第22話

 男は絶望した。彼が慕っていた、大好きだった先生が、殺されてしまったのだ。男は先生の研究成果によって救われた。だから先生のような研究者になりたくて、勉学に励み先生の後を追っていた。世間は先生のことを理解しきれていなかったけれど、自分だけは先生の本当の価値を理解していた。

 そもそも、自分以外にも先生の研究によって救われた人間はいるはずだ。なのにそれらは先生が殺されてしまったのに何もしなかった。そんな恩知らず、許せる訳がない、許してはいけない。

 だから、男は先生になることにした。先生の研究を丁寧になぞり、先生が取り組むはずだった研究を自分の研究として進めていった。やがて男は男が慕っていた先生と同じ名前で呼ばれるようになった。男は稀代の科学者になった。



 他者が自身に向ける感情をも操作出来るとは考えるだけで傲慢であろう。



 さて、赤い空を覆う黒い雲、不毛の大地に点在する廃墟。地獄とはそのような場所であり、その住人は全員悪人である。罪を犯して地獄に堕ちてきた人間(稀にそれ以外もいるのだが)しかいないので、治安も終わっていた。

 その中でも特に終わっていると評判の、大罪人が二人もいれば、その他の亡者たちがいなくなるのも道理である。自主的に逃げ出したのか物理的に排除されたのかは兎も角として。そのような理由で、三文文士のシンジと狂科学者のサイエは誰に邪魔されるでもなく屯っていた。


「話には聞いていたけど、実に、興味深いネ……ぼかァ、■■様に心臓を抜かれッちまっただの、胎の中に心を置き去りにしてきただの、イロイロ言われてきたけれど、アンタと比べると全然人間だなって思うよ……」

「大概無礼な評価を下してくる」


 屯しているというか、シンジが一方的にサイエに絡みにきただけなのだが。連続殺人鬼ツジを起点としたこの縁は、サイエにとってはどうでもよく、シンジにとっては実に興味深いものであった。

 シンジは、彼に恋慕の情を抱いた女を唆して、心中を装い殺し続けた悪党である。湖に沈めた女は数知れず、毒を飲ませた女も同じく。最期はうっかり、自分だけは助かるつもりでいたのに、女の方がしぶとくて……。


「マ、ツジよりは生産性はあったと見えるから、その辺りは救いだネ?」

「何も生み出さなかった高等遊民が生産性を語るのか……」

「ア傷ついた! 今の物言いには大層傷ついた! ぼかァね、何も考えずにそうしたんぢゃァないんだよ? そもそも、政府が悪いし社会が悪い。ぼかァ何も悪くない、環境だよ、世間だよ、アァ斯くも浮世は地獄より地獄めく……」

「雑な社会批判に逃げてしまった」


 大袈裟に嘆いてみせるシンジの首から垂れる縄が揺れている。サイエにとってシンジは、空想を食み妄言を垂れ流す類いの愚か者であったので、そこそこ嫌いな部類に入る。


「……そもそも、先生だって人間嫌いなのに?」

「急に矛先を向けてくるな、無知蒙昧な人間は愚かだなと心底思っているけれどそれは嫌悪とは別の感情だよ」

「だってェ……人間が嫌いだから、殺して回ってたンではなくって?」

「あれらは必要な犠牲だよ、人類の進化に寄与出来たのだから全く幸福なことだね」

「先生が同じことされても幸せェ?」

「は? 私の頭脳が無意味に失われるのは世界に対する冒涜では? 急に馬鹿なことを言い出すから驚いてしまったな」


 コレだよコレこの傲慢さと矛盾具合が拝聴するに小気味良い、とシンジはクックと笑い、何かにつけて会話を終わらせようと試みるサイエを引き留めた。何分、無意味な言葉遊びならば三文とはいえ文士である自分に分があるので。

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