第四話:ミズチノマレビト

Scene-01 汐さき

 白尽くめの少女が黒く燃えている――

 身体の至る所から濃くてねっとりした黒煙のようなモノが立ちのぼり始める。

 こちらに気付いた少女が、恐怖に歪んだ顔を向けてきた。


『その身体をよこ――せぶっ!』


 口と鼻から血塊と血泡が吹き出て、それで命がかき消えた。

 黒煙から生まれた何かが血と肉を囓り取っていく。

 少女を食い殺した《何か》は、ネジくれた四つ足の獣みたいな姿を取り始める。

 不浄を体現する直線と角度の存在……!


 やがて、ぴちゃぴちゃと血を舐め取る不浄がを見た。

 ニヤリと笑い――





「わあぁっ!!」


 がばっとベッドから飛び起きた。

 秒未満で夢だと理解――する間も惜しみ、洋風のバスルームへ駆け込む。

 時代がかった洗面台に映り込んだのは子供だ。

 年齢はせいぜい二桁になったばかりだろう。人種は特定できない、おそらく様々な血が混じり合っている。

 瞳の色は複雑で、珍しい複数の混じりアースアイだ。

 性別は一瞬悩むが大半は少女と答え――


「まだ悪夢の中か」


 肩の痛みを堪えながら深い溜息をつく。

 その後ろから、冷え切った冬のバスルームに黒猫が入ってきた。


『おはよう、瑛音えいと。立ち直ってからでいいから、洗面器に湯を溜めてくれ』


 とっくに慣れているので喋ったことについては何とも思わない。むしろ可愛い。世の猫はもっと喋るべきだと思う。


「おはよう、ニュート……」


 真鍮の瀟洒なカランをぐりっと捻ると、お湯が盛大に流れ出す。

 大正のお湯は令和と違うような気がした――


       *


 先に自分の顔を洗い、ニュートも綺麗にしてから客間に出た。

 億劫だったのでワンピースパジャマのままソファに深く沈み込むと、放心したまま天井を見つめる。

 スマホかテレビを見たいところだけど、どっちもない。

 ラジオすらない時代だしね。

 ニュートもソファにやってきたので、タイ付きカラーをつけてやる。最近のお気に入りだ。


『で、今日は何をする予定だ?』

「決めてない。最近は何やっても面白くない……」


 昨晩テーブルに置きっ放しだった飲みかけの炭酸入りミネラルウォーターを取る。

 ラベルの文字は『ンソンキルヰウ』、つまりウィルキンソン。


「なんで右から左に読むんだか……」


 ニュート用のお皿にも取り分けて、残りはラッパ飲み。

 気が抜けてるので、ほぼ水だ。


『遊ぶことにも深い意味があるのだぞ、そもそも……』

「我々は物理法則すらねじ曲げる《旧支配者》を相手にしているのだぞ、正気を保つためにも日常を穏やかに過ごすことが重要である――って、散々聞いたし、自分でも分かってはいるんだけどさ!」


 ニュートの声真似は上手く行った。


『次の神話事件のためにも真面目に気を抜いておけ。最初はチート能力が一杯あるーと、あれほど喜んでいただろう』


 こっちも声真似らしい。


「そうは言っても《魔術》では遊べないし……」

『私利私欲に使われても困るが、特に禁止事項などはないぞ?』

「イース人が何するか分からないから、嫌」


 大体……と、愚痴ろうとして口をつぐんだ。

 イースの大いなる種族さんたちに聞かれると変な方向に気を遣われかねない。例えば風呂場でダンスを踊るとか!

 《旧支配者》のやることはよく分からない。


『ふむ……確かに、お前は時折危なっかしい使い方をする』

「危なっかしい?」


 聞き返すと、ニュートが首を振った。


『――自覚がないのなら気にするな。それより、することがないのなら散策を勧める。場所ではなく大正という時代を歩くといいぞ、タイムトラベラー!』

「何もかもが古くさいけどね……」

『かかか、それがいいのだがな』


 笑うと、ニュートがテーブルにひょいと飛び乗った。


『瑛音、新聞と飯を頼む。朝食後に今日分の読み合わせをしよう』

「りょー」


 全国紙や大衆紙を何紙かと人間用と猫用の食事を頼む。

 メニューはホテルのお任せ。

 しばらくすると運ばれてきたので、ニュートと一緒に食事をする。


 ニュートはテーブルに敷いたナプキンの上に座り、お皿に盛られた牛肉と野菜のカルパッチョみたいなのをもりもり食べる。

 僕の朝食はエッグベネディクト二つ。

 ベーキングパウダーで膨らませたディスク状の未発酵パンに、とろっとしたポーチドエッグと分厚いベーコンを乗せ、バターとレモンの香り豊かなオランデーズソースをたっぷりとかけた料理だ。

 付け合わせのサラダも嬉しい。

 令和にいた頃よりご飯が豪華だなあ……


 食べ終えた後はポットの紅茶を飲みつつ、新聞を読んでいく。

 大正の新聞は全て物理で、言い回しが古くさいので読み難い。でも、だからこそ読み慣れなければならない――とは、ニュートの談。

 それは分かっているんだけど。


「ん……?」


 新聞を開いてしばらく見ているうちに、に気付く。

 あれ、これ……中々よいものでは?

 新聞をテーブルクロスみたいに広げたまま、何気ない風を装って立ち上がる。


「ニュート、その記事なんだけどさ」

『どうした?』


 新聞を指さすとニュートが何事かと新聞を読み始めた。

 その隙にキャビネットへ、無音ダッシュ!


『――あ!?』


 気付いたニュートが慌てて逃げる……けど、その時には既に遅い。

 目的の物は掴んでる。

 頑なに拒まれてる、猫にも使える爪切りを!


「待てニュート、今日こそは爪を切る!」

『爪研ぎでいいのだ!』


 ニュートは早いけど僕だって負けてはいない。

 せーの――だっきっ!

 空中でタックルしつつ、お尻からソファに着地。

 目の前には広げたままの物理新聞紙。


「だいじょぶだよー、いたくないよー」

『待て瑛音、話し合お……』


 肉球をむにゃっと押すと、ニュートの手から伸びまくった爪がシュランと出てくる。

 手にした爪切りを持って――パチパチパチパチ! 一気!


『ぐおおお、ヘソ天の腹を撫でられたごとき屈辱!』

「ニュート、普段はヘソ天で寝ないじゃん。はい、つぎ左手ー」

『ぐぬぬ――ん? まて!』


 むにゅからのパチパチパチパチ! 一気!!


『あー!』

「で、どしたん?」


 朝日新聞の上にたまった爪をスチールのゴミ箱へ、ざー

 使えるなー、物理新聞!

 ニュートは猫ジト目イカ耳でむすっと答える。


『景貴が一人だけで、こっちに走ってくる……』


 ニュートの言葉が終わるやいなや、タイミング良くドアがノックされた。

 とてとてと歩いていって扉を開けると、隙間から景貴のドアップが飛び込んできた。


「――瑛音さま、清華が大変なんです!」

「ほへ?」

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