第一話:記憶の祭壇《6》

 再び、黒霧に包まれた屋敷内を彷徨う。

 一階へ降りてホールから食堂へ入り、そこからキッチンへ入った。

 木と石、水道と陶器タイルのシンクがある。

 大正だから冷蔵庫はないけど、やたらゴッツいガスレンジはあった。

 あとは煙突のついた石炭か何かのオーブン。


 薪や木炭がメインの燃料だったのは江戸時代までの話で、明治を経て大正となった今はとっくに石炭、石油、ガスに取って変わられている。

 もちろんそれは都市部の話で、地方だと某ジブリのアニメみたいな状況になるようだけど……


 そんなことを考えていると、ニュートが部屋の隅へ視線を飛ばした。

 猫がよくやるカド凝視。


『かかか、キッチンは記憶の薄い場所だったらしいな。孔を見つけたぞ――』


 黄金の猫目が、と虚空の《カド》に向けられる。


『瑛音、裏側へ潜り込める点を見つけたぞ……くく、カドを経由して《境界》を操るのは、犬だけの特権ではないわ!』


 ニュートの先導で扉をくぐってゆく。

 ダイニングから廊下へ、さらに広間……と、次々に扉を抜けてゆく。

 二つ、三つ、四つ――


 確かに大きな屋敷だけど、それにしても部屋数が明らかに多い。

 引き返したりぐるぐる巡ったりしてない筈なのに、同じような部屋を何度も通る。

 自信に満ちた黒猫の歩みとは裏腹に、屋敷を多う霧と影が生み出す不定の違和感がどんどん大きくなってきた。


 ふっ――と、霧に包まれた視界の端に、何か巨大な影が踊った。


「!?」


 慌てて見直すけど、ただの小さな影に過ぎなかった。

 柱と壁に産まれる角度が生み出した影。

 だが、さっきはまるで――

 無意識に銃のグリップを探していると、扉で振り返ったニュートがそっと呟いた。


『立ち止まるな、最初からやり直しになるぞ』

「りょ……」


 慌ててニュートの黒い背を追う。

 そうして部屋を越えていくと、一度濃い霧に突っ込んだ。

 まるで煙だコレ……けほ。

 煙に巻かれそうになっていると、ニュートが飛んできてスカートの端を噛んでくれた。


『……』


 こっちを見つめる目に、こくと頷き返す。

 そうして、ゆっくりと埃霧の回廊を進んで行くと――唐突に広い空間に出た。




「わー……何だコレ。騙し絵?」

『ここが『宮殿』だ。誰かの記憶の中と言う訳だ』


 広いと言うと語弊があるかも知れない。

 本来は音楽室兼、ダンスホールなのだろうけど、内側へ何重にも折り畳まれているみたいな。

 まさに無限を閉じ込めた有限だ。


 他の部屋との繋がりにも整合性がなく、三次元では建築不可能な部屋が堂々と存在している。

 繋がり損ねている隙間には何もない。

 ただの虚空だけが、どこまでも繋がっている――


「ここは……ぐっ!?」


 悪臭が漂ってきて、鼻を押さえる。

 霧に腐臭が混じり始めていた。


「死臭かな、これ……」

『ここはヒトの記憶が変異したものだ。そこに死の臭いがするのならば――実際に何人か殺してるな』


「――そこにいるのは誰だ!」


 なんだ!?

 慌てて振り向くと、三次元を二次元みたいに折り畳んで作った塔の上に人影が現れていた。


『あれは天知宗全……か?』

「やっぱり写真と全然違うね」


 部屋着にガウンを羽織っただけなので、全身がミイラみたい痩せこけているのがハッキリ分かった。

 死後三日と言われても信じられそうだ。

 その中で、落ちくぼんだ目だけが爛々と輝いている。


「誰だ貴様は。盗人の類か、それとも娼婦の押し売りか?」


 天知宗全が、手にしていた杖で苛立たしげに床を叩いた。

 それはそれとして娼婦?


『後ろを振り返るな。お前のことだぞ、瑛音』

「あー」


 そういう呼ばれ方は初めてだな。

 子供の外見だよ?

 何となく、女性の発想っぽい気がしないでもない。


「――男だよ」

「なんだと?」


 吐き捨てられたような一言に、妙な声音が混じる。

 はっきりと言い放った。


「僕はオトコだ」


 確かに女の子の服を着てはいるけど、別に性別を隠してるワケじゃない。

 男かと聞かれたら、いつも正直に答えてる。

 あんまり聞かれないけどね。

 こっちをまじまじと見つめていた宗全が、急に高笑いを始めた。


「そうか、貴様がか! ああ、そこまでの美貌ならば男でも構わんとも。目的を果たした後は可愛がってやろう」


 後ろの空間に石造りの部屋が開いた。

 中は――拷問部屋か。

 血脂と怨嗟で塗り固められた拷問器具には、怪しげな魔道文字やヒエログラフがびっしりと書き込まれている。

 ああいうのが頭の中にある奴と!


『まったく動揺してないな、瑛音』

「まーねー。それより証拠は掴めたみたいだから、もう遠慮はなしだ! 行くよ、ニュート」

『おお!』


 ウェブリーを引き抜くと、無造作に人影を打つ!


 銃は世界大戦でも活躍した英軍制式の回転式拳銃だ。

 未来のマグナムとかには叶わないけど、この時代としては威力が高い。


 デタラメな空間に二つの銃声が響き、どっちも人影に命中した。

 なんだけど――何の手応えもない。

 布を打ったように、影がひらと揺らめいただけだ。

 天知が哄笑した。


「馬鹿が!」


 軋んだ声が真後ろで響く。

 ひええ!

 勘だけで身をかわした瞬間、銃を握った側の肩口が大きく弾けた。

 マント、ジャケットごと白繻子のシャツが引き裂かれ、肌が血に塗れる。残ってた布地が何かに強く引っ張られた。

 目には見えないけど、自分のすぐそばに何かがいる!


「この!」


 とっさに空いている手で――剣を抜き放つ!

 大きさは小剣ほど。

 柄まで単一素材の削り出しで作られた不思議な刃が布を切断し、返す刃で肩口の空間を薙ぐ。

 だけど何の手ごたえもない!

 興奮したニュートが、背中の毛を逆立てて威嚇する。


『大丈夫か、瑛音!?」

「何とかね。それより今のが何かわかる?」


 激痛に耐えながら、剣の柄を撫でた。

 そこには五角形の装飾が刻み込まれている。

 いま、コレを使うべきか……


『まだ分からん……さっきの場所にまだ天知宗全が立っているから、調べに行こう』

「りょ!」


 人影は動かず、塔の上からこちらをじっと見つめているままだ。

 ニュートは子猫の体格とは思えない身軽さで壁を駆け上がる。その後を追って、幾何学が崩壊した空間を走りだした。

 後ろから不可視のアギトが何度も襲ってくるが、勘だけで何とか避けきった。

 だが反撃はすべて空を切る。

 刃は虚しく風を斬り、銃弾は空間を素通りするだけだ。


「剣も駄目だし、銃も駄目か。厄介!」


 部屋は記憶の集合体だから、繋がりとか境界もデタラメだ。

 離れたりくっついたりを繰り返す足場を飛び越えつつ、パルクールを駆使して何とかニュートに追いつく。


 ニュートは倒れた人影の匂いを嗅いでいるところだった。

 人影――ではない。よく見れば皮だけだ。

 まるで蛇やトカゲが脱皮した後のように、抜け殻となった人の皮があるだけだ。


「うええ、気持ち悪い」

『これは……文字通りの外面というべきか、一皮むけたということか。どちらにしろ、この迷宮の主は完全に人を辞めたらしい』

「つまり皮を被っていたってことかな――って、うおっと!?」


 前へ飛び込む。

 リアルでローリング回避する日がこようとは!


『猫は猫を被らんぞ。瑛音、それより変異が精神だけに留まっている保証はない。ブラックブックの記憶を探せ!』

「お喋りな猫め、目障りだぞ……」


 え、ニュートの言葉が分かってる!?

 黒猫の周辺に異形の気配が凝縮した。


「ニュート!」


 とっさに割り込み、剣で空間を薙ぐ。

 だけど相変わらず何の手ごたえもない――そう思った瞬間、剣を握る腕に急激な荷重がかかった。


「いたーっ!」


 服ごと肌が裂け、血が霧状に弾ける。

 激しい痛みが走った。

 何かが素肌にかじりつき、僕の血を啜っている!?

 不可視のアギトに腕をねじ上げられ、剣を取り落とした。


「ぐっ……」

『瑛音!』


 瞳を真っ赤に燃やしながら、ニュートが何もない空間に噛みつく。

 今度は手応えがあった!

 小さな牙が虚空に突き刺さると同時に、実像が現れる。

 蛇のようにうねるチューブ状の筋肉塊だった。


 細かい歯がぎっちり並んだ吸盤状の口が腕に張り付き、その血をすすっている――いだだだだ!


「このっ!」


 全力で、見えないアギトを振り払う。

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