韋駄天

「オン・ユア・マーク」


 ダンジョンに、音声だけが流された。

 ちょうど2コース分の横幅はあろうかという石橋の前でスタートの体勢を取る二人。


 両者の視界に、『3・2・1……』とカウントダウンが表示される。『0』になったらスタートする合図だ。フライングも自動判定してくれる、専用のアプリである。



 ダンッ!



 さすがは歴戦のランナーたち。互いにフライングにならないギリギリのラインを攻めて、絶好のスタートダッシュを決める。立ち上がりは、全くの互角だった。


 しかし、ここからが凄いのが“速水シホ”の持つユニークスキル【神速】の加速力だった。彼女が一歩、前へ足を踏み出す度に、“神坂ナオ”との距離が開いていく。神シリーズである、その効果はスピード系スキルにおいてはトップクラスに位置していた。




(くっ。やっぱり、速い!でも、一秒以上は離されたくない……これは、私にとっては最後のレースになるかもしれない。途中棄権リタイアで終わりだなんて、絶対にイヤだ!!)




 彼女の持つ【韋駄天】も、スピード系スキルでは上位に位置する希少なものだ。その効果を必死になって発揮して、先頭を走る好敵手ライバルに食らいつくも、無情にも目に映る背中はどんどんと小さくなっていく。




 ガラガラガラッ




 そして、後方から聞こえるイヤな音。


 道の崩壊が始まったのだ。追いつきたい背中は遠くなるのに、来てほしくない障害は徐々に音を大きくして迫り来る。




(ああ、ダメだ……追いつける気がしない。速すぎる。やっぱり、奇跡なんか起きるわけないよね)




 絶望的な状況に、全力を出すのを諦めかけそうになる神坂の脳裏に、とある二人の人物が浮かんだ。



 一人は私なんかの為に、ダンジョンに潜って、足を治してくれた恩人……いや、大切な友達。



 一人は走る楽しさを思い出させてくれた、おせっかいな少年。




(そうだ。植村くんに約束したんだった……勝っても負けても、最後まで全力で走り切るって!二人への思いも一緒に走るんだ。めげるな、神坂ナオ!!)




 再び自らの魂を奮い立たせる彼女だったが、無情にも崩れ去っていく足場。沈んでゆく身体が、真っ暗な奈落へと吸い込まれていく。


 それでも、彼女は足を運ぶのを止めなかった。エア・ウォーク……空中を歩くかのように、両の脚をバタつかせている。



 それを巨大モニター越しに観戦していた客席からは、“速水シホ”を応援する者たちの歓声と、“神坂ナオ”を応援する者たちの落胆の声とで、放送部のアナウンスが掻き消されんばかりの熱狂が起こっていた。




「待って!あれ!!」




 誰もが、奈落へと落ちていく彼女から目を逸らそうとしてた中、ただ一人、最後まで信じて見守っていた“月森ヒカル”がモニターを指差した。


 そこに映っていたのは、光の足場を駆け上がり、レースへと復帰しようとしていた“神坂ナオ”の姿であった。




「何だ!?あれは?」



「本当に、覚醒したんだ……神坂さんのユニークスキル!」




 三浦レイジの呟きに反応して、思わず植村ユウトが言葉を発した。


 彼の言ってることは、正しかった。


“神坂ナオ”のユニークスキル【韋駄天】のダンジョン限定効果は、何も無い空間に足場を生成すること。これにより、正真正銘のエア・ウォークを実現させる。地上のトラップを、ほぼ完全に無効化できるこの効果は、冒険者ランナーにとっては非常に強力なものであるといえる。




「落下するのは、防げたとはいえ。逆転は、もう……」



「いや。まだだ!」



 完全に敗北を悟った悪友に、植村が強い口調で言い放つ。彼もまた、神坂を今もまだ信じている一人であった。



 そんな彼の思いに呼応するかのように、“神坂ナオ”はグングンと“速水シホ”との距離を縮めていく。それと共に、会場のボルテージも上昇していった。


 当然である。


 シルバーコレクターとして、常に彼女の二番手として生きてきた者が、この大一番であわや途中棄権リタイアの状況から、大まくりを決めようとしているのである。盛り上がらないはずがない。




(何が起こってるのか、自分でも分からない……でも、今は!彼女の背中と、ゴールしか見えない!!)




『ブースト・ステップ』……彼女の作り出した光の足場は宙を走れるだけでなく、踏むことで加速力を増加させる効果が付与されていた。


 秘められていた凄まじい効果。それもそのはず、【韋駄天】とは仏教における天部の神の一人。

 神シリーズの亜種と言っても、差し支えが無いのだから。



「ハッ……ハッ……ハッ……!」



 息遣いと共に、今度は大きくなってくる先頭を走る彼女の背中。もはや、人生で追いつけることなど無いと諦めかけていた、その背中を目の前にまで捉えて、神坂の思考は“ただ一つ”のことに終着した。



(勝つ……絶対に、勝つ!!!)




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