Scene-04 顔を上げても
僕らは結社の協力者が持っている品川の別荘に戻っていた。
女の子はこっそり呼んだお医者さんに治療をしてもらってから着替えさせ、そのまま客室のベッドに縛り付けている。
酷いとは思うけど、寄生や洗脳対策のためだ。
その女の子。
困り顔の似合いそうな垂れ目のクセっ毛で、小動物のような可愛らしさがある。
和服だから目立ってないけど身体は妙に肉感的だ。
目覚めた直後は放心状態だったそうだけど……徐々に緊張を増していき、拘束したいまは酷い恐慌状態になっている。
僕はベッドの脇に立って、ふうと息を吸い込み――にっこり。
清華のよそ行きの笑顔を真似る。
マントと上着を脱いでるのに、まだ肩に居座ってるニュートが似合わないぞ的な猫ジト目。うるさいな!
「もう一度聞くけど、お名前を教えてくれないかな?」
「……」
ニコニコに、ガチガチが重なる。
隈の浮いている目がカッと見開かれ、身体がへし折れそうなほど緊張している。
そんな怖いですか。
「大丈夫、何もしないよ。僕は瑛音……美しい石に音って書く。君の名は?」
ニコニコと微笑む横で、今度は歯ぎしりまで始まった。
カタカタ、ガリガリ。
さてどうしようとニコニコしながら困ってると、女の子の喉から息が潰れたような音が響いた。
「な……名前は! せめて名前だけは!!」
「ほへ?」
何だろう……名前を聞いちゃ駄目な人なの?
女の子は身を乗り出し、拘束用革ベルトに引き戻された。
さらにガチャガチャ。
どうやら土下座しようと身を乗り出しているらしい。
セクハラじゃありませんと胸中で唱えつつ、女の子の肩を押さえてなだめる。
ニュートに目で尋ねたけど、くりんと首をかしげられた。
『瑛音、この子をどこかで見た気が――』
僕の困惑とニュートの言葉を、女の子の絶叫が上書きする。
「どうか、お慈悲を――
「……」
ああ、この気持ちを何と言い表せばいいか……
魔王に転生したから仕方ないとは言え、イーフレイムに酷い目に遭わされた人たちに恨まれるのが一番辛い。
呼吸一回で平静に戻った自分を誉めつつ、言葉を続ける。
「イーフレイムはもう死んだよ。僕は瑛音、肩にいる黒猫はニュート――」
『死にかけの蝉と紹介されなくてよかったよ』
……!?
意味を理解して吹き出した。間一髪で横を向く。
女の子の目は点だ。
そーだねー、イーフレイムはこんな顔しないよねー……じゃなくて!
『うむ、この子の気もほぐれたようだ』
「ごめんニュート、こういうときどういう顔をしていいか分からない」
でもプラスにはなったようだ。
女の子は恐る恐るだけど肩の力を抜いてくれた。
ほっと息をついて僕も離れる。
大丈夫かな……うん、大丈夫そうだ。
「手足のベルトはゴメンね、君の安全が確認できたら外してもらえるから」
「瑛音さま……あの、瑛音の下は」
「それが名前。苗字は綾瀬杜だけど、今日は一杯いるから僕は瑛音でいいよ」
「瑛音さま……あの、私の手帳はどちらに……」
ニュートと目で相談。
ここは正直にいいますか……
「あの男が持ち去ったみたい。大事なものなら取り返せるか頑張ってみるよ。ええと――」
「井手上
手帳への反応は飲み込んだみたいだ。
もっと詳しい事情を聞きたかったけど、まだ駄目かな。
そこで扉が軽くノックされる。
景貴と清華が入ってきた。
二人とも男子の服なので男性同士の双子に見える。女の子はどっちも男子だと思ってるんだろうな、きっと。
「瑛音さま、お車の給油は終わらせておきました」
「資料も届いております」
潮時か。
丁重に挨拶を済ましてベッドから離れると、井手上さんは少し身じろぎした。
着物の胸元が少しずれ、後ろにいた景貴がちょっと困った顔をして視線を外す。清華は横でニヤニヤ。
景貴の気持ちはよく分かる。井手上さん、妙に色っぽいというか。
特に今は包帯グルグルの上に手足を拘束されているので、倒錯感がブーストされている。
何て言うか……酷いことをされることに慣れているような?
双子と廊下へ出ようとすると、扉が閉まる直前に女の子の口からか細い声が漏れた。
「お父様……」
ああ……
音を立てないよう気を配りながらゆっくりと扉を閉めた。
別荘の管理人さんに後を頼む。
この人も結社の関係者なので問題はない。
「あの子ですが、名前を教えてもらえました。
施設。いわゆる逆洗脳の施設。
そこへ送られた結果、別人みたいになってしまう人もいる。発狂したままとどっちがマシかは分からない。
結社の実働部隊には、その施設の出身者が多いとも聞く。
――さて?
「女の子は大丈夫っぽいから、ボワリーってバーを調べなおしてくる」
「ご一緒いたします、瑛音さま」
「では荷物を取ってきます」
そのまま屋敷を後にする。外は夕日が完全に沈み、西の空だけが赤い残光に輝いていた。
景貴にランプで照らしてもらいながらオースチン7へ乗り込むと、管理人さんと清華が後からやってきた。
清華は手に持ったバスケットと一緒にセブンの助手席に乗り込む。
景貴は
管理人さんの見送りで出発しようとすると、清華が呼び止めた。
「瑛音さま、お兄さま、お腹空きませんか。台所と食材をお借りできましたから、ご飯を用意してあります」
「ああ、いいね」
「なら場所を変えましょう。夜でも灯りがあって見晴らしのいい場所を知っています」
清華、景貴の提案に頷く。
昼ならまだしも、夜の外食は選択の幅が狭い。
なにしろ大正時代だしね。
しかもここは品川三業地――まあ、お姉さんと有料でイチャつける場所なワケで。
他にも煙草がキツイとか色々と。
なので弁当は有り難かった。
清華を助手席に乗せ、景貴のトライアンフに付いていく――
そのまま車とバイクでざっと走って海岸へ出た。
ライトで照らされた広い敷地は、何か大きな施設を作っている最中らしい。
海岸沿いには船が係留され……あれ、羽根がある?
でも飛行機にしては下にカヌーみたいなパーツが付いてて、まるで水に浮きそうな……ああ、某国民的映画で見たのだ。飛行艇って奴。
「ニュート、ジブリパークって大正からあったっけ?」
『ない。ここは大井飛行場と言って、品川にあった飛行艇用の飛行場だ。開設は来年の筈だが、もう何機か来てるな』
「大豚さんが乗ってた飛行機って、実在したんだ……」
『もちろんだとも』
ぽかーん。
飛行機も作ってたんだ、大正の日本……あ、いや、令和でもホンダとか作ってたか。
セブンを降り、思わず飛行機に駆け寄ってしまう。
「この飛行機、メーカーは……?」
「中島だと思います」
『後のスバル』
景貴とニュート。
いや、それよりも!
「すば……祖父ちゃん、インプレッサに乗ってるよ……」
「インプレッサ??」
不思議そうな双子と一緒にオースチン7に戻った。
清華が後部座席に置いてあった籐のバスケットを持ち上げる。
それがお弁当らしい。
景貴はセブンに寄りかかった。ポーズが様になってるな。
「瑛音さま、お一つどうぞ!」
「うん、一個もらうね……」
「お茶もどうそ」
清華と景貴から受け取ったソレをじーっと見る。
アルミホイルに包まれたおにぎりと、暖かいお茶が入った保温ボトルだ。
両方をじーっと見る。
すごい既視感があるというか、どっちも令和で見たような……特に保温ボトルはメーカー名といいデザインといい、父さんが使ってたのと瓜二つだ。
ていうかサーモスじゃん、書いてる!
「景貴、いま何年?」
「大正十三年です」
「……」
顔を上げたら令和に戻ってないかと思ったけど、そういうことはない。
当たり前か。
上げた目線の先にあるのはただ、波だけ。
子供の頃こんな感じのお弁当を持って、父さんに大井にある施設へ連れて行ってもらったことあったな……
「ニュート、大井競馬場って今どこにあるのかな」
『お前がいま見ているあたりだな。そこらを埋め立てて作られる』
そっか。
父さんがたまに行っていた大井競馬場はまだ存在しないのか。イルミネーションもゲームキャラの立て看板もなにも……
大きなおむすびに齧り付いた。
ああ、塩気が強いな、でも今はその方がいいや。
「うん、美味しいね……」
「よかったです!」
そのまま無言で食べ続ける。
清華と景貴も食べ、ニュートも僕の膝で団子みたいな猫ご飯。
食べ終わった頃、フードに戻ってきたニュートを景貴が撫でた。割と強めに。
何だ?
しばらくしてニュートが指を払う。
『分かったと言っておいてくれ、瑛音』
「??」
『未来のことで瑛音が落ち込んでいるときに慰めるのは、オレの役目――だ、そうだ』
「ああ……大丈夫。ありがとう、景貴。ニュートも、清華も」
駄目だな、さっきのあの子の言葉が残ってる感じだ。
お父さんって。
でも感傷は死に神になりかねない。
敵は旧支配者だ、アクションボタンを連打してれば勝てるようなシロモノじゃない!
景貴と清華も食べ終わり、しばらく雑談する。
未来については聞いてこない。
それがタイムトラベラーを迎えるにあたって結社が定めたルールであり、双子は厳密に守る。
「――今回の件で、結社が何か追加で掴んでたりする?」
「はい、瑛音さま!」
水を向けると、双子がスラスラ話し出した。
調べたのは結社なのだろうが、あの家にいた短時間で資料を読み込んだのは双子たちの能力だ。
「バーは洋酒の輸入業とバーマスターを兼任していた井手上という男がやっておりました。家族構成は妻、娘の三人です」
その娘が遙さんか。
ご両親二人は行方不明となっているらしい。
娘があの状況なら、きっと――
「輸入業は途中まで順調だったようです。ですが米国の禁酒法でつまずき、胡散臭い奴につけ込まれたようですね。その後は密輸にも関わっておりました」
「こちらが
景貴がポケットから白黒の物理写真を取り出した。
病室と刑務所を足したような部屋の中で、ガチの拘束服を着せられた長身の青年が写っている。
例の白スーツの男か。大分若いみたいだけど。
「名はオリバー・カースティアズ、英国人です。英国本部から手配が回っています」
「何したの?」
「直接的には四名の殺害……いえ、死んではいないのですが」
双子の歯切れが悪い。
なんかあったな。
「説明お願い」
「カースティアズはブリチェスター大学在籍中に失踪、数年後に発見されて収容されたマーシーヒル病院にて職員や入院患者を相手に――瑛音さま、これを」
清華も物理写真を何枚か取り出した。
写っていたのは綺麗な木箱だ。割と大きいのから始まり、徐々に小さくなっている。
最後に中身が……うええ、モツだ。
内部は結構複雑な造りで、脳味噌を初めとする贓物が
「この箱は?」
「写っているのは人です。無くても死なない部分を徹底的に削ぎ落とし、『匣』として生かし続けるような施術を行っています」
「なんだそれ。ミ=ゴの缶?」
「匣の素材は未知の木材です。脳缶の材料である《トゥク=ル》やノーラン・デュバリ氏液は使われておりません」
「事件は四人目にて発覚。カースティアズは警察の追跡を逃れて国外へ逃亡し、上海租界にてイーフレイムと極秘に接触したのではと言われています。その後は犯罪などに関わっていたようですね」
景貴が次の物理写真を取り出した。
海外航路の船から下りる大勢の客から、二名が拡大プリントされている。僅かに歳を取ったカースティアズが日本人っぽい男性と親しく談笑している写真だ。
「この日本人が井手上さんかな」
「はい」
「この人がどうなったかは……あのバーへ行って確かめよう。ついでにカースティアズが今どこに居るかもね」
セブンのエンジンをかける。
冬の空は既に暗く、ヘッドライトの光が闇に眩しい。
トライアンフとともに走り出した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます