第三話:イースの大いなる……

Scene-01 箱根の魔術結社

「はあ……」


 深く吐いた息が、白い湯気に混じり合って消えていく。

 ああ、広いお風呂が気持ちいい……

 風呂は円形スタイルの石造り大浴場で、ローマ風の意匠が施されている。

 明かりは白熱灯のみで、湯気と影が凄い。


「んん……!」


 石柱の一つに背を預けて伸びをする。

 お風呂って入るまでは面倒なんだけど入ったら入ったでついつい長湯しちゃうな。


「プラトーとウェブリーがないのは不安だけど……まあ、いいか」


 ここは箱根だ。

 明治時代から開発が始まった日本のリゾート地で、結社の拠点もある。こんな立派な温泉付き。


 僕が今回ここへ来た理由は単純だ。

 温泉で疲れを癒そうとそうというのと……ぶっちゃけるとー、調子が悪いから。

 何やっても裏目にでるんだもの!

 コブは作るし、事故るし、下着で戦う羽目になるし、挙げ句に汚れまくった。

 こういうときは引っくり返って寝てしまえ――そんなニュートの言葉に従って、ここへ来たワケだ。


 運良く、人も少なかった。

 いるのはガチの療養者さんたちだけなので遠慮なく温泉を楽しんでいる。

 もちろん相棒の黒猫ニュートも一緒だ。

 お風呂に直接入れるワケには行かないので木の桶で一度洗ったあと、その桶に入って貰った。

 居心地は悪くないらしく、満足そうに寝ている。


 満足なのは僕もだ。はあ……癒される。

 そう考えた瞬間、脱衣所からドタバタ音が響いてくる。そしてガラッと風呂の引き戸が開いた。

 美少女顔の美少年と、普通の美少女が並んで風呂に入ってきた。秘密結社幹部の孫、景貴と清華の双子だ。

 ああ、学校終わってから飛んできたのか。


「瑛音さま!」

「僕らも来ました」


 裸のまま二人がこっちに来る。

 景貴は長い黒髪の美少女顔だけど、胸筋や腹筋は少年らしい。

 そっくりな清華は普通の美少女体型だ。

 でも胸が微妙なお年頃的に少し膨らんでて――ああ、そう言えばもうブラしてたか。

 カップはないけどね、まだ発明されてないから。


「景貴はいいけど……清華、ここ男湯だよ?」

「誰もおりませんでしたし」


 笑って答える。

 ううん……大正の今はジブリ二作目の三十年くらい前の時代だし、子供はあまり煩くないのかな。

 まあ、いいか。

 そんなコトを考えていると、景貴が風呂の縁を跨ぐ。

 事案……いや、同性だからギリ?


「一緒に入りますねー」

「お兄様、かけ湯を忘れております!」


 タオルで手早く髪をまとめた清華が、お風呂の縁で腰を落とした――

 ぎゃああ、こっちは事案!

 僕の胸中の悲鳴を無視し、清華が足先から上品に桶で汲んだお湯をかけていく。シャワーのない時代のシャワーだ。

 景貴は肩からざぶざぶと被る。

 お湯が飛んだ清華が景貴をジト目で見るけど……うん、二人とも先に前を隠して。

 後ろ向きになって背中で語る。きっと通じてないけど。


 先にかけ湯を終え、風呂に入った景貴の肩を清華が再びガシっと捕まえた。

 そんな気配がして向き直る。


「何度もなんだ」

「お兄様、髪をお風呂に浸けるなんて汚いです」

「男湯なんてこんなもんだよ」

「公共のマナーを守るべきです。それに瑛音さまに対して失礼ではないすか!」

「――景貴、せっかく綺麗な君の髪が汚れるのは気になるから、まとめちゃって」


 ちょいちょいと自分の髪を指した。

 軽くまとめてある。

 ターバンの清華と違って、巻き込むようにくるっと捻ってるだけだけど。

 景貴も納得したらしく大股を開いて風呂の縁に座った。流石にコレはじーあーんっ! 男でもだー!


 どうなってるか、大正時代は!

 景貴、清華の親類には未成年で一児の母になってる人もいるんだから、知識はちゃんとあるだろうに。


 ブツブツ言ってると、風呂に入ってきた双子に挟まれた。

 肩に、肩が触れて――いいか、そのくらいは。


「そういえば瑛音さま?」


 景貴が揺れる水面を見ながら、頭を寄せてくる。

 清華もだ。


「先日のあのお方ですが……地元に立派なお墓があるそうですね。誰も彼もが、誉れと湛えるそうで」

「欧州のウォーメモリアルにも名があるとか」


 何気ない一言に小さく頷いた。

 ――そうか。

 なら後は僕らが黙っていればいい。それで前回の事件はすべて終わりだ。不幸は不幸のままだけど、それでも。


「あと……どうでもいいことですが、痒くて一睡もできない人が二名ほど」

「眠らずに何日持ちますか……」


 双子は悪い笑顔を浮かべるけど、そっちはどうでもいいや。

 ハヤクヨクナルトヨイデスネ、かっこぼうよみ。


「景貴、清華、念のためカナダ軍の方も調査お願い」

「結社が調べておりますが……関係者が野戦病院ごと吹き飛んでおりまして。少々難航しそうだと」

「死者が動いたという目撃証言はあるのですが、関連は不明です」


 やれやれ、日本の事件だけでも手一杯っていうのに。

 前の前の事件で関わったカイロン商会についても、高速船が一隻行方不明になったままだ。

 アラート号だったかな。

 こっちもなーんか、いやーな感じがするんだよね。

 でも《過去》に呼ばれるまでは、待つしか――


 風呂の熱気を吐き出すように、溜息をついた。

 ――その瞬間、周囲の視界から色彩が消え始めた。

 ああ、もう! 今日は忙しいな。


 チク タク チク タク チク タク



「え!?」


 湯気が周囲を覆い隠した。僕以外の何も見えなくなる。

 そのまま静かになった。


 静かで、何もいない……いや、違う。何か!?

 それも何体も。

 湯気の奥に何かのシルエットが浮かび上がってくる。三角……いや円錐か。

 大きさは三メートル程度――ある筈なんだけど、何故か今は妙に小さい。


 頂部からは触手っぽい器官が四本生えている。

 うち二本はハサミ状で、一本は用途不明。最後の一本には目のような器官が二対あった。

 確か、それが顔だ。

 正体は円錐のシルエットを見た時点で分かってる。分からないワケがない!


「お久しぶりです、イースの大いなる種族さんたち」

「――」


 立ち上がってペコリと挨拶すると、返礼なのかボーカロイドのスキャットみたいな声が周囲から響いてくる。

 でも何を言ってるかさっぱり分からない。

 ニュートがいれば通訳して貰えるんだけど……

 幸い僕はイース人を見て発狂したりしない。神性がない旧支配者だし、僕は彼ら・彼女らのエージェントだしね。


「――」

「ええと……すいません、できれば日本語でお願いしたいんですけど」

「れーべる――あーっぷ、オメデト、オメデト=ゴザマス!」


 ああ、日本語を喋る努力はしてくれたみたいだ。

 でもレベルアップぅ?

 何のことかさっぱり分からない。

 そうこうしてるうちに、虚空から二つの流れが生まれた。二重に反転する流れが頭の中に流れ込んで……いてて。

 何か言葉のような物が入り込んで……あてて! ぎゃーっ!!


「ちょ……これ、なんですか……!」


 頭痛を我慢して問い開けると、イース人たちの一団が横一列に並んだ。

 中央の個体がハサミをピンと伸ばすと、妙に間延びした調子外れのスキャットが響き始めた。カントリー?

 それを合図として、一団が右へ、左へと移動し始めた。行って、帰って。時々くるっと廻る。

 その間も間延びした調子外れのリズムが続く。これカントリーじゃないな。連想するのは――


「ハワイアン……なら、これはフラダンス?」


 子供の頃、パンデミック騒ぎが収まった後に連れて行ってもらった宿泊先で見たダンスを思い浮かべないでもない。

 でも、なんで《イースの大いなる種族》がフラダンスを踊るの?

 困惑したままダンスを見つつ、風呂に立ちつくす。


 やがてダンスが終わった……らしい。

 何となく求められてるような気がして、遠慮しつつ拍手した。

 ぱちぱち。

 いいのかな。多分いいと思うんだけど――ああ、どうやら正解だったらしい。

 イース人たちも喜んでいる。


「エージェント、オメデト。シアワセ! シアワセ! シアワセ!」


 イース人も喜んでる……と、思う。

 やがて、来たときと同じく唐突に消えていった。

 今度は皆で手を振りながらだ。


 自分も手を振り返すと、徐々に湯気が常識の範囲にまで晴れていく。

 時が戻り、色と音が復活していく――


「な……なんだった、の、かな?」


 風呂に立ち尽くしたままボーッとしていると、清華と景貴が飛んできた。


「瑛音さま、いかがなさいましたか!?」

「いまお姿が消えて……!」

「ああ……多分、大丈夫だと思う」


 今の、何だったんだろう……?

 首をかしげつつ、一度風呂から出て暖かい場所に置いたニュートの桶を覗き込む。

 中で黒猫がニヤリと笑った。


『《イースの大いなる種族》がお前の成長を労いたいと言って、こっそり練習したそうだ。お前が労ってもらえた記憶と繋がってるダンスを』

「サプライズだったとしたら成功だったよ。驚いたし、労いは嬉しいけど……できれば令和への帰還も考えて欲しいかったな」


がそうだろう。帰還は自力でおいおいに――と、言うわけさ』

「なるほど……それは、ありそうかも」


 雇い主からの配慮があったなら、ちょっと嬉しいかも。

 ただ変化の内容がさっぱり分からない。僕はレベルアップで何を習得したんだろう……ん?

 ぶるっ!

 首を捻っていると、全身に寒気を感じた。

 カチカチと軽く歯まで鳴る。

 さっきまで火照ってたくらいに暖かかったのに、さむい!?


 首をかしげながら、もう一度風呂に入る。

 景貴と清華はこっちの様子をじーっと見てたまま、無言だった。

 二人の横にざぶざぶと戻る。


「景貴、清華、さっき変な感じしなかった?」

「いえ……」


 二人は心ここにあらず、みたいに放心している。

 いや、違う。

 むしろ集中していて――なんだ?

 元の場所に座ると、景貴と清華もさっきと同じ場所に戻ってくる。

 景貴と清華が、火傷しそうなほど熱い溜息を吐いた。


「瑛音さま、本当に男性なのですね……とても、お綺麗です」

「お尻の形も良いですが、胸も少しあるような……」

「「ちょっとだけ触ってもよろしいでしょうか!」」


「そっちかーい! 駄目に決まってるだろうが!!」


 ダブル顔面にデュアルのアイアンクロー。

 上に手を伸ばした清華は百歩譲るにしても、下は! かーげーたーかー!

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