第一話:記憶の祭壇《9》

「ご免ね、ニュート。ご苦労様!」

『慣れてる。それより来るぞ、アレがシャンブラー本体だ』

「この……何が!?」


 シャンブラーが再び不可視になろうとしているようだけど、剣に傷つけられた部分が透明に戻らない。


「無駄だよ、お前はもう消えられない」


 片手だけで剣を構えた。

 世界大戦で生まれたばかりの近代的な軍刀術の構えだ。

 塹壕内での白兵戦や突撃戦を主眼とした歩兵戦術。

 対するシャンブラーは、異形の姿をヒトのカタチに整えようと四苦八苦していた。


『所詮は人間との混じりか。何が起こったかイチイチ考えなければ分からんとは、人としての感覚や常識に囚われすぎだ。中の存在が異形の足を引っ張ってる!』


 ニュートの一喝を受けた怪物が必死にもがくが、徐々に力を失っていく。


「このっ、くそ、一体何が起こって……あがっ!」


 足掻いた挙げ句、床に倒れて這いつくばる。

 そこでシャンブラーは、やっと自分が手酷いダメージを受けたことを理解したらしい。


「私は人を越えたのではなかったのか……!?」

『瑛音、奴の顔が変わりつつある』


 本当だ。

 年寄りから、ずっと若く……ああ、そういうこと?


 怪我を庇いつつ上体を起こすと、何本もの触手を打ち込んでくる。

 軽いステップだけで、すべて躱した。

 さっきは勘で避けるしかなかったけど、今は違う。


「お前の攻撃如き、見えているなら遅れは取らない」


 触手をすべてかいくぐってシャンブラーの胸元に飛び込むと、再び剣を打ち込んだ。

 刃が異形の肉体を切り裂き、シャンブラーの内部から閃光が走る。

 先に呪文でダメージを与えていた箇所からも強い異光が漏れ、融合していた人間の顔が苦痛に歪んだ。


「そ、その《剣》はなんだ!?」

「これはボクの愛剣でね、名は《プラトー》という」


 シャンブラーが、自分に打ち込まれている《剣》をまじまじと見る。

 不思議なフォルムだだろうな。

 人を傷つける道具は、本能や文化、民族的感情に強い影響を受ける筈なのに、この剣にはそんなパトスやエートスを感じない。

 なにしろ、ヒトが作ったものじゃないから!


「はあっ!」


 シャンブラーの肉体を刃の一閃で切り裂くと、不浄の肉体が一瞬だけバラりと崩れた。

 まるで本のように……


『瑛音、ブラックブックだ。此奴はヒトとそうでないモノの境界を本から獲た知識で括っている。あの手術痕こそ《ザーツ・ツァルム》、旧支配者の成れ果てだ!』

「分かった、任せて!」


 大詰めだ!

 奥の手――柄に刻まれた五角形のシンボル《ナコト五角》を、指でなぞる!

 同時にスキャットみたいな呪文を奏でた。

 唄と言うより、声自体を楽器にしたような感じだ。

 呼応するかのように、剣が閃光を放つ!


 これは《イースの大いなる種族》から賜った魔術だ。刃が非物質化し、僕の腕を巻き込んで《時》が停止する。

 普通のヒトなら、この非物質化で全身の時間が凍り付くだろう。


 ――けれど、僕は平気。

 タイムトラベルの経験は伊達じゃない!

 腕が凍り付いたままだから細かい剣裁きはできないけど、今の《剣》に小細工は不要だ。

 絶対時間の刃へ、《イースの大いなる種族》の力を流し込む。


境界よ在れテルミヌス=エスト、《ヴァージ》!」


 一直線の閃光で、シャンブラーごと時空を切り裂いた!

 割れ、砕け、ガラスのように破片が降り注ぎ、最後に本のページが現れた。

 それが彼方と此方の境界を曖昧にしていた物だ。

 そこに境界を作り出したものこそ、僕の愛剣プラトーで――




(貴様は、何者だ……!?)


 小さな声が漏れた――ような、気がする。

 自虐的に呟いた。


「単なる一般人だよ。――生まれたのが百年先ってだけでさ」


 その言葉を理解できただろうか。

 シャンブラーの身体からページがバラバラと散った。散るたびにケミカルな色彩が消え、そっけないリアルへ還ってゆく。

 やがて《宮殿》は消滅し、現実に戻った――の現実に。

 小さなため息が漏れた。


「他に行くところもない、か……」

『……』


 ニュートが慰めるように、柔らかな身体をすり寄せてくる。

 ついでに、僕の怪我の度合いを調べた。

 シャンブラーにやられた怪我は大きかったけど、この身体ならば傷跡が残ったりはしないだろう。


 安心したニュートが鼻をヒクつかせると、元のエントランスホール真ん中で倒れている死体を見つけた。


『瑛音、あれを』

 

 死体は成人男性のもので、部屋着の上にガウンを羽織っている。中は完全に干からびていた。まるでミイラだ。


『天知宗全か。死因は――毒といったところか』

「まさか自殺?」

『さてね? ただ億万長者が一夜にして一文無しとなったのだから、心労は凄かったろう。自殺でも不思議ではない……』


 死体を見て、次にチラリと玄関扉の方を見る。

 そこには――


『旧姓、天知文子』


 開け放たれた扉の向こうには、物凄い目でこちらを睨み付けている文子さんが立っていた。

 記憶の宮殿にいた怪物と同じ目で。

 だけど顔は真っ青――いや、真っ黒というべきか。


 立ってるのがやっとで、それ以上なにかをする体力、精神力もなさそうだ。

 無理もないけどね。

 なにしろ頭の中にあった『宮殿』を破壊されたから。脳の一部を切除されたに等しい。

 さてこれから最後の締めが待ってる訳だけど……ふうと溜息をつく。

 ああ、もう。

 怪物相手だけでも面倒なのに!


「――殺しちゃ駄目」


 釘を刺すと、文子さんの後ろから双子がそっと顔を出した。

 景貴は大振りのトレンチナイフを、清華はモーゼルミリタリー・レッドナインを全身で構えている。

 どうやら様子を見にきていたらしい。

 この二人が来るから、外の人たちが呼ばれたんだな。


「瑛音様、こちらを」


 景貴がそっと近寄ると彼女から鞄を取り上げた。

 ひょこんと降りたニュートが、放り出された女物の大鞄に鼻先を突っ込む。

 ごそごそと中を探り……


『あったぞ、瑛音』


 引っ張り出されたのは、本だ。

 タイトル『デ・ウヱルミス・ミステリヰス』、日本語では『妖蛆の秘密』だ。

 今回の原因となったブラックブックか。

 あと、本と一緒に仲介屋の事務所からなくなってた物が多数――


『つまり、こいつが父親を使役していたのか。正確にはその死体を……』


 父親の皮を被っていたってことね?

 文字通りの意味で!

 文子さんは変わらず無言だけど、こちらを睨み付ける目が答になっている。


『しかしこいつ、よく立っていられるな。頭の中を宮殿ごと吹き飛ばされたのだぞ?』

 

 僕のプラトーもそうだけど、ブラックブックは旧支配者との《接触》の証しだ。

 その分、本などがダメージを喰らうとダイレクトに跳ね返る。

 そのくらい融合するワケだから本を読んだ程度で魔術を使えるようになるわけなんだけどさ。

 ――それはさておき、最後はどう締めたものか。


「うーん……」


 剣は選択肢から外した。勿体ない。

 なら銃かな?

 ちょうど通常弾が一発残っている。

 

 こちらを睨む少女と、本を交互に見て――バン!

 トリガーを引き絞ると本が弾け飛んだ。


「なっ……!?」

「お任せを」


 予想していたらしい景貴が懐から小瓶を取り出し、中身を本にふりかけた。

 オイルか、用意いいね。

 そのまま魔法マッチライターで無慈悲に火を放つ。


「ああっ!?」


 文子さんが断末魔みたいな悲鳴を上げて縋り付こうとしたけど、清華が銃で止める。

 本は瞬く間に燃えあがり、生きているようにバタバタと喘いだ。

 彼女が心底口惜しそうに顔を歪ませる間にも本は焼け、溶け、拗けていき――最後には塵芥と成って完全に消えた。


 文子さんがガクリと膝を突く。

 悲劇のヒロイン――と呼ぶには、目付きが悪すぎるな。


『億万長者が一夜にして一文無しとなったのだから、心労は凄かったろう。気持ちは分かんでもない。だが、我らの《依頼人イース》を敵に回したのは不味かったな!』

「ゴメンね、これが僕の仕事だから。の専門探偵の」


 カチン。パチ パチ パチ――カチン。


「殺せ……」


 物凄い顔でこっちを睨んだ――文子さんの腕を、弾込め直したウェブリーで無造作に撃ち抜いた。


「ぎゃああ!」


 顔が驚愕に歪む。

 なんだ、本当に撃たれると思って無かったの?


「今のは僕の腕の分」


 ちょい、ちょいと腕を見せてやる。

 もう治りかかってるから、与えた怪我は皮膚一枚くらい。

 それでも血は結構出てる。


 って、なんだ文子さんの腕に怪我ある?

 ――ああ、歌舞伎町の夜のか! 

 ウェブリーで彼女の額を狙いなおすと、媚びた笑顔が張り付く。こっちが普通に撃つと理解したらしい。


「あの……私は、何にも知らなくて……」

「その知らない振りを一生続けることができるなら、見逃してあげる。あなたは変な本を見つけてもいない。お父さんの死霊を実体化させたりもしていない。僕とも会わなかった。仮に警察が来ても黙秘――できる?」

「……」


 媚びようとしていた目が、狂気すら塗りつぶす憎悪に色変わりする。

 しばらくこっちを睨んで……最後に小さく頷いた。


 深淵を覗いて尚、死ねず狂えず……か。

 僕と同じなら可哀想に。

 この人は長く……とてもとても長く、苦しむだろうな。



『――いいのか、瑛音。彼奴は金目の物を盗んでいる以上、それなりの犯罪には関わってる筈だが?』

「本は処分したし、今回の依頼は終わりでいいんじゃないかな。清華……狙っちゃ駄目だって。景貴も暗殺の手配とかしないようにね」


 釘を刺すと、双子がぶーっと膨れながら武器を仕舞う。

 景貴がベタっと寄り添ってきた。

 慌てて清華もボクの背中にペッタリ。

 近い、重い。


「よろしいのですか、瑛音様。過去を掘れば色々と出てきそうではありますけど……」

「そうですわ、結婚だって内情はどのようなものか!」

「黙ってろとは言ったけど、庇ってやるとは言ってない。警察には好きにしてもらって。彼女は僕たちを知らないんだから無関係の他人」


 双子に理解の光が広がった。


「ああ……沈黙の誓いを守る限りは……ですね? ご手配いたします、瑛音様!」

「癲狂院の特別室をリザーブしておきます。特に暗くて深いところにある奴を――」

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