Scene-02 三業地にて

 関東大震災から一年が過ぎていた日本では、各地で復興が進んでいる。

 ここ品川もそんな地方の一つだ。


「ぐぬぬぬ……」


 お座敷、料亭がひしめく三業地と呼ばれる和風繁華街の端っこで、洋も混じり始めるエリア。

 そんな活気ある街をフラフラと進む。歩みは遅い。

 後ろからは英国製のバイクを手押しする景貴と、てくてくと歩いてくる清華も着いてくる。

 二人ともハラハラし通しだ。


 チク タク チク タク チク タク


 僕は品川の裏路地を《幻視》しながら歩いていた。

 そう幻視しながらだ!

 これまで幻視中は動けなかった。

 でも風呂での《接触》以来、劇的に――という程でも無いけど、幻視が進化したらしい。

 これがレベルアップなのだろう。あるいはその一つか。

 相変わらず色や音はないけど、首を傾けたり実際に歩けば視点を動かせる。動かせるんだけど……これがキツいっ!


『VR酔いか……キツイよな、うむ』


 フードで黒猫のニュートがうんうんと頷く。

 そう、まさにそれだ。

 お陰で……うう、吐きそう。


「瑛音さま、明日にいたしませんか。もう暗くなって参りましたし、お身体にも触ります」

「お足元に気をつけて下さい、いまライトを点けますので」


 前から清華が声をかけてくる。後ろでは景貴がバイクのライトを点けた。

 ああ、現実ではそんな時間が立ってたのか。


「新しいチクタク感覚に慣れたいから……も少し、頑張る……うぷ」


 チクタク感覚。

 幻視とかで《時》を遡るとき『チクタク』と聞こえるから僕が勝手に名付けている。

 いま幻視で追っている相手は二人いた。

 だから何度も振り返る必要があって……く、くるしい……!


 一度、幻視を切った。

 景貴に縋り付いて……って、あら清華か。でもいいや、しばらくゴメン。

 今日の双子は、二人とも男の子の服を着ている。

 抱きつかれた清華は特に気にせず、ぎゅっと抱き返してきた。

 背中もさすってくれ……うん、腰までならギリ許してやる。ぜー、ぜー


「本当に大丈夫ですか、瑛音さま」

「バイクの後ろに乗りますか? 英国のトライアンフっていう、頑丈なバイクですよ」


 バイクを押してる景貴が胸を張るけど、両足がちゃんと付かないことは知っている。

 大正時代はバイクに免許が要らなかったんだよね。ヘルメットの着用義務もないし。


「大丈夫。景貴、清華。じゃあ続きを……」


 アチコチ柔らかい清華の身体から手を離し、息を整える。よし!

 立ち上がって《幻視》を再開した。

 見えてきた二人は――まず、女の子。


 年頃は景貴、清華と同じくらいかな。

 服は麻袋みたいなボロ服で、月明かりの中を錯乱したように走ってる。

 癖っ毛の垂れ目で、子供にしては美人でスタイルがいい。

 美しく可能性もあるけど。何しろ結社の網に引っかかる事件だ。


 今回の事件は麻薬が絡んでいる。

 表のサブカル界隈で、新種の幻視ドラッグの噂が立ってるのだ。

 幻視と名は付いてるけど、もちろんそんな効果はないことは結社が確かめている。幻覚作用のある麻薬だ。

 なので別に僕が出張る必要もないんだけど……安くて質がいいらしく、結社メンバーにも手を出す連中が出始めている。

 特に幻視ができるという噂が効いてるとか何とか。

 まー、幻視できる人間が結社の中にいるからねー、もしかしてと思っちゃうのも仕方ないよねー

 なので、僕を含む特捜メンバーが動いたわけだけど。


 調査の結果、浮上したのが新興の人身売買組織で、それが麻薬にも手を出したらしい。

 見つければ後の調査は容易い。

 幻視ファンタズマリコールで丸裸にしてやり、さらに組織の密輸船から自力で逃れたらしい女の子まで見つけ、こうして後を追っている。

 船で何かトラブルがあったらしい。

 少女は冬夜の東京湾を泳ぎ切って品川の海岸から上陸し、夜の街をここまで走ってきていた。

 地元の人かも知れない。


 子供を売り買いする例があるかというと……まあ、あるわけで。

 なにしろ野麦峠や蟹工船の時代だし!

 あと合法の売春もある。

 男女どっちにも需要があって、少年が中年女に性的な意味で飼われてる例があったりも……

 まあ、それはそれとして!


「結社の裏切り者って線はあるのかな?」

『むしろイーフレイムの残党だろう。結社に隠れて独自に人を集めたり、やりたい放題だったそうだ』

「なるほど、その残党がまだいるのか」


 次にもう一人を視る……ぐりんと視界を動かした。

 場所は屋根の上だから安定しない……ぐぐぐ。

 見えてきたのは、リゾートにでも行くような洒落た白スーツを着た男だ。

 黒髪のロングオールバック。

 悪気に満ちた嘲笑を浮かべた……英国のインテリヤクザ?


 男は意外と身軽で、みっちりした平屋の上を器用に走り、飛び跳ね、少女を追っている。

 身体能力が高いな。

 でも魔術の感じは希薄なので《幻視》を覗き返される可能性は低い――と、いいんだけど。


「ぐぐ……もうちょっと、がんばる」

「はい、瑛音さま!」

「応援しております、瑛音さま」


 双子の声援を受けつつ屋根の上と道路を交互に見ながら進む。

 この辺りの裏路地は街灯もないから、月明かりだけだ。暗いと酔いが倍加する気がする。

 ぐぐぐ……

 吐き気に耐えつつ幻視を続けた。

 女の子は狭い路地をグルグルと巡り、やがて四角い石造りの二階建ての前で止まった。

 他は平屋なのでちょっと目立つ。


「建物は……『バー・ボワリー』って看板があるね」

『現在側にもあるな』


 酒場か。でもとっくにお店を畳んでしまっているらしい。

 女の子はしばらくお店を見つめた後、自分に何かを言い聞かせるような表情で頷いた。それも何度も。


 正面の扉に手を掛けるが、当然閉まっている。

 しばらくガチャガチャとやった後、何かを考えるような仕草。

 それから思いついたように裏へ回った。

 裏口脇の壁に吊られた看板を撫で――その一部をパコっと開け、中から鍵を取り出した。

 あれ、この家の子?


 女の子は鍵を取り出すと、それを抱き締めて泣き出した。

 しばらくして、すごい警戒してキョドりつつ、そっと店の中へ入った。

 ただし上側はまったく見ていない。

 当然のことながら、未来も――


 屋根の白スーツは不動だ。

 幻視で時間をざっと飛ばす……ぐぐ、重い! もっさりー!!

 情報量が増えたせいかな。

 しょうがない、先に女の子を見よう。


 止まった過去の時間を実際にそこにいるかのように見ていく。

 新しい幻視は停止させた時間を細かく探索するのに向いていた。まるで自分がそこに立ってるように調査できる。


「これはこれで便利だな。モード切り替えできればいいんだけど」


 中は廃墟だ。

 女の子は暗い室内をあちこち歩き回っている。

 特に目的はなさそうで……ん?


『どうした』

「ちょっと待って……と、これは……隠し床下収納?」


 なんでバーにそんなのが。


「ニュート、バーに隠し金庫がある可能性ある?」

『バーマスターと客層次第だが、保管庫程度はあるかもな」

「ふむ……?」


 開けられた形跡がないので、おそらく廃墟になる前からそのままなんだろう。

 女の子は価値のありそうなものには目もくれず、油紙に包まれた……黒革の手帳かな?

 そんなのを取り出した。


 もうちょっと時間を飛ばす……ぐぐ、もっさり。

 でも、なんとか……うわっ、時間が大分すっとんだ!!

 新しいのは流し見るに向いてないなー


『どうした?』

「ああ、途中経過が分からないけど白スーツが登場。女の子は……麻薬を使われたかも」


 女の子は床に倒れ、乱れた恰好でヒクヒクと痙攣している。

 み、妙に色っぽいな。

 綺麗な顔には、絶望と恍惚が入り混じった表情が浮かんでいた。


 ――ああ、薬のせいか。

 可哀想だけ思うけど、これは過去の事実なのでどうにもできない。


 白スーツは女の子に時々何かを嗅がせながら、尋問しているようだ。

 女の子が持っていた本は、白スーツが奪っている。


『状況はどんなだ?』

「白スーツが麻薬で女の子を尋問して、隠し金庫の『本』を手に入れた」

『まさかブラックブックか!?』

「ううん……違うっぽい。超高級な手帳って感じ?」


 革表紙の立派な手帳だ。

 バーの持ち主はどうしてこんなのを隠そうと思ったんだろう?

 考えていると、白スーツがパラパラとメモ帳をめくった。


 ――ん?


 幻視越しにピリっとした感触を受けた!

 一瞬白スーツに幻視に気付かれたかと思ったけど、そうではないようだ。

 手帳がなんか反応した?

 過去の白スーツは満足そうに笑いながら本をポケットにしまうと、精神の自由を奪われた女の子を連れて二階へ――


 うーん、見たくない。

 でも魔術結社のメンバーとして、イース人のエージェントとして、見ないわけにもいかないかなあ……はあ。

 見てろよ白スーツ、会うことがあったら一発撃ち込んでやる。


「景貴、清華、ちょっと上を見てくる」

「はい、瑛音さま!」


 景貴と清華に一声かけると、一度幻視を切ってひょいひょいと隣の空き家の屋上へ飛び上がった。

 双子はバイクに戻ったようだ。

 酒場の二階は分厚いカーテンが降りて――あれ?


『どうした』

「チクタク感覚が元に戻った。いつもの感じ」


 なんだろう?

 不思議に思いつつ、まずは全体的な流れをざっと確認。


 チク タク チク タク チク タク


 解像度は低いけどリアクションはずっとマシだ。

 流れをざーっと追うには、やっぱりこっちの方がいいなあ。

 できれば使い分けできるとい……あ!?


「景貴、エンジンかけて待機! 清華は念のため銃を用意して。ニュート、行くよ!!」

『いいが、どうした!?』

「白スーツの男が外へ出てない、まだ中にいる!」


 即!

 ホルスターから引き抜いたウェブリー・リボルバー・マークⅥを窓ガラスへ向けると、対神話弾を叩き込む!

 勿体ないとか言ってる場合じゃない。

 AIが描いたバグエロ絵みたいな行為をされてる可能性もあるのに、黙ってられるかー!


 翠の爆発が起こる。

 その中へ、全力で飛び込んだ。

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