鴒原之情・雌雄のセキレイ

夜桜くらは

鴒原之情

 カタカタ、カタカタ。静かな部屋にキーボードを叩く音だけが響く。

 時刻は午前0時を過ぎた頃。俺は一人パソコンの前に座って、黙々と作業をしていた。


「そろそろ寝るか……」


 明日は休日なので夜更かししても大丈夫なのだが、もうかれこれ3時間くらいぶっ通しでパソコンと向き合っていたので流石に疲れてきた。

 今日はもう寝ようと思い、パソコンの電源を落とし、ベッドに向かおうとした時だった。


 ブーッ!ブーッ! 机の上に置いてあったスマホが振動する。

 こんな時間に電話なんて、酔った友人のイタズラだろうか? 前科がある友人の顔がチラつく。面倒臭いので放置しておこうかと思ったが、あまりにもコールが長い。

 俺はため息をつきながらスマホを手に取ると、そこには意外な人物の名前が表示されていた。


「もしもし?」


『あっ、達基たつき? やった! 起きてた!』


 スピーカー越しに、弾んだ声が聴こえてくる。


「……美月みつき?」


 電話をかけてきたのは俺の双子の妹、美月だった。


「どうしたんだよ急に」


『えへへー、声聞きたくなっちゃって』


 嬉しそうに笑う美月の声が、耳に心地いい。それにしても珍しいな。普段はメッセージのやり取りしかしないのに、電話してくるなんて。


「なんかあったのか?」


『別になんでもないよー。ただ、なんとなくね』


「……そうか」


 相変わらず掴み所がない奴だな。まあ、昔からこんな感じだしな。

 俺も美月の声を聴いて、なんだか安心する。最近は仕事が忙しくて、ゆっくり話す時間も取れなかったからな。たまにはこういうのも悪くないかもしれない。


「そっちはどうなんだ? 元気してるか?」


『うん、元気だよ〜。最近暑くなってきたけど、体調崩してない?』


「大丈夫だ。毎日しっかり飯食ってるし、睡眠も十分取ってる」


『そっかぁ……よかった〜』


 美月は安心したように息を吐く。

 そんなに心配しなくても、俺は健康体だぞ。


『ねえ、達基……』


「ん?」


『えっと……その……やっぱり何でもないや!』


「なんだよそれ」


 美月にしては珍しく歯切れが悪い。何か言いにくい事でもあるのだろうか。

 すると、今度は逆に美月から質問してきた。


『ねえ、達基は今何してたの?』


「え? ああ、ちょっと仕事してたんだよ」


『ふーん、そうなんだ……』


 そう言うと、美月は黙ってしまった。

 なんだ? もしかして、俺に用事でもあったのだろうか。


「どうした?」


『えっ!? いや、なんでも……ないよ……』


 美月は何かを誤魔化すように言う。怪しいな。本当に何もないのか?

 俺がいぶかしんでいると、突然大きな声が聞こえてきた。


『あ! もうこんな時間じゃん!』


「うおっ!?」


 思わずスマホを落としそうになる。びっくりした……いきなり大声を出すなよ。心臓に悪いだろ。


『ごめん! 私もう寝るね!』


「お、おう……」


『それじゃあ、おやすみ!』


「ああ、おやすみ……」


 そして通話が切れた。通話終了の文字を眺めながら、俺は考える。なんだったんだ今のは……? 明らかに様子がおかしかったよな。

 それに、あの慌てたような様子……やはり何かあったんじゃないだろうか。もしかしたら、何か悩みでもあるのかもしれない。

 昔っから、あいつは一人で抱え込む癖があるからなぁ……。でも、聞いたところで素直に話してくれるとも思えないし……。どうしたものか。


 うーん……わからん。こうなったら本人に直接聞いてみるしかないか。

 ……そうだ、明日の夜に飲みにでも誘ってみるか。久しぶりに兄妹水入らずで語り合うのもいいかもしれない。そんな事を考えながら、俺は眠りについたのだった。


◆◆◆


────────

『今日の夜、久しぶりに一緒に飲まないか?』


『いいね~! 達基のおごりなら行く~』


『おい待て、誰が奢るって言ったんだよ』


『ごちそうさまでーす♪』


『まったく……仕方ないな』


『やった! ありがとー! 大好き!』


『はいはい、俺も大好きだぞー。それじゃ、店予約しておくわ』


『りょーかい! 楽しみにしてるねー!』

────────


◆◆◆


 翌日の晩、俺は駅前にある居酒屋へと足を運んでいた。待ち合わせの時間までまだあるので、先に中に入って待つ事にする。

 さて、やっぱり単刀直入に聞いた方がいいだろうか? いや、それだとはぐらかされる可能性があるよな……。うーん、難しいところだ。

 店員に案内されて席に着き、おしぼりで手を拭きながら、どうやって聞き出そうか考えていると、入口の方から聞き慣れた声が聴こえてきた。


「おまたせ~」


 そちらを見ると、私服姿の美月がこちらに向かって歩いて来るのが見えた。薄手のカーディガンにロングスカートというラフな格好をしている。


「よう、お疲れさん」


「ごめんね、待った?」


「いいや、俺も今来たとこだ」


「そっか、よかった〜」


 美月はホッとした表情を見せると、俺の向かい側の席に座る。とりあえず飲み物を注文してから、俺達は改めて向かい合った。


「こうして会うのも久しぶりだねぇ」


 頬杖をつきながら、しみじみと言う美月。確かにそうだ。最後に会ったのは、確か去年の夏頃だったか。


「そうだな」


「元気にしてた?」


「ああ、見ての通り元気だよ」


 俺の言葉に嬉しそうに微笑む美月。本当にこいつは昔から変わらないな。いつまでも子供っぽいというかなんというか……まあ、それがこいつのいい所ではあるんだが。


「……なんか今、失礼な事考えてない?」


 ジト目で俺を見る美月。どうやら顔に出ていたらしい。


「いや、別に何も?」


「ウソだぁ、絶対変な事考えたでしょ~! 双子テレパシー感じたもんね!」


「うわ懐かしいなその設定……」


 俺が小学生の時、2人でよく使っていた超能力(?)だ。お互いに考えてる事がわかるっていうアレである。もちろん実際にはそんな力は無いのだが、なんとなく通じ合ってる感じがして楽しかった記憶がある。


「今でも使えるよ、私は!」


 そう言って得意げに胸を張る美月。そんなわけないだろうと思いつつ、俺は試しに聞いてみることにした。


「本当か? じゃあ、当ててみろよ」


「ふふん、いいよ〜! えーっとね……」


 美月は少し考える素振りを見せた後、自信満々といった様子で口を開いた。


「『今日も可愛いな』って思ってる!」


「ブフッ……! おまっ……!」


 ドヤ顔で言い放つ美月。俺は思わず噴き出してしまう。


「あはっ! 当たった!?」


「当たってねーよバカ! なんでそうなるんだよ!」


 腹を抱えて笑う俺に釣られて、美月も笑い出す。店内には俺達の笑い声が響いていた。


 ひとしきり笑った後、俺達は改めて乾杯した。ビールで、と言いたいところだが、2人揃って下戸なのでジンジャーエールでである。

 じゃあどうして飲みに行こうなんて言ったんだって話になるが、そこは察してほしい。雰囲気作りってやつだ。


「ぷはぁ~! 炭酸が染み渡る~!」


 一気にグラスの半分くらいまで飲んだ美月が幸せそうに言う。


「お前おっさんみたいだな」


「なによぅ、それ言ったら達基だっておじさんじゃない」


「誰がおじさんじゃい」


 軽口を叩き合いながら料理を口に運ぶ。……うん、美味い。居酒屋の料理って、なんでこうやたらと美味く感じるんだろうなぁ……不思議だわ。


「そういえばさ、最近どうなの?」


 枝豆をつまみながら、美月が聞いてくる。手元には既に殻の山が出来上がっていた。どんだけ食うんだよコイツ……。


「どうって何が?」


「仕事とかプライベートとか色々あるじゃん。何か面白いことあった?」


「んー……特にこれといって無いかなぁ……」


 言いながら、最近の事を思い返す。取り立てて変わったことはないし、いつも通りの日々だったと思う。強いて言うなら、ちょっと体重が増えたくらいだ。……あれ、もしかしてそれって結構ヤバいんじゃ……?

 嫌な事実に気づいてしまい、冷や汗を流す俺を他所に、美月は言葉を続ける。


「そうなんだぁ……つまんないのー」


 心底つまらなさそうに呟く美月。お前は俺の人生に何を期待しているんだ……。


「そういうお前はどうなんだ?」


 今度は俺の方から質問してみることにする。当初の目的はこれだからな。丁度いいタイミングだ。

 すると美月は、あからさまに動揺し始めた。


「え!? あ、わ、私!?」


「他に誰がいるんだよ……」


「そ、そうだよね~アハハ……」


 挙動不審な美月を見て、俺はピンと来た。これは絶対に何かあるに違いない。


「……何かあったのか?」


 そう尋ねると、美月は一瞬ビクッとした後、観念したようにため息をついた。


「あーもう、わかったよぉ……話すからそんな顔しないでってば」


 そんなに怖い顔をしていただろうか? いや、まあ今はそんな事どうでもいいか。それよりも本題に入ろう。


「それで? 何があったんだ?」


 俺が促すと、美月はぽつりぽつりと話し始めた。


「実はこの前、彼氏に振られちゃってさぁ……」


 ……マジか。つーか彼氏がいたのか。全然知らなかったぞ。一体いつできたんだよ……。

 まあ、それはいいとして問題はその内容だ。振られたということはつまり、浮気されたということだろうか? だとしたら許せんなその男……よし、一発ぶん殴ってやるとしよう。

 そんな物騒な事を考えているとは露知らず、美月はさらに話を続ける。


「最初は『仕事が忙しいから仕方ないよね』って言ってたんだけど、だんだん連絡が少なくなってきちゃったし、最終的には他の女の子と一緒にいるとこ見ちゃったんだよね……。しかもその子、私の友達だったから尚更ショックでさ……」


 そう言うと、美月はシュンとしてしまった。先ほどまでの明るいテンションとは打って変わって、すっかり意気消沈している様子だ。


「やっぱり私が悪かったのかなぁ……。私がもっとちゃんと話を聞いてあげてれば良かったのかなぁ……? それとも最初から遊ばれてただけだったのかなぁ……?」


 目に涙を浮かべながら俯く美月。今にも泣き出してしまいそうだ。


 それを見て、俺は思った。ああ、やっぱりこいつは何も変わっていないんだな、と。

 普段は底抜けに明るく振る舞っているが、本当は繊細で傷つきやすい心の持ち主なのだ。ずっと見てきた俺にはわかる。伊達に双子の兄をやっているわけじゃないからな。

 だから、俺は言ってやった。


「……違うだろ、それは」


 俺の言葉に、俯いていた顔を上げる美月。その目は涙で潤んでいた。


「悪いのは全部そいつだろうが。お前が気に病む必要なんてない」


「でも、でもぉ……!」


 嗚咽おえつを漏らす美月の頭を優しく撫でてやる。昔、泣き虫だったこいつがよく泣いていた時、こうやって慰めたっけな……。懐かしさと愛おしさが同時にこみ上げてくる。


「だいたいお前は優しすぎるんだよ。そうやって何でも一人で抱え込もうとするな。いつも言ってるだろ、何かあったら相談しろって」


 諭すように言い聞かせる。昔みたいに泣くことはなくなったけど、今でも変わらず抱え込む癖は変わらないらしい。まったく、困った片割れだ。


「うぐっ……ひぐっ……ごめんなさいぃ…………ぐすっ……」


 とうとう堪えきれなくなって、本格的に泣き出してしまった。幼い頃の呼び名に戻ってしまっている辺り、相当参ってるみたいだ。こりゃ重症だな……。やれやれと思いながらも、俺は美月を抱きしめた。


「ほら、好きなだけ泣けばいいさ」


 そう言って頭を撫でてやると、美月は俺の胸に顔を埋めてわんわん泣いた。まるで子供のように泣きじゃくる彼女を抱きしめてやりながら、落ち着くまで待つことにしたのだった。


◆◆◆


 しばらくして落ち着いた頃を見計らい、俺は再び口を開いた。


「少しはスッキリしたか?」


 俺の問いにこくりとうなづく美月。まだ目元が少し赤いものの、涙は止まったようだ。


「そうか、ならよかった」


「うん……ありがとね、達基。もっと良い女になって、彼を見返してやるんだから!」


 美月はそう言って笑顔を見せる。どうやらいつもの調子が戻ってきたみたいだな。うんうん、やっぱりこいつはこうでないと。


「おう、頑張れよ」


「えへへ、頑張る!」


 そう言って笑う美月を見て、俺は思う。やはり彼女には笑顔が似合うな、と。昔からそうだった。こいつの笑顔を見ていると、こっちまで幸せな気持ちになれるのだ。


「……なんか、懐かしいな。昔はよくこうして泣いてたよな、お前」


「え~? よく泣いてたのは達基の方でしょ〜? 『、みーちゃんがいないと寂しいよ〜』って言って私の事探し回ってたし〜」


「なっ……! そこまでは言ってないだろ!」


「あれれ~? そうだっけ? ごめんごめん!」


 からかうような口調で言う美月。くそ、完全に手玉に取られてるな……。


「ったく、相変わらず口が減らないヤツめ……」


「ふふん、それが取り柄だからね~」


 得意げに胸を張る美月。そういうところだぞホント……。まあいいか、とりあえず元気が出たみたいで何よりだ。


「それにしても、まさかお前に彼氏がいたとはなぁ」


 しみじみと言う俺に、美月は苦笑いする。


「まぁね~。ほら、学生時代はずっと達基と一緒だったからさ、なかなか出会いとか無くてね~」


「あー……なるほどなぁ……」


 確かに言われてみればそうだ。双子だと知らない人からすれば、よく一緒にいる男女といえば恋人同士だと思うのも無理はないだろう。顔があまり似ていないのも相まって、余計勘違いされやすかったのかもしれない。そう考えると、俺達ってかなり損してるよなぁ……。


「そういう達基はどうなの? 彼女いないの?」


 興味津々といった様子で尋ねてくる美月。俺はため息をついて答えた。


「いたらお前と2人で飲みに来てねぇよ」


「それもそっか」


「納得すんのかい」


 思わずツッコミを入れてしまう俺である。そんな俺を見てクスクスと笑う美月だったが、すぐに真面目な顔になり、ポツリと呟いた。


「……ねぇ、達基」


「なんだ?」


 聞き返すと、彼女はゆっくりと口を開く。


「もし、もしもだよ? また私が泣きそうになったらさ、その時は助けてくれる……?」


 不安げに尋ねてくる美月に、俺は笑顔で答える。


「当たり前だろ、いつでも助けてやるよ」


 俺達は見つめ合い、そして笑い合った。それは紛れもなく本心からの言葉だった。彼女が困っているのなら、全力で力になろう。いつだってそうしてきたのだから。


「ふふ……ありがとう、達基。私も、何があっても絶対味方でいるからね! あ、彼女探しなら手伝ってあげよっか? なんなら今から合コンとか行く!?」


「行かねーよバカ! つーかさっきまでメソメソしてたくせに切り替え早すぎんだろ!」


「あはは、冗談だってば~!」


 ケラケラ笑う美月。全く、本当に調子のいいヤツだ……。まあ、落ち込んでるよりはこっちの方がいいけどな。


「ま、今日は食おうぜ。ちょっと冷めちまったけど美味いぞこれ」


 言いながら料理を口に運ぶと、美月も同じようにして食べ始めた。


「ほんとだ美味しい~! やっぱ達基のチョイスは間違いないね!」


「そいつはどうも。……って俺の分は!? もう半分くらい無くなってんじゃねぇか!」


「え~いいじゃん別に~。減るもんじゃないし~」


「減ってんだよ物理的に! 俺の分まで食うなこの食いしん坊が!」


「あ~ひどい~! 女の子に向かってそんなこと言っちゃいけないんだぞ~?」


「やかましいわボケェ!!」


 ああ言えばこう言う美月に振り回されながらも、俺達は楽しく食事を続けたのだった。


◆◆◆


「さて、そろそろ帰るか」


 そうしてしばらく経った後、俺は切り出した。気付けば閉店時間が迫っていたので、これ以上長居はできないと判断したのである。美月は少し名残惜しそうにしていたが、渋々了承してくれた。


 会計を済ませて店を出る頃にはすっかり日も落ちていて、空には星が瞬いていた。

 駅までの道を並んで歩く俺達。ふと隣を見ると、何かを言いたげな様子の美月と目が合った。


「……どうした?」


 尋ねると、彼女は少し逡巡しゅんじゅんした後に口を開いた。


「……あのさ、もしよかったらなんだけど……またこうして一緒に飲みに行ってくれる?」


 ああなんだ、そんなことか。そんなの答えは決まっている。


「おう、もちろん構わないぞ」


 答えると、美月の表情がぱあっと明るくなった。わかりやすい奴だなぁ……。思わず笑みが零れてしまう。


「ただし、次は奢ってくれるんだろうな?」


 冗談めかして言うと、美月はとぼけたような表情で小首を傾げる。


「えー? どうしよっかなー? やっぱり年上の奢りでしょー? 達基お兄ちゃん?」


「いや同じ年だろうが! こういう時だけ兄貴扱いするんじゃねぇ!」


 まったくコイツときたら……でも、こういうやり取りも悪くないと思ってしまうあたり、俺も相当重症なのかもしれないな……。そんな事を考えながら、俺は小さくため息をつく。


「……ん」


 さりげなく手を伸ばすと、自然と手が繋がれた。小さい頃はよくこうやって手を繋いだものだ。なんとなく恥ずかしくて出来なくなってしまった時期もあったけれど、大人になった今でも変わらないものがあることに安心感を覚える。

 きっとそれは美月も同じなのだろう。その証拠に、彼女の顔には幸せそうな笑みが浮かんでいたから。


 これからもずっと、こんな風にいられたらいいなと思う。離れていても、何かあったら助け合える関係でいたい。

 そんな想いを抱きながら、俺達はゆっくりと帰路についたのだった。

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