Scene-03 バー・ポワリー

 バーの二階は、簡易宿泊所になっているようだ。

 室内では翠の炎が荒れ狂ってる。


 ベッドは血だらけ――もちろん、女の子の血で!

 カエルを引っくり返したような恰好で縛られていた女の子は、全身が責め抜かれていた。

 レイプより加虐が主眼だったのは明らかだ。

 良かった――わけが、あるかー!!


 こっちが飛び込んできたので、白スーツの男が警戒しながら立ち上がった。手にはさっき幻視で視た手帳が握られている。

 ニュートが僕の方から乗り出し、目を細めた。


『確かにアレはブラックブックではない、装丁が立派なだけの手帳だ』

「りょ……」

「……」


 白スーツの男が不審げにこちらを覗き込む。

 妙な違和感があった。

 何て言えばいいか分からないけど、とにかく違和感としか言い様がない感覚がすごい。

 こっちの足が止まるくらいに!

 白スーツはこっちを見ると、不思議な顔をした。――もしかして、アレ笑顔? 笑ってるつもり??


「魔術結社のお人かと思いましたが……これはこれは、お懐かしゅうございます」

「だ、誰だお前……」

「――イーフレイム様こそ、何をなさっておられるのです? というか、死にませんでした?」


 はあ!?

 何を……って、ああ!


 そういやそうだ。

 自分は魔王の身体に転生したんだから、顔がそっくりなんだ。

 というか、その物だ。


 と、いうことは――こいつ、イーフレイムの知り合いだ!

 結社とイーフレイム・エフォーを知ってて、麻薬を使うっぽい奴……さては事件の元凶はこいつだな。

 白スーツは一人で何か合点している。


「そうですか……そういう……形見分けで頂いたモノは返しませんよ!」


 そういって白スーツはズボンのファスナーを降ろす。

 ――は? へ?


「……??」

『奴のズボンから覗いてる女物のパンツが、イーフレイムの物ということではないか?』

「いらんわー!」

「ああ、こうしての女を相手にしようと頑張ってみたのですが、なかなか上手く行きません。やはり女性で興味を持てるのは貴方だけでございます」


 み、みみみ、見せるなー!!

 ちょっと目線を外す。


 こいつ、ちゃんと会話しろと……いやまて、なんだって?

 特別製ってなんだ。

 それを確認する前に、男がエア薔薇投げを――じゃ、ない!?

 何か白い粉を!


『――瑛音、吸うな!』

「りょ!」


 心の中で、殺人への禁忌が全速力で脇に避けてくれる。


 躊躇なく対神話弾を叩き込んだ。

 念のため二発!

 魔術師相手なら容赦なしだ。

 銃声とともに放たれた弾は二発とも白スーツの腹に命中し、翠の爆発が男を後ろへ吹き飛ばす。


 服の下から現れたのは――木製の甲冑か!? いや、コルセットかも?

 とにかく地肌じゃない。


「あっ――ああ、あああっ!!」


 突然ベッドで女の子が絶叫した。

 白スーツもしまった! という顔をしている。


 何が――そう思った瞬間、白スーツの手から吹っ飛んだ手帳が床に落ちた。

 あの手帳、対神話弾に反応してる!?


「ちい!」


 白スーツが手帳に手を伸ばす。

 こっちも!

 取り合いになるけど、こっちの方が早いし近い――って、先に取られた!?

 まかさ!


 白スーツはそのまま廊下へ飛び出す。

 まずい、体勢を立て直される。

 手帳は諦め、代わりに残された女の子をガッシと掴み……ええい、二階から飛び降りるしかないか。


「景貴、清華、いまそっちに行く! この子を連れて全力で逃げてー!」


 落下しつつ叫び、女の子を抱いたまま着地――


 ズガン!

 ぎゃあああああーっ!


 脳天と足に着地の衝撃が響く。二人分の!


 この衝撃、転生したチート能力者でもキツイ……ミスった、ローリングでもすればよかった。

 あと、何だ!?

 チクタク感覚がまた変になって……


 チク   タク チク――


 痺れる足で何とか景貴に女の子を渡し、代わりに銃を構えて振り返る。


 ズキン!


 痛みで一瞬動きが止まった。

 白スーツの男は二階の壁に半ば隠れながら、マネキンみたいな指をこちらに向けている。

 不味いっ!


『瑛音、神話の気配がするぞ!?』

「りょ!」


 ウェブリー・リボルバー・マークⅥを構える。

 対神話弾はまだ二発残ってて――


 ズキン!


 いいっ!?

 軸足にまた激痛が走り、膝からガクリと力が抜けた。

 そのまま地面に倒れ込む。

 不味い、転んだ!

 立ち上がろうとした瞬間、唐突に視界がグニャリと歪み始める。


「ぐ……!?」


 高揚と興奮、それに反するような陰鬱と呵責が同時に襲ってきた。

 万能感と無力感。歓喜、悲憤も。

 メチャクチャな感情が胸と腹と頭からわき上がって――これは神話っていうか、魔術だ。

 錯乱を誘発する奴!


「はーっははは、何の副作用もなし! やはりコレは使えますねえ!」


 哄笑が響いてくる。

 不味い、早く正気に戻らないと……


 頭を振って意識を覚醒させる――そのほんの一瞬に、激しい衝撃を喰らって地面に打ち倒された!

 白スーツの顔がドアップで迫る。


 こいつ、僕を追って二階から飛び降りたのか!?

 銃を持つ右腕と腹に激痛が走った。

 骨が……逝ったかも!

 代わりに左手で必死にプラトーを……ああ駄目だ、間に合わな――


 チク タク チクタク チクタクチクタク――


 まにあ……わ、な、あれ?

 なんだコレ。


 気付くと僕は空中にいた。

 下には……

 げげ、物凄い間抜けな顔で白スーツにのしかかられている自分がいる!


 訝しながらもちょっと意識を集中すると、ほんの少しだけ《時》を遡った。

 これ……もしかして《精神投影》の発展系か!?

 投影を簡単に言えば幽体離脱の凄いのだ。

 これまでも投影っぽいモノはできたけど、やってる最中に状況を知ることはできなかった――


「そっか、投影中でも自由に視えて動けることが、新しいチクタク感覚の正体なんだ!」


 視界を変えられる程度は単なるオマケなんだろう。

 でも、これで何をどうすれば……と考えて、はたと気付いた。

 眼下の現実世界では時間が遡ってる。

 ここで肉体に戻れば――タイムリープになるのでは!?


 普通は死んだタイミングとかで時を遡るのが普通だけど、僕は《精神投影》すれば自由に過去へ戻れるってことか。

 これ凄いチート能力だ、もう無敵じゃないか!



 チクタクチクタクチク――


 ――うん、そんな訳ないな。

 激しくザワつくチクタク感覚が、ハイリスク・ミッドリターンくらいのバランスであることを主張してくる。

 きっと何かある、騙されないもんねー!


 とにかく一度身体に戻ろう。

 でも今は不味いから、もうちょっと前まで遡ってからにしよう。


 精神を集中するとセカイが逆回しに再生される。

 ついでに白スーツの正体を見てやる。

 なにしろ視点は自由だから、もっとずっとよく――



 チクタクチクタク チクタク チク タク――


 ありゃ?

 不味い、なんか視界が変になってくる。

 まるでモザイクがかかったように解像度が落ち、カドが強調されたブロックみたいになってくる。


 し、視界のピントが合わない。

 駄目だ、これじゃいつもより遥かに早く投影に限界がくる。戻るための準備をする余裕は無さそうで――ああっ!




 チク タク チク タク チク タク







 芸術品のように陳列されていた少女をガッシと掴み、


 ここかー!

 とんでもない早さで地面が迫ってくる――ので、女の子を掴んだ手を離した。


 同時にぐっと手足を引き込むと、足先ちょんで接地。

 即座にそこからローリング開始!


 空中の女の子を引っ掴みなおすと、背をネジ丸めて脛の横から尻の丸みに沿い、さらに背中、肩の順にぐるりと廻ってローリング着地していく。

 そうやって落下の衝撃分散!

 女の子は地面に触れさせないよう気を配る。もちろんニュートの保護も忘れない。


 ――でも痛いものは痛い!

 大正時代さーん、はやく道路の舗装してー

 砂利がですねー!


 ゴロゴロと派手に転がってから、ローリングの終点で立ち上がる。

 抱え直してて女の子の無事を確かめつつ涙目でウェブリーを引っこ抜くと、神話弾を二階へぶっ放す!

 翠の爆発が起こった。


「景貴、清華、この子を連れて逃げて!」


 駆け寄ってきた景貴に女の子を渡すと、即座に清華がバイクのシートに飛び乗ってスロットル全開。

 裸の女の子を肩に乗せた景貴が飛び移り、トライアンフは盛大にウィリーしながらすっ飛んでいった。


 さて、決戦と行こうか――


 流れるような動作でプラトーを引き抜いた。

 よしっ、完璧!

 さあどこからでも写せ、イース人!!

 なんならスカートの中を撮られても大丈夫だぞ、今日は気合い入れた奴で!


 翠の火の粉が舞う二階からは、怪しげな白スーツ男がこちらを見下ろして――ない。

 あれ? ど、どこ行きやがりましたか?


『何がなんだか分からないが……瑛音、奴なら逃げたぞ?』

「えええー、さっきと違うじゃん!」

『??』


 ああああ、《時》を遡ったせいで歴史を改変しちゃったのか!

 やっても絶対有利になるとは限らない……そりゃ、そっか。


『瑛音、そろそろ格好いいポーズは解除してもいいと思うが』

「そですね……」

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