Scene-04 フォールタイム

 コンクリートがゆらり、ぐるりと揺らぐ。

 まるで海の上に立ってるみたいだ。


(かか、かかか! ガキ共が、少し早いが供物にしてくれるわ!)


 声のする方向を見ると、コンクリから泡が立っていた。

 本格的に水だ。

 水の底から、コンクリの海を割って赤黒い触手が飛び出してくる。

 太さは大人の一抱えくらい。

 長さは根元が見えてこないくらいには長く、それが何本も襲ってくる!


「よっ、ほ……よいっと!」


 右、触手が一度天井付近まで持ち上がり、そこから打ちおろし。

 避けるまでもない大外れだけど、地面を打った反動で床が大きくたわむ。身体が浮きそうになるのを堪えた。

 触手はそのまま居座って逃げ道を塞ぎ、そこへ左から別のが進撃。なるほど連携!

 床がぐにゃぐにゃなので、ジャンプからのスピンで躱した。

 着地を狙って別の触手二本が床を薙いでくる――ので一本を踏んづけ、再ジャンプで避けるっ。


(おお、やるなあ!)


 声のした方へ銃を向けるけど一瞬遅く、丸刈りの頭頂がコンクリ海へ沈んでいく。

 ちっ、隠れたか!

 触手も一度引き戻され、また床が静かになった。

 くるか――きた!

 一拍の間を置き、再び触手攻撃が始まる。


「ええい、鬱陶しい!」


 銃で撃つには数が多い!

 触手が打ち下ろされるたびにコンクリが激しく波打ち、足が取られそうになる。

 避け、躱し、プラトーで弾き――ごめん、嘘! 重くて弾けないっ。

 代わりに反動を利用して再び空中へジャンプしてスピン――って、いけね薄いスカートが足に巻き付く。

 戦闘に向いてないな、ステージ衣装!

 一度足を畳んで身体を捻り、回転方向を引っ繰り返す。

 緩んだスカートを蹴って無理やり広げると、そのまま大開脚から海老反り、さらにI字バランスを取ってバレエみたいに着地する!


(おおっ!?)


 ぞくぅう!

 や、やけにネトった視線が……ぐぐ、確認したいけど余裕がない。

 波打つコンクリで普通に立つことは諦め、代わりに側転やバク転を入り混じらせつつパルクールに移動する。

 目的地は――井手上さんの魔術でディスク状に切り取られたままの床!

 そこだけ小島みたいになっていて、景貴たちもここへ集まっていた。着地後にワンテンポ置いてから、スカートがひらりと元に戻る。


(……)


 ふう……やっとまともに立てる。

 改めてネットリした視線の方向に振り返ると、床から突き出していた生首と目が合った。

 ザ・アビスー、気色悪いぞー!

 その感想が伝わったのか、慌てて潜られる。

 潜り込んだ場所でコンクリにぶくぶくと泡が立ったけど、すぐ消えた。

 ――あ、いま撃っておけばよかった!


「まあいいか……みんな、だいじょぶ?」

「あ、あの!」


 後ろで井手上さんが真っ赤になりながら声を上げる。

 何だ、どうしたの!?

 

「瑛音様の下着とお尻が……あと、ち、乳首が見えそうですが大丈夫でしょうか!?」


 ち……乳首ぃ?

 ああ、ステージ衣装がパタパタしてるからか。

 そうね、見えるかも。

 でもパンツと合わせて別にどうでも……そう答えようとした瞬間、コンクリの床からザ・アビスが顔を出した。

 さっき首だけで覗いていた場所からそう離れてはいない。


「ぷは……」


 ん!?


「ニュート、今の……」

「――瑛音様、あそこに出歯亀がおります!」

『どう……え?』

「でっ、出歯亀とは何だ!」


 食い気味に井手上さんが叫んだため、ザ・アビスが叫び返した。

 後ろ暗いことを指摘されたように動揺している。

 ザ・アビスがチラチラ見てる視線の先を追うと――僕の胸元?

 ああ、確かに見えてるな。

 別にどうでもいい……と考え、すぐに気付く。いけね、プラトーを持ったままだ!

 

 大慌てで服の乱れを調えた。

 乳首を服の下に隠し、スリットとパンツの位置も調整する。

 その他、各所。

 いいかな、大丈夫かな……よし!


(……)

 

 ふと気付くと、ザ・アビスがこっちをガン見していた。

 だから、男だと!

 胸中でのツッコミを受けたワケではないんだろうけど、井手上さんが再び吼えた。


「殿方が、他人の身支度をその様な目で見るなど!」

「!?」


 指摘されたザ・アビスと、何故か景貴も後ろでビクっと震えた。

 え、背中? 肩甲骨とか?

 そんなの見て面白いのか。

 あときみ、僕の着替えなんて何度も見てるでしょーに。


 おほん……それはそれとして。

 ザ・アビスは、しどろもどろになりながら井手上さんの糺弾を否定する。


「い、いや……別にそんな。た、確かにちょっとは見えていたが……」

「やはり出歯亀!」


 井手上さん、物凄く怒ってる。

 自分の裸は全然気にしないのに、僕や景貴、清華をそういう目で見る人は嫌うなあ。

 ――それはそれとして!

 

「ニュート、そういえば出歯亀って何?」

『性犯罪のガチ常習者であった出っ歯の亀五郎さんという人の仇名だ。転じて痴漢やヘンタイを指す。広めたのはゴシップ誌と森鴎外』

「なるほど、変態ね」

「へ、変態とはなんだ。我を亀五郎のような奴と一緒にするでないわ!」


 面子を気にする大正時代の人らしくザ・アビスが激昂する。

 思い出したように、足元から何本もの触手を持ち上げて攻撃してきた。

 床はコンクリのままだから、出現場所が読み難い……けど!


「あの触手は身体の一部なのか、下に何かがいるのか――なっと!」


 呟きつつ、ウェブリー・リボルバー・マークⅥを撃つ。

 対神話弾の二発目! 残り二発。

 狙いは触手ではなく、亀ご……違う! ええとヤマ……じゃなくて、ああと……ザ・アビス!


「喰らえ、亀ご……違う、ヤマ……じゃなくてザ・アビス!」

「おお!?」

 

 とっさにザ・アビスが触手をクロスさせて防いだ。

 だけどそんなもので完全には防げない!

 翠の爆発で触手が吹っ飛び、本人も破片と火花をモロに被って引っくり返えった。

 その勢いのまま、再び床にドッパーンとセンプクする。


 ――


 胸中呟きつつ、スカートの両側スリットをプラトーで更に切り裂く。

 ここまでくると服というより前垂れが長いエプロンみたいだけど、代わりに動きはよくなった。

 特に股間の部分が前垂れに隠れるので、むしろ都合がいい。

 そこに再び触手攻撃がくる。

 左手のウェブリーをチラと見てから引っ込め、代わりに右手のプラトーで皆を守る。

 

「景貴、オースチン7とバイクを準備! 清華、井手上さんは僕が合図したら、そこへ全力で攻撃して」

「「「はい!」」」


 景貴は即座にセブンのエンジンをかけ、トライアンフに飛び乗る。

 清華は膝を立てて座り、大胆に開脚してレッドナインを肩付け。井手上さんはその横で黒革の手帳を開く体勢。

 僕の足元には、ニュートが飛んでくる。


『瑛音、奴とどう戦う?』

「あいつ、顔を出すたびにしてる。ずっとは沈んでいられないだよ。そこがチャンス」

『だが、その弱点は奴も分かっている筈だ。柱の陰とかで顔を出すのではないのか?』

「次どこに顔を出すかは知ってるから大丈夫――皆、あそこ!」


 自由になった両足で波打つコンクリ海へ飛び出すと、パルクールに移動しつつ左のウェブリーの残り二発を放つ!

 狙いは――


「ぷはっ――おわっ!」


 ザ・アビスが柱の陰へ顔を出した瞬間、翠の爆発!

 水柱ならぬコンクリ柱が立ち、顔だけのザ・アビスに降り注ぐ。

 ちい、ちょっとズレたか。

 、完全に同じ場所へ出てくれるわけじゃないんだな。ラプラスの魔はいないってことか。


 両腕で顔を覆ったザ・アビスが再びコンクリ海に潜り込もうとした。

 そこへ井手上さんのスペルが飛ぶ!

 呪文はない。ただ瞳からハイライトが消えて、その奥に狂気の光がチラチラと浮かぶ。

 呼応するように柱の横に燐光が浮かび、闇から怪しげな気配を呼び込んだ。

 ザ・アビスはそれをモロに浴び、目が飛び出さんばかりに見開かれる。右目には高揚と興奮が、左目には陰鬱と叱責が浮かび、鼻は万能感を讃えた荒い息を繰り返し、口元は無力感で絶望に歪む。

 すべてがバラバラになり、外部と内部から精神の均衡を崩しに掛かる――

 

 僕も品川の事件でカースティアズに喰らった魔術だ。

 ただ、ここまで凄い顔芸しなかったけど……そう思いたい!

 ザ・アビスが貯まらずコンクリ海から飛び出した。


「ふっ……!」

 

 柱の陰から出たところで、清華のレッドナインが火を噴ぐ。

 脚と肩を一箇所ずつ削られ、腹にも一発!

 血だらけになったザ・アビスが地面に――深淵ジ・アビスに叫んだ。


「神よ、お慈悲を!」


 再びコンクリ海が真っ黒に染まり、底で幾つもの燐光が瞬き始める。

 ぞわり――

 背筋に冷たい電流が流れた。あれは不味い!


「景貴、清華!」

 

 叫ぶと同時に、まずトライアンフが飛び出してくる。

 躊躇なし! よし!

 トライアンフにタンデムできるシートはないので、景貴の肩に掴まりながらリアボックスの上に立った。

 清華は魔術のリコイルで惚けてる井手上さんを抱き上げ、オースチン7のバックシートに放り込むと、自分も運転席に飛び込んだ。

 ニュートも一緒だ。よし大丈夫!

 景貴の肩を促すと、ザ・アビスめがけて突進する。

 血だらけ、コンクリだらけのザ・アビスが丸眼鏡の底から、驚愕の目を向けてくる。

 目線の先にあるのはプラトー!


境界よ、あれテルミヌス=エスト――」

 

 人では捌けないほどの高密度魔術情報が回路みたいに流れ、刃を非物質化させていく。

 これこそが《プラトー》の真の姿。

 剣の形をしたイースの魔術――旧支配者との《接触》、その極北!

 横を通りすぎたバイクからジャンプし、ザ・アビスに肉薄する。

 

「《ヴァージ》!」


 時の流れすら超越して振り下ろした刃が、ザ・アビスと《何か》との接触を断つ!

 絶叫と共に繋がりは断たれた。

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