Scene-03 汐だまり

 オオオオー、オー、オオーッ!


 ぼやけた冬の朝日が昇る――

 万雷のような叫声が朽ちかけた洋館をビリビリと震わせた。まるでゾンビ映画のクライマックスシーンだ。


「こりゃまた……」


 黒猫のニュートが、屋根から飛び出すように設けられた破風の窓からそっと様子を伺う。

 関東大震災で大打撃を受けた漁村は未だ復興には至らず、このまま朽ちていきそうな雰囲気を漂わせてる。

 その端に立つ、廃墟の教会。

 建物周囲には大勢の人間が集結しつつあった。まだギリ、人間と呼んでもいいかなって感じの人たち。


「村一つが丸々神話存在ってパターンは考えてなかったなー」


 埋め尽くす群衆を簡単に説明すると――だ。


 顔は縦より横が長く、額の形状は上下が狭くて幅が広い。

 首が短くて肩にめり込んでるみたいな。

 目はぎょろりと大きくて、形も丸すぎる。

 閉じるの、これ?


 顎も張ってて、口の端がブーメランみたいに下側へ歪んでいる。

 あと、やったら皺が多い……


『瑛音、ボーッとするな! 例の場所へ行くならば屋根伝いの方が早い、急げ!』

「りょ!」


 集まってきた人間たちは、全員まともな様相を呈していない。

 集団丸ごとが狂気に犯されている。


「瑛音様、怖いですぅ」


 あまり怖くなさそうな声音で、和服に袴な女学生スタイルの清華が後ろからしなだれかかってくる。

 袴は平民用の海老茶ではなく貴族用の黒だ。

 念のため服の乱れをチェック……うん、大丈夫。

 流石に少し汗臭いけどそれはしょうがないなと思った瞬間、清華がズザザっと離れた。

 わたし臭くありません! そんな顔してる。


 その後ろから、簡易のバリケードで屋根裏部屋の扉を塞いだ景貴が飛んできた。

 こっちは私服の少年用スポーツスーツに丈の短いマントを羽織っている。


「瑛音様、これでしばらくは入ってこられません。あと状況を考えろ、清華! 今がどんな状況か分かってるか!?」

「誘拐されましたが、瑛音様に助けて頂きました。もちろんお兄様にも!」


 清華が景貴にぴとっとくっつく。

 仲がいい双子だな。


『学校帰りに自分から事件に首を突っ込んだせいで……が、抜けている。《イプ》の呪われた血を引いていた学友を誘拐から救おうとした心意気は感服するが、そのせいで景貴がどれだけ心配したことか。瑛音の《幻視》がなければどうなっていたことか』

「――瑛音さま、この黒猫いま何かとても失礼なことを長々と言いましたか?」


 清華がひくついた笑顔のままニュートと鼻面を付き合わせる。猫語ウルタールは分からないけど、何となく察したらしい。

 代わりに通訳してあげる。


「ニュートが言ってたのは悪口じゃなくてお説教だよ。景貴が凄くしんぱ……」

「清華、先に屋根へ昇れ! 早く!」


 景貴が噛みつかんばかりの勢いで清華にさっさと昇るよう促す。

 少し顔が赤い。

 察した清華が嬉しそうに笑うとニュートの先導で意外と身軽に屋根に飛び移った。

 僕から本を受け取った景貴も続き、勾配のきつい屋根を上っていく。


 最後に僕が身軽に飛び移る。いつもの遠征スタイルだ。

 それと同時に巨体の狂信者がもの凄い勢いで屋根によじ登ってきた――けど、こっちが反応する方がずっと早い。

 三角屋根を疾走しつつ、ウェブリー・リボルバー・マークⅥを抜き撃つ。


 妙に平べったい顔を屋根の上に突き出した瞬間、顔面に直撃!

 巨体は真っ赤な血潮を散華しつつ屋根を滑り落ち、跳ね返るように人混みの中へ落ちた。

 狂信者の大群から驚愕の叫び声が十重二十重に響きわたる。どうやら誰も僕たちが抵抗してくるとは思ってなかったらしい。

 だけど、驚いたのはこっちだ!


「ニュート、ふと思ったんだけど……もしかして、僕は身体のご不自由な人を撃ってることになったりする!?」


 驚くのはそこか! というツッコミをぐっと堪えたような顔をしたニュートが足元に飛んでくる。


『そういうことは気にしなくていい。イプティックは冒涜的な《神性》に侵食された狂気の血族だ、やり始めた以上は後に引けんと思え!』


 ニュートがざざーっと説明する。

 ここの連中はという町で行われた異教裁判から逃れてきたという。

 表向きは明治初期に訪日したアメリカ人の小集団が建てた村ということになっている。初期は良かったらしいけど、二、三世代でこの有り様だ。


「企み……血族を増やすってことだよね。だから《神性》の適合者を集めてて、それで清華が掴まった」


 正確には、清華の友人が狙われたそうだけど。

 村から逃れた人間が少数いて、学友はその孫だったとか。でも清華の方がずっと適性が高くて……


 本来なら隠れ里でゆっくり、じっくり邪な企みを実行していく予定だったんだろうけど、僕がいれば見つけるのは容易い。遅れること二時間程度で本拠地を割り出している。

 チート能力者を舐めんな!


 ただ状況的に清華の貞操が危険そうだったので、マジ泣きしかけた景貴の懇願で結社への連絡もそこそこに出向いたら、コレだ。

 色々仕掛けた上で和風ホラーゲームの舞台になりそうな屋敷から清華を救い出し、いまこうして廃墟の屋根に陣取っている。


「美少女って辛いね」

『他人事ではないぞ。いまお前が撃ったあの個体は女だからな? 何があろうとも絶対に掴まるなよ!』

「――え!?」


 その瞬間、二人のイプティックが新たに屋根に取りついた。

 垢染みた薄い着物みたいなのを着た、真っ黒な目のず骨太い――女性!?

 薄く伸びた口の端から涎がぼたぼたと滴る。


「ああ……おお、オトコ! オトコだ!!」


 イプティックたちが情欲に塗れた歓喜の声を上げた。

 ぞっっっわっ!

 異様に長い舌が薄い唇をヌメりと湿らせ、歓喜の表情が浮かぶ――そのど真ん中を455弾がぶち抜いた。

 一人目はそのまま屋根から転げ落ちる。

 二人目は一撃に何とか耐えたので、もう一発叩き込んだ。

 額が割れて今度こそ転げ落ちた。


「に、にゅーと……あれが、女性? で……僕や景貴と、その!?」

『一目で瑛音が男だと見抜いたのは流石だな』


 神話事件の度にガラの悪いのから邪な感情をぶつけられることが多いけど、正しく男として役に立つよう望まれた経験はあまりない。

 そのせいで想像したときの衝撃がとても大きい。うげげ。

 リロードしつつニュートに叫ぶ。


「あれ相手に情欲とか一切湧いてこないんですけど!?」

『秘薬や秘術その他、色々手はあるぞ。だがそんなのを使わせないためにも皆で脱出の準備をしている』

「瑛音さま、こちらは準備できました!」


 三角屋根の天辺にやっと到達した清華が上から叫んだ。

 横には景貴もいる。

 二人とも大変な美形で、正しい生命力に溢れていて――


「!?」


 我に返って急勾配をすっ飛んでいくと、清華と景貴の腕を強く掴んだ。

 これまで見せたどんな顔よりも必死の表情だったと思う。


「必ず三人と一匹で無事に脱出してみせるからね!」

『うむ』

「もちろんですとも、瑛音様!」

「はい、清華は必ず助けてみせます!」

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