第一話:記憶の祭壇《4》
皇居沿いに続く未舗装の道路を、白くて小さなオープンカーで駆ける。
大正時代の日本にはコンクリートやアスファルトの舗装道路はない。
令和もそうだけど、世知辛いなー
アウターの白いフード付きマントが、ぱたぱたと真冬の風にはためいた。
その端から黒猫が顔を出す。
『にゃあ……相変わらず凄かったな、あの兄妹! 瑛音も、自分があの双子の好みド真ん中って自覚持っとけ』
「そう思ったんなら割って入って欲しいなあ。――あとナビよろしく。標識とかがロクにないから、細かい道がさっぱり分からない。それと結社からの資料にも目を通しておいて」
『任せておけ。ここは令和でいう内堀通り。道なりに進み、半蔵門前で左へ曲がって甲州街道へ入れ。手前でもう一度指示する。信号係のお巡りさんを轢くなよ?』
「りょ!」
ニュートがひょいと飛び降り、タイトサイズな後部座席を占領して資料を読み始める。
そのまましばらくドライブを楽しんだ。
新宿駅までは甲州街道を一直線。
道沿いの家々は平屋か二階建てくらいだから空が広い。空き地も多くて、道路の真ん中にはトラムがノロノロと走っている。
やがて新宿駅の前を通りすぎた。
将来は地下鉄丸ノ内線になるトラムを避けつつ、お巡りさんの指示で道を曲がる。
ウィンカーの類は発明されてないので適当に。
左に小田急本店――じゃなくてハルク、でもなくて……えーと、大正では煙草工場だったかな?
とにかく煙を上げてる大工場を通りすぎる。
さらに駅の向かいに広がる淀橋浄水池を抜け、ガスタンクを遠目に見ながら新宿をぐるっと巡っていく。
「牧歌的だなぁ……車もシンプルで原始的な作りだし、劇の中みたい」
ニュートがフードに戻ってくる。
『原始的って……瑛音、お前はいまオースチン7の新車を運転してるんだぞ? 感動が薄くないか!』
「確かに格好いい車だと思うけどさ。現代にあったら怪盗の孫とかが乗ってそう」
『あの怪盗が乗っているのはドイツ車かイタリア車、これはイギリス車だ。ええい、猫手でなければ自分で運転するんだが』
「今度、猫用のハンドル探してみるよ」
『冗談だろうが、本当に探してくれると有り難いね。ああ――次を左。後は道なりに真っ直ぐ。突き当たりにある洋館だ。いいか、道中は絶対にぶつけるなよ!』
「りょ!」
空き地の真ん中を通る道で無造作にステアリングを切る。
車体が軽くて、サイズが小さいこともあってセブンは道をすいすいと進んでいく。
そのまま空き地を進んでいくと、やがて高い塀が見えてきた。
塀の奥にはプラタナスの木々が広がっていて、敷地はかなり広そうだ。
「小学校の敷地丸ごとくらいあるけど、これで個人宅?」
『元は歌舞伎役者の邸宅だった筈だ。通称、千駄ケ谷御殿』
「令和だと何があるの?」
『代ゼミの新宿校がある辺りじゃないかな。その敷地丸ごとが個人宅だったワケだ』
「本当に学校並みなんだ!?」
ぐるっと回っていくと正門前に人だかりがあった。
着物の下にシャツを着こんだ男性たちが、冬物の着物を着た女性を取り囲んでいる。
いや、逆かな?
女性が男性陣に何かを訴えかけているようだ。
『瑛音、何か揉めてるようだが』
「すいませーん、どうかしましたかー!」
セブンにクラクションはないので、声でだ。
気付いた人たちがイラついた顔で振り向いた瞬間、顔色を変えた。
全員が棒を飲み込んだような姿勢を取る。
「ご足労にございます、瑛音様! こちらの番を仰せつかっております、何なりとご命じ下さい!」
脳天から声を出すかのような直立不動を取った後、微動だにしなくなる。
伯爵家の私兵かな?
いつもは、景貴と清華の護衛に付き添ってる人たちかも知れない。
「ご苦労様です。それで、そちらの女性はどなたですか? ――ああ、僕は
喋ってるのに喋れますもないと思うけど、見た目で萎縮する人が多いから念のため。
無理もない外見だけどね。
「……」
未成年っぽい女性は、こっちをジッと凝視している。
意外に眼力が強いな。
――あと、ちょっと消毒液臭い?
気付いた結社の人が慌てて紹介に入った。
「こちらは、綾瀬杜伯爵の御令孫になります。この屋敷の現在の持ち主です」
うげ、結社か伯爵家でここ買ったの!?
「は、伯爵!?」
紹介を聞いた着物の女性が、慌てて頭を下げた。
タイムトラベラーである自分には戸籍がないので、綾瀬杜家に養子として迎えられている。
伯爵家というバックボーンはハッタリが効いていい。効き過ぎることもあるけどね。
「――ご無礼をいたしました。私は羽田文子と申します。ご迷惑とは存じますが、できればこちらの屋敷へほんの少々入らさせていただければと」
さっきと目線の色は違うけど、やっぱりジーッと見られる。
いや、いいんだけど……
女性はよく見ると若い。下手すれば高校性くらいかな?
着物の上からショールを羽織り、大きな手提げ鞄を持っている。出掛けるところらしい。
事情を聞いた方がいいか。
「ここに何か御用でも?」
「はい……以前、家族でこちらの屋敷に住んでおりました。できれば最後の思い出にと」
――思わず見返した。
ああ、天知さんの家族の人なんだ。娘さんかな?
でも苗字違うな……
そんなことを考えていると、ニュートがこそっと耳打ちしてくる。
『結婚してるぞ、この子』
なんと、まあ。
ううん……状況から察するに、自分が決めなくてはならない。
どうしたものか。
「見せることは構いませんが、日を改めて頂いてもよろしいですか?」
無難かなと内心納得する。
神話事件の調査が終わった後で、結社か綾瀬杜家の誰かに連絡を頼めばいい。
「……」
だけど、文子さんは俯いて押し黙ってしまった。
ニュートがふんと鼻を鳴らす。
『家が傾いた割に困窮してる様子もない。そこそこ良い条件で大家に嫁げたのだろうが……恰好からするに、嫁ぎ先は地方だ。これが見納めというところかね?』
ううん……そういう生々しい理由は苦手だなあ。
文子さんはおずおずと喋り出した。
「お恥ずかしい話なのですが……去年、父の都合により急いで家を出ることになりまして」
そこで一度言葉を切る。
「――それ以来、一度も父と会っていません。待てばいつか元に……そう思っておりましたが、嫁ぎ先が決まっても会えず……せめて父との思い出の家をもう一度だけ、と」
そうして再び目を伏せた。
うう、そういう理由だと断り難いな……
『どうする、瑛音?』
ううん……
ぐるぐる考えた末、妥協案に落ち着いた。
「庭まででしたら……邸内へはご遠慮頂けますか?」
「は……はい!」
門を開けて文子さんを中へ招き入れた。
顔がほころぶと、彼女は僕の先に立って庭を案内するように歩き出す。
――ああ、自分の家だったんだから慣れていて当然か。
念のため結社の人たちには外で待ってもらう。
鍵の束だけ貰って、中へ入った。
「大きな家ですね」
双子も住んでる蔵人さんの洋館もそうだけど、小学校の敷地丸ごとくらいある。
大正のお金持ちは庭で五十メートル走の練習でもしたいんだろうか。
「正直、好きにはなれませんでした。この家に住みだしてからは、落ち着いて過ごした記憶もあまり……」
軽く雑談しつつ石畳を歩いて行く。
やがて前庭の広場に出た。
文子さんは、広場に枝を伸ばす大きな木の下に立った。
「それでもここだけは……昔はこの木の下にベンチがあって、夏には家族でよく涼んでいました。数少ない、楽しい思い出です」
しばらくそうしていた後、文子さんがそっと離れた。
名残惜しそうに屋敷を見上げ――固まる。
「お、お父さん……」
「えっ!?」
どこに……あ、二階の窓に!?
見上げた先で、頬のそげ落ちたミイラみたいな男と目が合った。
直感した。
アレが兜町で僕を襲ったシルエットの主だ。
なら、本はここにあるのかも!?
『どうやら調査の手間が省けたようだな、瑛音!』
「文子さん、貴方は外へ出て下さい。僕は中を調べてきます」
「あ、あなたは一体……」
プラタナスの木に縋り付いた文子さんが、屋敷と僕を交互にみる。
複雑な表情をしていた。
「僕は……そうですね、探偵みたいなものですよ。変わった事件が専門の」
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