第一話:記憶の祭壇《3》

「失礼しました、瑛音様。既にお着替えなさっていたのかと……」


 年齢は今の僕とさほど変わらないだろうけど、雰囲気はずっと大人びて見える。

 艶やかな長い黒髪がとても美しい、美少女顔の美少年というか。

 転生した直後から、お付きと称してずっと付いてくる双子の兄の方。

 名は景貴かげたか

 妹の清華さやかは、いないようだ。

 兄妹はどちらも異様にフレンドリーなんだけど、なんと伯爵家の子息だ。

 爵位持ちなんてファンタジーみたいだ。


「こっちは気にしないでいいよ、気楽にさせてもらう」


 そのままソファに戻ると、ふて腐れ気味にふんぞり返った。

 兄妹は性別も違う二卵性だけど、本人たちがわざと同じ格好をしてるときには親でも区別が難しい。

 でも仕事の説明は兄の景貴が担当だ。その辺はキッチリやる。

 どのみち下着はシュミーズで隠れてるし、タイツも履いているし――うん?


 ぞぞぞぞぞ!


「景貴、股間あたりを凝視するの止めて」

「失礼を」


 たまに怪しいかも知れない……まあ、それはともかく。

 イースの大いなる種族を信奉する魔術結社ウラテリスは、関東大震災時にイーフレイムが起こした内乱で大ダメージを受けている。

 そこからまだ回復してない。

 双子も結社トップである伯爵の孫という出自を抜きにして、大事な戦力に数えられていた。


 景貴が何となくグルグルしたような印象を受ける瞳をぱちぱちと瞬くと、木製のクリップボードに留めた書類をめくった。

 室内にパラリ――と、紙がこすれる音が響く。


「ごほん……では。先日瑛音様が回収しそこねたブラックブックについて、幾つか発見があります。まず、本は写本でした。盗まれたオリジナルを複製した物です」

「またかー、どうして人は魔術書の写本を作りたがるのか……魔術師になっても、別にいいこと無いのに」


 実感を込めて呟き、がっくりと項垂れる。

 多いよね、このパターン……


「秘した物に触れてみたい、曝け出してみたい――それが、人の本能かも知れません」


 パラリ、カチ――はらり


「写本は全部? それとも《旧支配者》に関わる一部だけ? それと仲介屋殺害は誰の仕業……な、のおっ!」


 はら……ぱち、ぱち。するん。

 不穏な気配を感じて顔を上げ、目を剥いた。

 ズボンがない!

 ジャケットからはホワイトシャツの裾と西洋風のパンツ、用を足さなくなったサスペンダーの端が覗いているだけだ。

 男なのに太腿の白さがとても眩しい。僕か!

 そんなとこ真似しなくても……ああ!?


「ちょ……妹の方!? 清華、何を……」

「写し取られていたのは一部――旧支配者は《ザーツ・ツァルム》についての箇所と思われます」

「……」


 理性的な態度を崩さず報告を続ける清華を前にして、声が出せない。

 脱いだ意図がまったく掴めない。


 ――それはそれとして、《旧支配者》ザーツ・ツァルム!

 確か《宮殿》の旧支配者か。

 主にヒトの『記憶』に宮殿を建て、悪性願望を実体化させる力を与える。


「分かった、続けて」


 色々納得できない部分もあったけど、話自体はシリアスなので渋々と話を聞くことにした。

 清華が冷静に見えたこともある。

 普段はもっとハイテンションな性格なんだけど、今は獲物を狙うハンターみたいな目をしてるような。


「――では。写本作成と日本への持ち込みに関わったと思われる人物をリストアップしております」


 清華がスラスラと続ける。

 双子は子供だけど、その実務能力は決して低くない。


「最有力候補は天知宗全、カイロン商会という貿易会社の代表です。主に欧州貿易で財を成していましたが、大戦終結とともに襲ってきた大不況と震災の連鎖により破綻……」


 はらり。

 肩からジャケットが落ちた。間髪入れず、シャツのボタンに手がかかる。

 流石にドン引いた。

 だけど抗議するより早く、清華が報告を続ける。


「――する筈だったのですけど、存外しぶとく。ハゲタカたちに貪り食われながらも辛うじて生き残り、再び事業を拡大し始めています」


 ぷちぷち……はら。

 清華が赤いシルクのパンツとブラだけになる。

 コルセットなどの矯正下着ブームは明治で終わっているから、令和の感覚でも割と普通の下着だ。

 なのでちょっと無理!

 理不尽なエロはフツーに引くぞ、おい!?


「瑛音様、こちらを」


 ――ほえ?

 背けた顔の前に突き出されたのは、厚紙のシートだった。

 何が……ああ、物理写真か。

 写真には壮年の男性が写っていた。知的で温厚そうで、とても神話事件に関わるような人物には見えない。


「この人が……天知さん?」

「大戦勃発頃のものになります。現在の容貌、居場所は不明です」


 その間に何かがあったのだ、間違いなく!

 溜息を付くと思考を切り替えた。

 歴史から神話へ――


「分かった、調べてみる。お供はいらないから車と武器を」

「何時ものでしたら、既に地下駐車場に」


 車は英国車のオースチン7、銃は英軍制式のウェブリー・リボルバー・マークⅥだ。


「じゃあ言ってくるけど――最後に二つ聞いていい?」

「はい」

「その……なんで服を脱いだの? それと景貴は……」


 聞いてはならなかったと気付いた時には遅かった。


「服は……貴方がそのようなお姿でしたので! 聖なる神子にお仕えする身としては、主に合わせませんと。こちらの下着……いかがでしょうか。瑛音様とお揃いになるよう、私も特注いたしました!」


 押さえていた感情が漏れ出してくると、喋り方がいつもの感じになってくる。

 ついでに、両目がぐるぐるし出した。

 この双子が狂気へと片足突っ込んだ時によく見る目付きだ。


 清華はペタンと床に座ると、下品にはならないギリギリで身体を大きく開く。

 黒髪、黒目、白い肌――影絵の世界から飛び出してきたような清楚な美少女がするには、破壊力の大きいポーズだった。


 事案だーっ!


「いや、ちょ……」

「兄は……体調がお悪く。日比谷三角にはおりますので、ご心配なされなくとも大丈夫です」


 清華は肌を羞恥に染めながら、伏した瞳の端でチラチラと僕を追う。流し目だ。

 これが決定打になった。


「う……わっ、うわわーっ!」


 頭の片隅でイース魔術の発動まで考えつつ、割と本気でダッシュ!

 全力で部屋の外へ出ようとする。

 ――その腕が、優しく、しかしネッッットリと、掴まれる。清華が身体を大きく反って、こっちの手をガッチリ掴んでいた。

 身体が反ったので、ポーズがさらに破壊力を増す。


「出られるのでしたら、お着替えを先にして下さいませ。瑛音様のそのようなお姿を誰かに見られることがありましたら、私はその物をどうしてしまうか分かりません……!」


 はぁ、はぁと激しい息づかいが聞こえてくる。

 グルグルした印象を受ける瞳が、さらに狂気の度合いを増していた。

 

 その目を見てやっと自分の勘違いに気付いた。

 清華はボクの尻しか見ていないのか、そりゃハンターの目に見えるよ!

 ふとラッキースケベという単語が浮かんだ。

 今回ラッキーだったのは、間違いなく彼女だろう。


「わ……かった。先に着替えるから、結社の仕事優先で!」


 その言葉に、清華の理性が戻る。

 理性……だと思う。

 目はまだ狂気でグルグルしていたけれど。


「では、お召し替えを……」


 もの凄い圧を持った清華が迫ってくる。

 結局、ぐるぐる目の圧に負けて清華に着替えを手伝えさせた。

 幸いというか当然というか、着替え自体は普通。

 結社の仕事優先という言葉はちゃんと効果を発揮してくれたらしい。


 服は荒事にも耐えられそうな軍装風のスーツジャケットとタイツ、スカートを選んだ。

 女物にしたのは、着ている下着類を脱ぎたくなかったからだけど。


「い……行ってきます」


 最後に白いフード付きマントを羽織る。

 帽子は……いいか、フードあるし。

 下着姿のままの清華が、必要最低限の動作にあらん限りの敬意を込めた礼で見送ってくれた。


 部屋を出たところで、震えながらこっちに向かってくる景貴とばったりブチ当たった。


「何してるのかな?」


 男物の服を着ている以外に妹の清華と区別できる要素がない、美少女顔の美少年。

 その本物の方。

 目は――こっちもグルグルしていた。しかも潤みまくってる。

 な、生々しいな。

 誰もいないとはいえホテルの通路だよ?

 本人も分かっているらしく、顔には羞恥が強く混じっていた。


「申し訳ありません、瑛音様……」


 OK、僕の顔を凝視しながら切ない溜息を出すのは止めて。

 そういや、ラヴォアールで僕の唄を聞いてた時に滂沱の涙を流してたな。

 背筋ピーンと伸ばして。

 あの曲好きなの? 実は曲名知らないんだけど。


「……」


 反応してくれない景貴の首根っこを引っつかむと、部屋に放り込む。

 清華が飛び上がり、舐めて吸って嗅いでいた僕のステージ衣装を背に隠した。

 ――ような気がしたけど、全力スルー!


「清華、お兄ちゃんよろしく」

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