』


:拝啓、ママさま

:ちょりー! 兄がいつもお世話になってまー!

:おいwwww

:真面目な場面だぞwwww


『送った』


:ふぁっ!?

:その度胸あって何でヒキニートなんだよwww


『画面キャプチャするね』


:マジで送ってて草w

:これ大丈夫か? 実名とか出てこないか?


『消すね』


:草

:速いってw

:ちょっとは考えてから行動しようぜw


『癖になってんだ。脊髄反射すんの』


:謎の強キャラ感

:あれだろ。ママさん知り合いなんだろ


『全然知らない人ですね。あ、既読付いた』


:待って心臓やばい

:心不全か?

:お兄様のことを考えるといつも……

:お兄ちゃんガチ勢今日もおって草


『既読無視されちゃった……』


:判断が速い👺

:まだ数秒だろ。五分は待とう


『五分かぁ……しりとり!』


:りんご

:五年前に私のゴシップ記事を書いた奴マジで呪われろ

:ロバ


『幕府』


:普通に続いてて草


『あっ、返信来た。……うわっ』


:どういうリアクションなの?

:なんだなんだ?


『すべて見る』


:?

:親切な次コメが分かってない奴の為に解説

:一定の文字数を超えると「すべて見る」が登場します

:はえー、ライン使ってるけど知らんかったわー


『助けてGPT』


:要約しようとしてて草

:生成AIほんま便利よな


『文字数制限超えちゃった』


:超長文で草

:ゆっくり読んでくれ。待つから

:一部ピックアップしてくれると嬉しい


『ありがと。ちょっと読むね』


 およそ二十分後。


『お待たせー』


:舞ってた

:割とガチで長文だったか


『お兄ちゃんフラグ立てたっぽい』


:草

:待ってまま待ってまだあわあわあわわわ

:お兄様ガチ勢落ち着け


『5コメ先で返信します』


:もうちょい詳細くれ

:今戻った産業


『ミーコ長文読む。ママさん口説かれたと勘違い。あと3コメ先で返信』


:お兄ちゃん……

:お前のような女はお兄様と釣り合わない。消えな!

:Vtuberのママです


『送った』


:今回はまともだった

:急に冷静になってて草


『もう既読付いた。こわ』


:ミーコ引いてて草

:そら初手から超長文は警戒するでしょ

:ミーコ、大丈夫です。お兄様が選んだ方です。信じましょう。今は哀れな勘違いで舞い上がってしまっているだけ。きっと直ぐ冷静になりますわ。爆笑

:お前も十分才能あるよ。何とは言わんけど


『返信来た。ちょっとお兄さんと電話します。だってさ』


:お兄ちゃん……

:フラグ折れちゃった

:っしゃぁあああああ!

:笑い過ぎてお腹痛い


『んはー、緊張したぁ』


:んはー

:んはー

:んはー

:んはー


『ヌヒヒ、なんだその一体感』


 その後、ミーコは四人のリスナー達と雑談を続けた。

 しかし次の返事は配信が終わる頃になっても来なかった。


 ミーコは配信終了を告げる。

 そしてパソコンの電源を落とし、ベッドにダイブした。


「……やばぁ」


 右手を胸に押し当てる。

 ドクン、ドクンと激しい鼓動が感じられた。


「……」


 彼女はスマホを持っていない。

 正確には、精神的な理由で持つことができない。


 だからパソコンにラインを入れた。

 今は電源がオフになっている。仮に今この瞬間に返信があったとしても、通知などは発生しない。それを理解した上で、彼女はディスプレイを見ていた。


 真夜中の静寂。

 ミーコが口を閉じた部屋の中は、まるで世界からこの空間だけ切り取られたかのように静かだった。


 そこに、ぽつり。

 呼吸をする音が生み落とされた。


 吸い込み、吐き出す。

 その間隔は徐々に短く、激しくなる。


 まるで水面に雨粒が降り注いだかのように、時間と共に静寂を壊していった。


「……大丈夫。大丈夫」


 彼女は自分に言い聞かせた。

 そして、とあるコメントを思い浮かべる。


 ──ミーコ、大丈夫です。お兄様が選んだ方です。信じましょう。


「……大丈夫、大丈夫」


 彼女は自己暗示を続けた。

 その声は掠れ、過呼吸気味になっている。


 ラインを使って他人とコミュニケーションを取った。ただそれだけ。しかし彼女は体調が悪化する程のストレスを受けた。


「……大丈夫、大丈夫」


 ──これが十年間逃げ続けた理由。

 彼女はこの恐怖と戦うことができなかった。


「……大丈夫、大丈夫」


 壊れた機械のように、同じ言葉を繰り返す。

 その声は徐々に震えを増し、瞳からは涙が零れた。


 だけど、やめない。

 もう二度と逃げないと決めたから。


 ミーコは両手を握り締める。

 そして、ディスプレイを見続けていた。


 やがて日が昇り、朝になる。

 窓から差し込む光が頬を照らした頃、彼女は穏やかな寝息を立て始めた。


 また時が流れ、夕暮れ時。

 彼女は目を覚まし、パソコンを起動した。


「……あっ、返信来てる」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る