第一話:記憶の祭壇《5》

 文子さんはしばらく考えてから、合点して頷いた。

 今のを変わった事件と理解したのだろう。


「綾瀬杜様、父に合わせて頂けませんでしょうか!」


 そう言って深々と頭を下げてくる。

 ま、いいでしょ!


「――お父さんを探してみます」

「お願いいたします」


 彼女を門の外へ出すと、改めて洋館に向き直る。

 装備は軍用リボルバーのウェブリー・リボルバー・マークⅥと《剣》だ。

 まだどっちもホルダーの中。


『瑛音、気をつけろよ』

「りょ!」


 正面扉を開けっぱなしにして洋館へ入る。

 入ったところは、二階まで吹き抜けのエントランスホールだ。

 正面にはアールヌーボー様式に飾られたY字の階段があって、吹き抜けを巡る二階の回廊に繋がっている。

 映画で見た、タイタニック号の大階段みたいだな。


 ――もっとも、立派なのはそこまで。


 調度品はなくカーペットや壁紙はすっかりと剥がされ、立派なんだけど殺風景で寒々としている。

 ホールの真ん中には大きな傷が入っていた。

 天上には引き千切れた金具の跡だけが残っている。


「さっきの誰かが覗いていた窓は、二階の回廊にあるのだね。いまは誰もいないけど……」


 踏み出すと、靴底で砂利をにじったような音が響いた。

 どうやらガラスの破片を踏みつけたらしく、音を聞いたニュートがフードの中で嫌そうな顔をする。


『ここでシャンデリアでも落ちたか?』

「関東大震災かな……危ないからニュートはそこにいてね」


 冬場はマントのフードがニュートの定位置だ。

 会話するため肩に前脚ちょこん。

 可愛いな、まったく!


『しかし先日のアイツは天知だったのか。娘の証言も取れて、調査の手間が省けたが……ん?』


 ギイ……バタン!


「あらま」


 後ろで扉が閉まった。

 ガリガリと歯車がお互いを削るような音が響き、扉の表面が文字のカタチに燃えていく。

 扉から出た黒い煙は屋敷中に広がり、充満していった。

 西イングランドのとある渓谷で稀にかかるという、黒霧みたいに――

 ニュートが嫌そうな顔をする。


『瑛音、いま《カド》を巡ったぞ。ここはもう《神話》の世界だ』

「りょ……ニュート、扉の文字は読める?」

『ああ、古代ギリシャ語だ。ἔνθα μνήμης ἀθανάτου σῆμα πολυχρόνιον』

「ごめん、分からない。令和のフツーの学生にも分かる範囲で和訳お願い」

『我は不滅の記憶と永劫の標である――だとさ』


 ニュートが厳かな口調で歌を奏でた。

 外国の歌かな。


「ニュート、犯罪の線は?」

『女子高生と結婚するために誰かが何かやったと言いたいのなら、ないぞ。良家なら普通に結婚してる』


 いや、そう言うことを聞きたい訳じゃ……え!?


「文子さん、やっぱり高校生なの!?」

『見た目そんなものだったろう。娘を嫁がせられたということは、天知は家の格と財を維持できたと言うことだ』

「家の格ねえ……なら、天知はお金が目的だったのかな?」

『その可能性は十分あるな。調べるぞ、瑛音!』

「りょ! 変わったやつ専門探偵の腕前を見せてあげるよ。推理でなくイースの《魔術》でだけどさ」

『くく、下手な推理よりずっと役に立つさ。例え旧支配者の眷属群であろうとも、お前の《目》は誤魔化せん』


 ふふん……

 とはいえ、物理の調査を疎かにするわけにもいかない。

 まずは調べられるところを全部調べる!

 

 屋敷内には誰もいない――筈なんだけど、何故か人の気配はする。かすかにだけど。

 一階を巡り、次に二階へ。

 空き部屋ばかりなので、どの部屋が何の部屋かはよく分からない。


「定番の日記とかあってもいいと思うんだけどな」

『そんなものがあったら、家族が先に見つけていると思うが。家財道具は洗いざらい処分してるワケだし』


 そりゃそっか。

 何の収穫もないまま、吹き抜けの回廊から階段を降りてホールに戻る。

 ニュートがニヤリと目を細めた。


『次は魔術の調査だ、どこからやる?』

「まずは……ここ、ホールでやってみようか。なーんか怪しいんだよね」


 二階の回廊に立ち、明治モダニズムの残骸みたいなエントランスホールをジッと見つめる。

 やがて――カチリと意識の歯車が入った。

 視界がぼやけて世界が色彩を失っていく。昼と夜とが物凄い速さで、逆しまに巡りはじめた。


 チク タク チク タク チク タク――


 これは《幻視ファンタズマリコール》という。

 イースの魔術である《精神投射》の一種で、精神的タイムトラベルとでも言うか。

 本来のイース人はこれで過去や未来へ精神を転移させ、各時代にいる高等生物の肉体に乗り移る。

 ボクはイース人と違って過去にしか投射できないし、他者への憑依もできないから過去が見えるだけ。

 それも白黒オンリーで解像度も低い――けど、調査には十分!


 何しろどこにでも監視カメラを仕掛けられるに等しい。

 地味だけど、堂々としたチート能力だ。


 最初はついさっきから――

 天知さんと思われる人は虚空から滲み出るように出現し、すぐに消滅した。

 やっぱり居たのか!


「ニュート、普通に《神話》事件だ」

『コレで確定か。瑛音、もっと過去へ遡ってくれ』

「りょ!」


 そのまま、過去へと遡っていく。

 しばらくは誰も見えない。たまに作業員っぽい人が短時間だけ出現するくらい。

 やがて天知さんが見え隠れし出してきた。

 昼夜問わず、ふいに現れては消失を繰り返していく。


「天知さんぽい人が、出現と消失を繰り返してる……」


 幻視で得たヴィジョンをニュートに実況する。

 天知さんが幽霊みたいに消えることができるのは、間違いないようだ。

 ヴィジョンの中で、天知さんは段々健康的になって行った。

 それはつまり……


「消失すればするほどミイラみたいに痩せ細ってく。代わりに苦しまなくなって……」


 消失の間隔は徐々に短くなっていき、今年の夏頃まで遡ると消えることはなくなった。

 その頃から徐々に他の人も現れ始める――


「夏まで遡ったけど、ここまでブラックブックは見当たらない。七月頃に文子さんと、お母さんっぽい人が出て行った。その辺りから家具が戻ってくるね。お金になる物を整理したのかなあ。後は……いた、変な奴!」


 ノイズだらけのヴィジョンの中に、帽子とサングラスで顔を隠した小柄な青年が現れた。

 真夜中かな?

 皮の旅行鞄を持ち、そっとホールを横切って……闇に消えていった。

 こっちをチラっと見たような?


「うえ、変な奴にこっち見られたかも」

『お前の《幻視ファンタズマリコール》にある欠点の一つだな。旧支配者のチカラを持つ者の中には、見られたことに気づく奴もいる。何かあればすぐ幻視を切れよ』

「りょ!」


 幻視を続ける――


 ぐぐ、段々コントロールが難しくなってくる。

 ボタン押しっぱなしで、シーク速度が段々と早くなる動画を見てる感じ。

 押せば押すほど早くなって、つまり時間が過ぎる。


 ――う、飛ばした!

 あああ、数ヶ月分をゴッソリ見逃した。


 僕の幻視は過去への一方通行だから、戻せない。

 もしどうしても見る場合は、最初からやり直さなければならない。

 

 幻視をやりすぎれば《猟犬》に気付かれる可能性も上がる……

 猟犬――ティンダロスの猟犬。

 アンチタイムトラベラーである猟犬は、イース人にも嫌われている。

 ボクが出会えばタダでは済まないだろう――


「うえっ!?」


 唐突に出入りが激しくなった。

 工具、機材、瓦礫?

 そんなのを家に運び込んで、屋敷の中を滅茶苦茶にしていく。

 ホールの真ん中で瓦礫はシャンデリアとなった。


 出入りする人には怪我人も混じっている。文子さんもいたけど、魂が抜けたように呆然としていた。


 お昼頃まで遡るとシャンデリアが激しく揺れながら天井へ登って行く。

 地面、建物が大きく揺れている。

 天井へ埃が昇り、割れたガラスが元へ戻り、雪崩のように崩れ落ちてていた装飾品が次々に立ち上がり――


 ああ……これは、だ。

 なら、そろそろリミットか。

 僕の《幻視》で遡れるのは、ここらあたりが限界になる。

 ここでボクが《転生》したからだ。

 ボクは自分の経験から過去や未来を知覚してるので、存在しない時間軸には精神を飛ばすことができないんだよね……


 幻視のヴィジョンが切れる寸前、言い争う姿が見えた。


「文子さんと、それに……お父さんの天知宗全か。ずいぶん激しく言い争ってるな」


 そこで投影が終わった。後には、何も移らない……


 幻視が終了したせいで張り詰めた空気が裂け、窓がビリビリと震える。

 霧が生きの物ように揺蕩った。

 肩に登ってきたニュートが、ボクの耳元に顔を寄せてくる。


『大丈夫か、瑛音?』

「うー、目が疲れる。本はまだ見つかってない……」


 目元をグシグシ。


『ならば少し休んでいるといい、代わりにオレがやろう。ふふん……《カド》を使えるのが犬だけではないということ、見せてやろう!』


 ニュートがペロリと舌なめずりした。

 猫も《カド》巡ることができる……らしい。犬との違いは、タイムトラベラーを襲ってこないこと。


「大丈夫?」

『瑛音、今回関わってる《旧支配者》はなんだ?』

「ザーツ・ツァルム。知識を介して、人間の記憶という仮想の現実に『宮殿』を建てる」

『そうだ。願望が強く、実現困難なほど『宮殿』は大きく成長し……最後には現実を侵食する。知識という種をバラ巻きながらな』

「そして再び成長していく……僕たちヒトに適合するようにナレハテた《旧支配者》は厄介だよね」


 ナレハテに宇宙その物を侵食するような超パワーはないけど、その分だけ人間に特化してる場合が多い。

 ギリギリ戦えるのが、また嫌らしいというか……


『今回も、既に誰かの頭の中に宮殿が作られたのは間違いない。ならばだ……逆に、こちらから殴り込んでやろうじゃないか。カドを潜り、宮殿その物へ!』

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