第24話

「人間に限らず生物は死を確信した瞬間から脳の動作が変質する。それまでは如何にして生き残るかが中心になっているが、如何に苦痛なく死ぬかに切り替わる。常ならば中毒症になるくらいの快楽物質が分泌される、危険を察知するための器官やそれに付随する機能が麻痺する、発露形態は様々だがその全ては苦痛なき死へと帰結する」


 手術台に拘束された実験台は、青緑の手術着を纏い自分を見下ろしている男に向かって笑いかけた。それは、死の恐怖によって痙攣、硬直したものであったが、男には通じたらしい。


「聴覚はまだ機能しているようだね、結構なことだ。さて、なぜこんな話をしたのか。それは自前で麻酔を準備してもらおうと思ったからだよ。麻酔を注入すると解剖中の反応が見られなくなってしまうし、分量によってはそのまま死んでしまうかもしれない。ならば死に瀕した人間の自然な反応としての麻酔効果を期待する方が良いとは思わないかい?」


 とはいえ、命乞いの意図は伝わらなかったが。これ見よがしに青緑の手袋を着けた男を見上げたまま、実験台は笑い続ける。敵意はない、害意もない、だから見逃してほしいと。


「努力したまえよ、私とて命を無下に扱いたい訳ではないんだ。君が努力すればする程、新たな事実が判明する可能性も増える。そう、君は人類のより良い進化の礎となるんだ! それはとても誇らしく、喜ばしいことだろう?」


 しかし、男は自身の方針を変えるつもりは一切ないらしい。実験台の目の前で、ひらひらと踊る鋭利なメス。口枷を嵌められた隙間から、涎と呻き声が漏れる。実験台の頭の中には、死にたくないという思いしかなかった。


「さぁ、何百、何千回かは忘れてしまったけれど、実験を始めよう。脳内麻薬の分泌量は充分かな? 死にたくない、大いに結構! 出来る限り生かしてあげようとも。私は世間の凡愚どもが宣うような、殺すことしか知らない狂人ではないのだからね。私が、私こそが! 人類を新たな境地へ至らしめる、人類史にその名を刻みつける! 稀代の天才! 叡知の化身!」


 そんな実験台の耳から入り脳髄をぐちゃぐちゃにする男の高笑い。狂っている、なんて最初からわかっていた。それでも男に近づいたのは、自分なら男を何とか出来るのではないかなんて、馬鹿な妄想を抱いてしまったから。

 何百、何千人目かの実験台ぎせいしゃである女は、数日前の自分を心の底から罵り、軽蔑し、後悔し、



 そうして、男曰くの礎と化した。

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